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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー



たのしめたデュオ・コレクション「LISSAJOUS」
ー能美健志 &ダンステアトロ21新作公演
3月24日(月)/25日(火)at TOKYO FMホール

日下 四郎 [2008.4.1 updated]

 タイトルも「LISSAJOUS」となにやら高踏的であり、よく読まないままにチラシの印象から、《ダンステアトロ21》の凝った最新作だろうと早合点して出向いたら、これが全くの見当違い。中味は久々にみるコンサート形式のデュオ・コレクションで、能美+軽部のダンス、三原淳子のピアノ演奏で進行するサロン風のダンス・リサイタルであった。
 会場は麹町のFMホール。天井の高いドーム風の内部には、2尺高の四角いフロアが組まれている。目線に迫る高さがちょっと異様だったが、その意味は後でわかる。奥まった場所にはグランド・ピアノが1台。そこへ時間でまずドレス衣装のピアニストが登場、次いで白黒2色に決め、ソワレに正装したダンスのペアが姿をあらわして一礼する。ドレッシーなワンピースにハイヒールの女、上衣こそないが、男はタキシード・スタイルのヴェストに黒ズボン、それによく磨き上げた新品の革靴まで着用している。
 プログラムはまずドビュシーの「月光」に始まり、そのあとサティの「ジムノペディ」、ショパンの「雨だれ」、ラフマニノフの「ラプソディ」など、クラシックの音楽ファンなら文句なく飛びつきそうなピアノ曲を揃え、途中に演奏者のオリジナル(この題名が“LISSAJOUS”なのであった)を1作加えた全8曲で構成されている。それをダンスが軽妙な動きで繋ぎながら、全部で約1時間にわたるリサイタル風のステージで披露した。
 今回の会を主催者は「3つの波形が奏でる組曲、少し大人な時間」とノートに記している。3つの波形とは、ピアノ、男と女それぞれの動きを指すのだろうが、その3者によって織りあげられた一夜のタブローは、昨今のコンテンポラリー・ダンスではめったにお目にかかれない、豊かな感性と品格にあふれ、そこには例えば高級シャトー産の、芳醇なワインの味わいさえあったと形容しておく。
 これは前作の「ビオトープ」などと対照的に、舞台空間にものものしい映像や音響、はすに構えた照明プランなどを一切持ち込まず、チラシのコピーにもあった「ダンスに取り巻く意味性を放棄しよう」のキャッチフレーズに忠実に会を構成した結果である。能美・軽部の2人のダンサーは、《ダンステアトロ21》の、優に10年を越す公私にわたるペアであり、したがって主宰の能美としても、すでに芸術選奨新人賞まで獲得しているおのれのパートナーを、今回ようやくに生かし得た、快心のデュオ・プログラムだったし、軽部にとっても、もはや帰国して1年半にもなるフランス留学からの、いささか遅きに失した研修レポートで、その意味は決して小さくない。
 それぞれの味で魅せた7個のダンス作品(全曲中「パガニーニの主題によるラプソディ」はピアノ演奏のみ)だったが、中でサティの「ジムノペディ」をバックにしたダンスの振付がひときわ冴えていた。はじめ無音のまま、ソフィスティケートされた両人のポジショニングがあり、そのうち女は両腕を左右の支えに、倒立した姿勢のままローブの裾野を水平にひろげる。すると男はパートナーの足先から、ゆっくりと靴紐をほどいて、2足をスカートの空間へと抛り込む。終わると今度は黒塗りの自分の革靴もぬいで、以後プログラムは素足によるダンス作品へと移行するのである。高めに組んだフロアは、実はこの下脚部の妙技を、しかと観客に披露するためのものであったのだ。この一連のパフォーマンス、ちらりエロティックな味わいもあり、スマートな四肢のさばきともども、シャープなセンスが光った。
 能美健志のデビューは、1996年のパークタワー・ホールでのネクストダンスフェスティバル公演である。そこにはほかに伊藤キムとイデビアンが並んで出品した。3者のカラーはそれぞれ劣らず個性的で、いずれも現在フルに活躍中なのは周知のとおりだが、中でもっとも踊る才能に長けていたのは、明らかにダンサー能美健志である。それがきっかけで、翌年の新国立劇場のオープンには、若手のホープとして、ラッキーな招待公演の指名も受ける。
 観ながらそのむかし(1930年代)、パリから来日し、ソロかデュエットの珠玉のような小品だけで、日本の舞踊界をうならせたというサカロフ夫妻の作品を連想した。俗に抽象派パントマイムと称せられた作風である。もともと照明家だった岩村和雄は、現地でこの芸術家夫妻の芸術に感動、それがもとで舞踊家に転向したエピソードもある。察するに今回の舞台は、この種のサカロフ・スタイルの範疇に入る芸術ではないかと思った。
 ダンスの本質は、身体を用いた“美の具現”にある。俗に言う肩をいからせた、小難しいコンテンポラリー作品ではなく、クラシック、モダンの両技を自在に駆使しながら、ひたすら根っからの舞踊ファンを楽しませる、そんなこの種の舞台がもっとあってもいいのでは。そしてもし先達岩村和雄と同じように、このプログラムを観た若い舞踊家の内部で、なんらかの触発や開明がひとつでも動いたとすれば、それで《ダンステアトロ21》新作公演の意味は、すでに充分に達せられたと思いたい。(25日ソワレ所見)

 

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