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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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お化粧直しをしたCDAJの「現代舞踊フェスティバル」 8月26日 メルパルクホール

日下 四郎 2011年8月30日

まずもっとも強い感銘は、かって出演メンバーの中核を占めていた、各支部からのベテランダンサーたちが、今や一掃されてすっかり舞台から引いてしまったという一事だ。そのかわりに舞台に登場するのは、文字通り若々しいそれらの 2 代目や後継ぎの面々だ。例えば横山慶子における横山真理、ささきみつあきの一女佐々木絵美などなど。前回までの地方の熟練ダンサー連は、今回のプロジェクト「次代の文化を創造する新進芸術家の育成」の一行で、いっせいにバトンを若手ランナーにあずけてしまったというわけである。

したがって作品の内容も一変した。それを一口に要約せよとなら、作者が伝えたいメッセージや表現が、いかにも平易で分かりやすく、素直なものになったということだろうか。若いジェネレーションだから当りまえという見方もあるが、これは生活レポート派(玉田弘子、こかチちかこ、菅野有希)と、アブストラクト派(中西優子、水田真子・中田さおり、布上道代)の、一見相反する二つの領域の作品にわたって全面的に言えることだ。

ただし例外もある。中條富美子と西田堯(再現)という、2人のベテランによる作品だ。その表現と中味には、さすがに強い手ごたえがあった。それにしても少しも“新進”ではない両者の作品を入れたのは何故か? どうやらここでは踊り手が“新進”ということらしい。会の趣旨の不統一を感じてしまう。(この 2 本については後に述べる)。あとは前半に6本、後半7本の創作が、全国各支部から集まった若いダンサーたちの作品なのだが、それらの中味や素材には、昔からこのシリーズの特色だった地方カラーや色取りが、まったくといっていいほど消えてしまっている(かろうじて京都の沼田真理子「花火」はそのなごりか)。折角のオールニッポン祭である。従来のフェスティバルのよさを、何かの形で残せなかったものか。

もっともその遠因はメディアやコミュニケーションの発達で、今では社会全体の環境が猛烈に等質化しているからだろうが、それならそれでいっそ強烈なイマジネーションや脱ニッポンなど、若いエネルギーだけに可能な宇宙なり空間なりの広がりを、もっと思い切って展開することは出来なかったか。ただそんな中で被災地である福島(横山真理「今を生きる」)と仙台(横田百合子「偶然と必然につつまれて」)からの公演参加は、内容云々以前に、公演への参加自体で観る側に強い感動を呼んだ。藝術に接したときの、人の心のなんとも言えない不思議な付加の力である。

ここで主催者が規定した「次代を担う新進舞踊家の育成事業」という表現の、《育成》の2文字にこだわってみたい。ここで示唆されているものには、どうも教養・学問の匂いが強く感じられる。つまりは教育行事のひとつなのか。ところが若きダンス・アーティストにとっての目標は、あくまでも優れた筋肉の培養であり、豊かな表現力の獲得のはずである。よき教養や人間性の完成は、その過程の必然の結果として、あとから醸成されてくるもの。決してその逆ではない筈だ。この企画が単なる全国からの平均的なダンス風景を、民主的な平等の条件下に送り込んでくること自体にあるとすれば、筆者にはあまり魅力を感じない。それだけが目標なら、今や 1 世紀に手の届かんとする、この国の長いダンス藝術の歴史を培ってきた CDAJ の存在は何だったのか。いささかさびしい気がしてしまう。

おわりに中條富美子の創作「海」の出来栄えについて。平均化された作品が続く中にあって、海の波状をかたどる 10 数名の群舞の叙景に始まり、ツトムヤマシタの鼓動する打音に乗って、唸りをあげながら空間を飛翔する心のエネルギー。その起伏を生の躍動そのものとしてとらえ、波音で再び序景の静謐にもどる構成力の巧みさに、群を抜くこの振付家の実力を見た。また西田堯の 80 年代の傑作「パラダイス・ナウ」の再演は、観ているうち遠い初演時の感動が沸々とよみがえり、当時バブルの絶頂期に浮かれていた日本の社会の中で、来るべき凋落への兆しを、しかと警告として表現し終えたこの振付家の鋭い眼と作家性を、あらためて認識させられた思いだ。ご本人は目下病床にあって療養中とか。一日も早い快癒の日の到来を、心から祈らずにはいられない。( 26 日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。