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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー



新プロジェクト方式が生んだ10代の純血ダンス
ー新国立劇場ダンスプラネット27勅使川原三郎「空気のダンス」―
4月4日(金)-6日(日)3ステージ 小ホール

日下 四郎 [2008.4.15 updated]

 「消息―Substance」、「ミロク」と、昨年の秋から暮れへかけて、新国立劇場の開場10周年の記念として上演された、勅使川原三郎のコンテンポラリー作品シリーズ。年が変わりその3番手の締めくくりに登場したのが、この「空気のダンス」である。過去の2作品とも、それぞれ勅使川原カラーにあふれた出色の出来映えだったが、私としてはある意味で今回の舞台に、いちばんの感銘を受けた。
それには当然理由がある。まず今回の創作は、出演者のすべてが一般から公募した10代の、いわば半素人の若い男女だけによるもので、勅使川原本人はもっぱらその指導に専念して、自らは舞台に出ない。その結果その特異な制作と創造過程が、期せずしてダンス芸術のエッセンス、あるいは身体の生の秘密といったものを、ストレートに目の前に現出させる効果を生んだ。
 上演までにたどったスケジュールをみると、先ず昨年の今頃、“ダンス暦、経験は問わない”という条件の下に、13歳から17歳までの、全国にわたるダンス好きの若者たちを呼び寄せる。そのあと応募者の中から、これまで松本、富山、東京など3箇所で、選考を兼ねたワークショップを行い、最終的に残った10数名を選び、その人たちだけでさらに身体訓練を重ねた結果、ようやく今回その舞台化が実現したものである。しかもその内容は、あくまでも勅使川原方式のワークショップを積み重ねていくことで完成させるという、これまでのケースではちょっと考えられない特色のあるものだった。
 中身を見てみよう。舞台は先ず骨組みだけの椅子が1基、真っ暗な中空に浮び上がるシーンで始まる。電子風のサウンドがストップし、空間に明りがはいってくると、フロアに12名の若い肉体が、前後に仰臥して並んでいる光景が浮かび上がる。気がつくと中空には椅子の他にも、何枚か紗の細片が吊りさげられている。またホリゾントと左右の壁も、縦に長いレース状の白い布を、互いにエッジを重ねるように吊り下げたもので、その半透明の壁が舞台を3面で仕切っているセットだ。象徴・実用の両面で、“空気”を意識した、オリジナルな勅使川原の美意識の産物である。
 さて、フロアに臥したままの出演者たちは、しばらくの間は静かに口から空気を出し入れしながら、ゆっくり呼吸で心身の浄化をはかるが、そのうち下手から一人の女性があらわれ、プロセニアムに添ってみんなの前を横切ると、それをきっかけに全員がゆっくりと立ち上がる。そこからさまざまな組み合わせによるみんなのダンスが、次々とフロア上に展開するのである。
いやその風景は、ダンスというより、やはり身体を隅々まで動員したワークショップの続きといった方が当たっているようだ。三方をふさぐ紗幕を通過しての、あらゆる角度からの集合と離散。男女それぞれのソロがあるかと思えば、さっと組み替えての全員の交錯と斜行。自然な筋肉の流れにゆだねた手足のトレーニングのあとは、左右への群舞のシャープな切断。ブラックアウトから現れる、幾組かのペアの羽交いのような対峙。etc、etc。
 勅使川原がこれら10代の若いダンサーを動員してみせる振付には、およそ外から強制的に付け加えた様式としての技巧は一切ない。すべては生れたままの新鮮と純血を思わせる、とことん停止を知らない身体の出入りと、はげしい四肢の躍動があるだけ。いわゆる玄人レベルの芸や、ためにするおもしろさはどこを探しても見つけだすことはできない。そのくせそれは最後のシーンに至るまで、息を詰めたハイな緊張のうちに、ついに私の目を飽きさせるスキを一度も与えなかった。それはなぜか。ダンス自体の若さと素朴にプラスして、演出家勅使川原のセンスが、すみずみまで全体にいきわたり、作品自体をしっかりとつつみこんで、アートのレベルにまで立派に磨き上げていたからだ。
 舞台芸術のマジシャンというべきか。すばやく切り替えられ、部分から全体、全体から部分へとシャープに使い分ける種々の鋭く愉快な照明プラン。その中を活力に満ち満ちた若者の姿態が縦横に駆け抜けるのだ。こうしてほとんど汚れのない、いわば身体の素顔そのものを材料にしたダンスは、リーダーの所有する秘蔵のレシピーによって、いつしか一級品としての料理に調理し直され、しっかと大人の芸術に変貌をとげているのだ。
 一切の付け足しと不要を排し、身体表現のエッセンスだけで練り上げたダンスとそ の芸術。この2つの要素の、ほぼ理想に近い結びつきの先に、鮮やかに立ち現れたも の、それが今回の試み「空気のダンス」の正体であり、振付・美術・演出者としての アーティスト勅使川原の、当初からのゆるぎない狙いであったに違いない。
 こうしてスタートから60分の後、サブタイトルにある“デッサンから飛び立った少 年少女”たちは、チチ、チチと爽やかなさえずりを残して、小鳥のように舞台から姿 を消していった。あとに残された中空には、あのオープニングの時と同じ椅子が一ケ 下がっているだけ。そして周りでは、若者たちの通過によって起こされた一陣の空気 が、ただヒラヒラと、一条のため息のように白い紗幕の裾を揺らしていた。若者たち の純血ダンス。そのタイトルにふさわしい、さわやかな空気を背に覚えながら、私は 初台の小劇場を後にした。(初日4日所見)

 

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