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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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平山素子 ダンス作品集「 Ag +G」「 Buttefly 」「兵士の物語」ほか3作
Dance to the Future 2012:新国立劇場バレエ×平山素子が生み落とした新しいダンス 4月21・22日 新国立劇場中劇場

日下 四郎 2012年5月2日

こうして2000年代前半にみられる、シュツルム・ウント・ドラング(疾風・怒涛)時代を終えた彼女は、後半に入ってからは国内でのおのれの創作発表の実践へとシフトする。その記念すべき創作オリジナルの初産が、2005年に新国立劇場で上演された、中川賢をパートナーとする、この記念すべきデュオ「Butterfly」なのだ。これはダンスプラネット№18のダンスコンサート《舞姫と牧神たちの午後》の中の1作品として、6組のデュオ作品に混じって紹介されたが、中で蝶の生態のメタモルフォーゼにヒントを得た、しなやかでするどい未踏の身体表現は、突出したテクニックとしてオーディエンスからの絶賛を浴びた。

そう言えばこのとき以来エポックメーキングな平山作品の初演は、ほとんど新国立劇場の場で実現しているのも不思議な縁である。大成功を収めた2008年の「春の祭典」もそうだが、その他に「Twin Rain」や「un/sleepless」などのユニークな作品もここで生まれた。ある種天佑の保有者とでも言うべきか。それはともあれ生れ落ちてたちまち勢いを得たこの「Butterfly」は、その直後隣国ソウルでの国際舞台芸術フェスティバルの1演目にも選ばれ、さらに翌年以後も新国立劇場での再演を含め、列島各地のダンス祭から声が掛かり、くりかえし上演の機会をもつ。

ただ問題がひとつあった。それはこの作品が常に平山×中川というスーパーテクニシャンのコンビで踊られてきたがゆえに、二人以外のダンサーで演じられるイメージが、あまりピンと来ないのだ。いや実際にそれは不可能ではないかと言う疑問だ。不世出の才としてランクされるがゆえに、平山自身これを客体化して記録することが、ほとんど至難の技に類するとされる。これが今回本公演で作品「Butterfly」に突きつけられた、のるかそるかのきわどい賭けであった。しかもそれを国立劇場つきのバレエ・ダンサーに踊らせるというのが、先行して課せられた条件だからなおさらだ。

だが結論から言ってこれは成功した。それも見事にである。バレエミストレス(遠藤睦子)や、パートナー中川賢による懸命の助力があったにせよ、これまで最大の難業とされてきた平山素子の振付は、ようやく第3者への写し換えか可能であることを証明したのだ。筆者が見た22日に踊ったのは、丸尾孝子と宝満直哉の2人。踊り終えた瞬間、平山「Butterfly」の見事なエスプリと技術の再生に、観客席からは、惜しみないオベーションが巻き起こり、しばし拍手が鳴り止まなかった。筆者としても、3本のプログラムのうち、これが最大の収穫であり、初期の目的を果たしたトップの成功作だと断言していいと思う。

その点幕開きに組まれた初演の群舞「 Ag +G」の鍵が、もっぱら劇場ダンサーたちの力量如何に掛かっていたことは明らかである。だがここでも11名に及ぶ新国立劇場のバレエダンサーたちは、期待以上の実力を示した。日ごろバレエの領域では滅多に直面しない筈の、鋭角で柔軟かつ激しい動きの振付を、身体の物質化ともいうべき、この60分に及ぶアンチ・バレチックな作品は、よく作者の要求に応えて最後まで踊りぬかれていた。ある意味ではナチョ・ドゥアットなどより、よほど難しいともいえる動きの創作をである。ここでもまたバレエマスター陳秀介の苦労は大変だったに違いないが。

最後に組まれた改訂版「兵士の物語」の見所は、平山の演出力である。1年半前に同じこの空間で初演したストラビンスキーの音楽舞踊劇を、さらに一歩ダンスへと引き寄せ、自らのオリジナルを強調してみせた。兵士(八幡顕光)を誘拐する悪魔に、ベテラン山本隆之を起用し、3人の道化に色づいた衣装を着せてフルに動かして、ダンス作品としての魅力を加味した意図はわかるが、その分原作が持つサティリカルな人間風刺の一面が、逆に薄れてしまったきらいがある。最後のシーンでは、兵士の持つヴァイオリンがバラバラに壊れてしまう。折角のアイディアが、いまひとつ効かなかったのは、おそらくこのことと関係があるのかもしれない。この種の舞台作品の演出家としては、平山素子もまだいま一歩の感が残った。(22日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。