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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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キャンパスに見るダンスへの情熱と将来性:
(毎年この時期に行なわれる卒業公演および一連の創作活動について) 日本女子体育大学 卒業制作 /座・高円寺ダンスアワード ほか

日下 四郎 2012年1月24日

今回は学校ダンスについて述べてみたい。といっても単に教育項目としての、低学年向けの身体運動としてではなく、明らかに表現を意識した高学年、それも主として大学のカリキュラムに取り込まれ、毎年この時期に何らかの形で公開されている、その研究発表としての価値と将来性についてである。

ここ数日にわかに日本の大学の入学時期を、秋へ移行する案が浮上している。しかし明治この方日本の教育制度では、その大部分が春を年度の切り替え期としてやってきた。したがってセンター試験や卒業論文の書上げなど、凡そ学究のまとめに類するカリキュラムの行事は、今がすべて大忙しのピークだということになる。

もちろんこの点ダンスも例外ではない。まだまだ数は少ないが、学内組織ないし課外活動として、舞踊研究に一目を置く大学では、やはりこの流れに沿って、毎年年の暮れあたりから1月2月にかけて、多種の舞台公演を実施している。首都圏の関東でいえば、お茶の水大学、日本大学藝術学部、日本女子体育大学、桜美林大学などがそうだ。そして実際には少しずつ色合いが違うのだが、いずれも学生を主体とした創作ダンスの発表が、さまざまな形でプログラムされているのだ。

身近な具体で言えば、例えば昨年の暮には桜美林大学の淵野辺キャンパスで、恒例の OPAP (桜美林パフォーミングアーツプログラム)のダンス部公演があった。これは4人のプロの振付家(木佐貫邦子、近藤良平、伊藤千枝、上村なおか)が、学生たちを動かしてそれぞれの作品を作り上げる形をとり、さらに来る2月には、〔身体表現における実験の場〕をテーマに、振付も含めた一切の舞台準備を、仕上げまですべて学生たちの手でこなす。 2005 年以来続いている「桜美林・ラボ・プロジェクト」で、監修は同校の教授であるプロのダンサー木佐貫邦子である。

次に日本大学藝術学部の洋舞コースの場合は、同じく 12 月の中旬に、新装なった江古田キャンパスの中ホールで卒業制作公演が行われた。所属の上部構造である演劇学科には、この他に日本舞踊のセクションもあるが、洋舞の現指導者は加藤みや子。4年生の手のなるヴァライアティに富む8本の創作が、2日間にわたり集中して行なわれた。ここの藝術学部はもともと前任教官旗野恵美を経由して、故・邦正美が教えたドイツ表現主義への熱中と色合いがあり、その点「基礎課題にシンメトリー、カノン、ロンド形式」を置くと記したプログラムノートの一行は、その裏付けとしての興味をそそった。

ここで振り返ってみると、そもそもダンス自体を正科目として取り上げ、これをキャンパスで育てると言う方法は、戦後になってアメリカから持ち込まれた教育メソードである。もともと新大陸にはヨーロッパのバレエは輸入品で、ダンカンに始まりマーサ・グラームが磨き上げたモダン・ダンスが、身体表現の分野では断然優位を誇る。デモクラシーの国アメリカでは、自分たちの育てた芸術として、自由ダンスはジャズと並ぶ自慢の二大文化なのだ。

さらにもうひとつの特色は、それが芸能界と言う特殊の領域ではなく、いわば市民層と同じレベル、相似のスタンスの上に成り立ち、相互乗り入れが可能なジャンルであることだ。モダン・ダンスの場合、少なくとも作品の主題や発想は、無理なく一般市民に理解され、そのまま市場に出しても通用する芸術であり、プロとアマの違いは、ただ表現に奉仕する筋肉の鍛錬度にあると言ってもいいぐらいだ。

こうしてアメリカでは専門の舞踊家を早くからキャンパスに招致し、ダンスを理論と実践の対象として、カリキュラムに取り入れる行き方が見られた。この傾向を取り入れたのが、戦後にみる日本のモダン・ダンスのひとつの流れだ。バレエや日本舞踊と違って、戦前からの徒弟制度や門下意識を退け、それが最近ではむしろ一般的な風潮となってきた。戦勝国アメリカがこの国の舞踊界に与えたよき影響のひとつだとも言える。