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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー

【江口隆哉 河上鈴子 メモリアル・フェスタ:もろもろの視点に気付かせた記念公演】
1月10日(日)& 12日(祭)共に14:30開演 at日暮里 サニーホール

日下 四郎 [2010.1/22 updated]
 2010年明けの早々、10日~11日の両夜にわたって、日暮里サニーホルで、江口隆哉・河上鈴子 メモリアル・フェスタと名付けられた、めずらしい舞台が上演された。ご両人はこの国の洋舞史の、モダン・ダンス、スペイン舞踊の領域にあって、始祖的役割を果たした芸術家で、それぞれ江口隆哉賞、河上鈴子記念スペイン賞(複数)と名付けられた権威ある賞が設置されている。そこではからずも33回忌、23回忌の年に当たり、受賞者の中から30名のダンサーが、年令を問わず自ら舞台に立つという珍しいプログラムが実現することになったのである。

 正直に言うと、最初この企画を耳にしたときは、これをレトロ趣味の勝った、ある種センティメンタルな回顧展にすぎないぐらいに考えていた。ところがふたを開けてみて、その熱気と出来栄えに、ガンと頭を殴られる思いがした。ひたひたと押し寄せる芸術の感動、アートだけが所有する不滅の永遠性に、いまさらのようにおのれの愚を恥じ、あらためて眼を開かされる思いであった。

 プログラムの柱がいわば2本あるので、中味の組み立ても少々複雑になっている。両日とも1部に江口賞ならびにフェスティバル優秀賞の受章者がそれぞれ自作を発表、2部はブリッジとしてお弟子ら関係者が思い出を語る座談会、そのあと再び実技で3部のスペイン舞踊だけを集めて踊らせるとい構成だ。また舞台プランも3方に客席を設け、正面の黒幕がそのまま出入り口、中央のフロアにはあらかじめ床にリノリウムを重ね、すぐフラメンコの上演に切り替えられようにと工夫された空間。これはタブラオ風の風味が出て、会場に思わぬ新鮮味をもたらした。

 全体として熱気溢れる、まことに有意義な2日間の催しだったと思うが、なかでも初日前半の江口セクションにみる芸術の力には圧倒された。こう書くと見ていない人は、どんな手の込んだエネルギッシュに工夫された踊りが出たのかと想像かもしれないが、どっこいまるであべこべだ。戦後両師から直拙に指導を受けた、ほんのわずかな門下生を筆頭に、この日舞台に出たダンサーの大半は、今や老大家と呼んでも誰もあやしまない高年のダンサーたちばかりである。曰くアキコ・カンダ(「想い出は陽炎のように」)、能藤玲子(「限られることの」より)、森嘉子(「喝采そして死するまで紅色に燃えて」)、そして折田克子(「柔らかい月」)など多数。

 いや昔からアーティストに年齢はなかった、などと訳知り顔に注釈をつけることは簡単だ。しかし実際これらの人たちが体当たりで演じて見せ、目の前で息を詰めて動く踊りの迫力には、ちかごろ滅多にお目にかかることの出来ない、おそろしいまでの深みがあった。この一瞬わが身も折れよ、このまま不羈の人となっても、何ひとつ悔いることはない、といった死と真っ直ぐに向かい、ダンスにかけた情熱が、どの作品にもひしひしと出ていた。これこそダンス本来の意味、踊りの芸術だけが持つ、他のジャンルとは比べられない、みずみずしい生の瞬間の連続だったのだ。まさにこれ日本人の身体による、日本人の生々しいココロの世界。

 あえて言う。20世紀に入ってから初めてこの国に輸入された西洋ダンス。そのひとつである現代舞踊も、昨今ここへきてようやく完成の域に達した。今から100年近くまえ、突然渡来した新しい技法を受け入れ、それを咀嚼し鍛え上げながら、ついに手にしたオリジナルでうそのないカタチの世界。そこにはバレエのようにきめられたルールや様式への奉仕ではなく、極めて自然に磨き上げた日本文化としての芸術の結晶がある。そのエッセンスのいくつかが、この両日のすべての舞台の上に、いくつも顔をのぞかせていた。ホンモノだ。

 いっぽう同じく輸入されたダンスのひとつであるフラメンコだが、こちらの仕上がりも見事だった。ただしその特色と勝負どころは、現代舞踊と比べてよほど違う。2日間に出品された13曲の踊りの中、10曲までがスペイン舞踊新人賞を獲ったダンサーで占められていたことでもわかるように、スペイン原産のこの民族舞踊の特色は、いわば蠱惑の野性とでもいうべき生命の輝きにある。もちろん巧緻やヴァリアントもあるが、それらはサパテアードや回転、きらびやかな衣装をひるがえす見せ方の問題。真のフラメンコ期には、いまでもカスタネットはない。

 だいたいスペイン舞踊はなぜ現代舞踊ですか、という質問をよく聞く。厳密にいうとこれが現代舞踊の条件に合致するためには、作品がフラメンコ技法を用いた創作舞踊でなければならない。たとえば小松原庸子とか、佐藤桂子、岡田昌巳のレパートリーにあるいくつかの構成モノのようにだ。もっとも上海で学び、成人してからはアイダ・カワカミの名で欧米各地で巡業したあと、ようやく30年代に入って東京に定住した河上鈴子氏が開祖であるこの日本のスペイン舞踊は、当初から多少とも変化球の気味はあったが。

 ともあれ楽しくそして勉強にもなる有意義なフェスタであった。事実上のプロデユーサーであり、当日はアナウンサー役まで買って出て奮闘した同門いちばんの愛弟子金井芙三枝さん、そして協力を惜しまなかったスタッフのみなさん、お疲れさまでした。終演後、室外まであふれでた打ち上げパーティの盛況が、みんなの祝福と感動を如実に象徴していたと思う。それにしてもダンスに関わる日本の若い層が、ひとりでも多く見ておいてほしい得難い企画でした。
(10-11日所見)