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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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“歴史的事業”の名に恥じぬ近来の快挙
宮操子 三回忌メモリアル「江口・宮アーカイヴ 」ダンス公演 14日(土)~15日(日)3ステージ 日暮里サニーホール

日下 四郎 2011年5月23日

一方ソロ作品の復刻はその中間の第2部に置かれた。採り上げたナンバーは、宮作品の「春を踏む」と「タンゴ」、および江口の「スカラ座のまり使い」である。ただしモダン・ダンスのソロを、他のダンサーが正確に復刻する芸術作品というのは、理論上はともかく実際にはありえない。したがってここではいずれの振付も、衣装と曲以外はまずトップに近似の再演をおき、そのあとは2人のダンサーを個別に登場させ、ヴァリアントないし創作の形で、それぞれの発想を加味して観客の興に供したというわけである。

これら3曲の場合、まず「タンゴ」は 1933 年の秋に、ベルリンのバッハザールで発表された踊りで、滞独中の成果を問う形で公開した 10 曲の作品中の 1 本。当時のプレス評を読むと、ドイツ人にはこれがいちばん好評だったようで、「実に簡素でありながら、上流クロウト社会の色気があり、同時に子供のような魅力が渦巻いている」( Wunderbar einfach, mondän-kokett und zugleich kindlich-charmant dahinströmt. ― ベルリナー・ツァイトゥング  10/27 1933 )などの賞賛が並んでいるが、いささかバックグラウンドとしての文化の微妙な違いも感じさせ、ダンス芸術のおもしろさをあらためて感じさせてくれる。

次の「スカラ座のまり使い」は、江口が外国からの帰国後に、大阪朝日会館での第 1 回新作発表会に出した戦前の作品。この頃夫妻は現代舞踊ノイタンツの担い手として、列島各地からのお呼びが掛かり多忙を極めた。そのため作者としてはレパートリーの中へ、いそぎ思いついて投入した即妙の短編だったのではなかろうか。スカラ座に登場する寄席芸人の当意即妙をダンスでみせた短編だ。しかし中味の軽さに比べ――いや軽さゆえか何時しか江口の編み出した名作として評判をとり、戦後もしばしば舞台に掛かる代表的短編ということになった。

筆者もこの 1 篇だけは、多分サンケイ会館のホールだったと思うが、本人が踊った生の舞台をしっかり覚えている。評判のワリにはあっさりした小品で、もう 1 本の群舞「雨は愉し」の味の方に、むしろ感銘を受けた記憶がある。今回その江口式“まり使い”の復刻を引き受けた若手のダンサーは木原浩太。すばやい身振りと即妙の反射神経は両者に共通した才能であるとしても、そのときの筆者の記憶とはやはりどこかが微妙にずれている。これも衣装や小道具では到底カバーできない身体表現のこわさだ。その点ハナから別のエスプリを意図して踊った佐藤一哉のダンスの方に、まだ一縷の救いがあったのではなかろうか。

もうひとつの宮のソロ「春を踏む」についても、やはりアプローチの仕方は同じ。すなわち 3 人のダンサーを順に登場させ、最初のひとり( 15 日 : 松本直子)が極力オリジナルの形姿を追い、他のふたり(地主律子と後藤智江)は曲(宅孝二)と衣装(素材が新品できれいすぎる)だけは同じで、あとはほぼ自由に踊る。生前の宮の踊りを知らない観客には、結局どれがどうなっているのか、まったくわからない。いささか意味不明の制作アイディアに落ちたうらみが残った。

このほかダンス作品としては、ヨネヤマ・ママコのマイム「恋の曲芸師」(曲:E・サティ)と、かつての門下生で今はヨーロッパで活躍する伏屋順二の舞踊詩「牧神― 恩師への即興詩 ―」(曲:F・ショパン 朗読:竹石悟朗)が、 3 部の前半で特別に挿入され披露された。この 2 曲は故人の創作や復刻とは関係なく、文字通り江口・宮アーカイヴへの自主的な献舞として、本人の意志で参加したケースである。

以上の遺作復元のダンスのほか、今回のメモリアル公演の著しい特色は、作品上演の合間々々に、さまざまな形の文化遺産やエピソードなどが組み込まれている点にある。例えば第 1 部のあとには、作品に使用した伊福部昭の音楽の演奏会の映像が上映され、さらにそのときエキストラで太鼓をたたいた作曲家今井重幸氏の証言、あるいは 2 部と 3 部の間には、戦時中に舞踊団の慰問を受けた元兵士が残した手紙の紹介など、ホワイエに陳列されたさまざまなドキュメンタリー資料もろとも、貴重で珍しいカルチャー・エキジビションの様相を呈した催しとなったのである。

このようにダンスそのものの藝術再現にはやや問題を残したにせよ、一歩これを翻えって文化的視点から眺めてみると、今回のプロジェクトが果たした功績は、けっして小さくない。普通現代舞踊といえば、その名が示唆するように、その時その時の感性なり問題を、身体というきわめてストレートで直截的な表現媒体に託して訴え、それ自体で一義的な役割を終えるとしてきた。しかしダンス藝術という一見ストレートでシンプルな表現行為には、これを集積してみるとき、文化全体にかかわる大事な要素を、つねに色濃く跡に残してきたのである。それを単に一過性の表現行為として、その場限りで捨て去ってしまうことは、実にもったいない話ではないだろうか。

温故知新。古いことわざだが、新しいものの発見には、必ず残された遺産の点検が何らかのモノを言う。その意味ではこの会にはもっともっと若い人たちの観客があっても良かった。そしてある仲間の同業者は、このダンス・プロジェクトを、あえて“歴史的事業”と呼んだぐらいだ。それはたまたま 2011 年の今年が、西洋舞踊が始めて披露されたあの帝国劇場の開場の、ちょうど 100 年目に当たるからだ。この名指しと形容には筆者も大賛成。なぜならこれが現代舞踊サイドから立ち上がった、ほとんど唯一の今年の記念的行事だったからだ。その意味で手間暇かけて舞台の遂行にかかわったスタッフやダンサーの方たちはもちろん、なによりも企画の発起人でありリーダー役を惜しまずつらぬいた要の人物、渥見利奈/金井芙三枝両プロデューサーに、いま心からの拍手と賛辞を惜しまないものである。おつかれさまでした。( 15 日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。