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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー

 
  2004年4月14・15日
新鋭とベテランが旨く組み合わさった3作
バレエ・シャンブルウエスト第40回定期公演、スプリング・コンサート
     
      うらわまこと [2004.4.20]
 今村博明川口ゆり子が主宰し、八王子を本拠とするバレエ・シャンブルウエストの地元でのスプリング・コンサート。趣の異なる3つの作品を並べる、いわゆるトリプル・ビル形式の公演である。いろいろなタイプの作品がみられて面白いと思うのだが、古典大作好きの日本のバレエファン、この形式はかなか定着しない。
ここでも一晩もの長尺の新作『天上の詩』、『タチャーナ』で2度も芸術祭大賞を受けるほどの大作志向なのだが一方で、山梨県清里の野外バレエコンサートでは小品集、そして今回はプロセニアム(額緑形式の舞台)劇場での公演である。
 今回は『パキータ』と日本的な創作2本。『パキータ』は初演はロマンチック・バレエ末期だが、よく上演される組曲はあとからプチパがミンクスの音楽でつくって挿入したクラシックのスタイルを持つ作品である。したがって、スペインの雰囲気も大事だが、古典の様式美が強く求められる。ダブルキヤストのこの日は、エトワールに松村里沙、舩木城、将来このバレエ団の中心となるべきダンサーである。 
 松村は、ジュニア時代からその素質が高く評価されていたが、ここにきてようやくそれが現実のものとなってきた。中型の均整のとれたスタイル、安定した技術、過不足ない表現、全体として、バランスの取れたダンサーだ。ここでも群舞を率い、男性のパートナーを相手に芯としての役割をきちんと果たしている。とくに若々しく踊る群舞をきちんとまとめる力はなかなかのもの、あとはこの延長上で大きな作品での演技、役ずくりの進境を期待したい。舩木も若武者の趣、ソフトな雰囲気のなかに、いい意味で図太さが見えるようになってきた。ソリスト、ヴァリエーションの田中麻衣子、太田恵はシャープ、ソフトと雰囲気の違いはあるが、はつらつとした踊りは見るものを楽しませる。
「パキータ」
作品動画(大)
( 画像サイズ320×240・44秒・2.4MB)
作品動画(小)
( 画像サイズ160×120・44秒・460k)
 あとの2作は、日本人の音楽による創作。ともに2000年のロシア、エストニア公演のレパートリーとなったものである。

「オンザロード」
作品動画(大)
( 画像サイズ320×240・50秒・4.3MB)
作品動画(小)
( 画像サイズ160×120・50秒・716k )

 『オン・ザ・ロード』は、天野宣の太鼓にの音楽を使い、自然の営みを取り上げた作品。大地、水、そして緑や木の関係をそれぞれに色分けした衣装の男女の群舞によって描く。基本的にはクラシックのステップを使っているが、流れの構成やダンサーの出入りなどに現代的なユニークさが見える。この全体を統一するのが緑の吉本真由美と水の正木亮羽、ともに長い経験のもとにピークを迎えつつあり、見せ所をきちんと理解した踊り。ただ群舞とは別の存在にするなら、たとえば太陽とか光といった形で衣装も、茶や青、緑といった群舞の色を背景に明るく浮きたたせたほうがよいような気もする。
「時雨西行」
作品動画(大)
( 画像サイズ320×240・55秒・2.2MB)
作品動画(小)
( 画像サイズ160×120・55秒・432k)
 モスクワ・ボリショイ劇場で最初に上演されたのがこの『時雨西行』。舞台奥の紗幕の奥をとおって、西行法師の藤間蘭黄が僧侶の姿で現れたとき、モスクワの客席は異様な静寂につつまれたことを思い出す。バレエ劇場で想像を超えた異文化に接しての反応であったろう。しかし、その後衣装こそ和調で日本的な振る舞いもあるが、トウで古典の動きを見せ始めてからは、徐々に舞台に引き込まれ、最後はスタンディング・オベーションで気持ちを表現していた。
 実はこの日の日本人観客の反応にも大きな違いはなかった。遊女でありながら西行の心のなかで菩薩に変わる江口の君を演じる川口ゆり子、そして心の動きを象徴する今村博明は、さすが説得力ある演技。蘭黄も大柄で存在感は十分、やはり今日の客席の方が反応は少々早かったかも知れない。ただ、宗次郎のオカリナによる音楽(大黄河より)は、たしかに落ち着いた静寂の雰囲気はあるのだが、男女の触れ合いの部分はもう少し艶のある、心を乱すような和楽器のものを使うのも一つの方法ではなかったか。
 全体をとうして、若々しい魅力に満ちた舞台をそれぞれベテランが統率するという、非常にバランスのとれた公演であった。