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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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【2年ぶりに陽の目を見た新国立劇場の〔ダイナミックダンス!〕:
劇場バレエ団が挑戦したアメリカ発のコンテンポラリー・バレエの3作品
24~27日5ステージ。】

日下 四郎 2013年2月4日

実に2年ぶりの復活である。忘れもしない2011年3月11日、上演を1週間
後にひかえ、連日仕上げの猛練習に入っていた最なか、新国立劇場バレエ団によ
るこの新企画ダイナミック・ダンスは、有無を言わさず中止のやむなきに至っ
た。東日本大震災の発生だ。

この前後多くのダンス公演は、やはり同じようにキャンセルの憂き目を見てい
る。そしてその大部分は、同じ形での復活のチャンスを得ていない。これはライ
ブが本来の形であるパフォーミングアーツにとっては、どうしても避けられない
運命だといえる。

しかし一方では、制作にかかわった人たちの作品に対する強い愛着と情熱が、意
外な展開を生むケースもある。オシャカになった舞台をもとに、もう一度同種の
作品を練り直すといった場合だ。そんな中で、このビントレーのダイナミックダ
ンスは、ある意味ではもっとも珍しい復活劇の1例といえなくもない。

というのもこのプログラム、2年前に予定されていた内容と照合してみて、選ば
れた3本の作品はもちろんのこと、上演日数やステージの数、並べ方まで寸分違
わぬ設定の下で上演されているのである。この分だとひょっとすると出演者の顔
ぶれまで、キッチリ同一ダンサーでキャスティングされたのではあるまいか。
(たまたま手元に残った当時のチラシには、“出演:新国立劇場バレエ団”とある
だけで、なにせ当日用のパンフレットは発行されなかったのだから、正確には確
かめようがない)。

さて問題はプログラムの内容だ。上演された作品は、順に「コンチェルト・バ
ロッコ」(J・S・バッハ/G・バランシン)、「テイク・ファイブ」(D・ブルー
ベック/D・ビントレー)、「イン・ジ・アッパールーム」(P・グラス/T・
サープ)の3本である。そして当初から、劇場側はこの企画にBINTLEY’ s
CHOICE(ビントレーの選択)の文字を添えた。さらにキャプションとしての呼び
込みは、カタカナで力強く“ダイナミックダンス!”の9文字。

当然この呼称にはそれだけの意味がある。振り返ってみるに今から15年前、こ
の国に洋風の新しい舞台芸術上演を意図して新国立劇場が誕生したとき、ことバ
レエに関して言えば、ともかく古典バレエと呼ばれるスタート時の歴史的演目で
ある、19世紀末のチャイコフスキー/プチパの代表的な人気プログラムを、日本
人ダンサーの手でまともにこなせるようになることが、さしあたっての目標だった。

このため本拠地であるロシアのマリンスキー劇場から、美術セットや衣装を駆り
出すまでして、ようやく「眠れる森の美女」や「くるみ割り人形」、そして「白
鳥の湖」などの目ぼしい演目を、メインに外国人ゲストの起用を交えながら、な
んとか舞台に乗せることが実現したのである。初代島田廣芸術監督時代の話だ。

その後の10年余りはいわばクラシカル・レパートリーの発展期にあたる。「ド
ン・キホーテ」や「ラ・バヤデール」「ライモンダ」など、この国には比較的ま
だなじみの薄いプティパの他の作品のほか、一方では時代をさかのぼったロマン
ティック期の「ジゼル」「ラ・シルフィールド」、また「コッペリア」の他、地
域的にもすそ野を広げ、イギリス発のバレエである「ロメオとジュリエット」と
か「シンデレラ」「マノン」の上演にまで手を付けるなど、新国立劇場の実力は
個々のダンサーたちの技量ともども、徐々にその上演能力を高めていく。これら
の任に当たったのは、2代目牧阿佐美芸術監督である。

自らも〔牧阿佐美バレエ団〕を背負い、もともとダンサー・振付家の出である彼
女は、並行してこの期間に既成のクラシック演目の部分改訂や、“Jバレエ”、
“トリプルビル”、“THE CHIC”など新規の枠を案出して、オリジナルな内外の小作
品の上演を試みた。さらに加えてこの期間に、「こうもり」「コッペリア」な
ど、近代バレエと呼んでいいローラン・プティの演目を積極的に加えていったの
も、この2代目女性監督の果たした意義のある仕事だったといえるだろう。

しかしこれまでの足跡を振り返ってみるとき、この新国立劇場のバレエ部門の活
動としては、まだまだ物足りない何かが残る。それは一口に言ってベースとして
のオリジナリティの問題だ。具体的に例を言えば、さしずめ一から日本人が手を
付けて完成させる創作バレエなどの実現だろう。しかし1997年の開場以来、これ
までに試みられた「晩鐘の声」(石井真木/石井潤1998)」や「カルメン」
(G・ビゼー/石井潤2005)「椿姫」(H・ベルリオーズ/牧阿佐美2010)を検証
してみても、いずれもレパートリ化してあとに残る優れた作品だとは言いがたい。

そんな劇場設立10周年を超えるころから、3人目の指導者として、いっそう思い
切ってバレエの本拠地であるヨーロッパから、直接優れた指導者を迎えてはとい
う案が真剣に討議されるようになった。その結果イギリスははるばるバーミング
ハム・ロイヤルバレエ出身の気鋭の芸術家、デイヴィッド・ビントレーに白羽の
矢が立ったのである。かなりの英断だったが、この選択は結果から言って見事に
的を得た人事だったと思われる。それは当バレエ団の活動に、これまでにない強
い個性と異色のカラー、そしてなによりもオリジナリティの気配といったものが
感じられるようになったからだ。

ビントレー作品の新国立劇場へのデビューは、2005年秋の「カルミナブラーナ」
である。その時の振付と異色の演出が、俄然バレエ・ファンと関係者の注目を浴
び、次なる2008年からの芸術参与への応諾へとつながる。同時にそのときかねて
芸術祭主催公演として彼に委嘱してあったオリジナル・バレエ「アラジン」の世
界初演があり、その成功こそが、決定的な第3代芸術監督への就任決定へと結び
つくのである。

こうして2010年の秋から、在任3期の半ばである今日まで、ビントレーの送り出
した演目は、古典期の定番もの以外に、彼のトレードマークとされる「ペンギン
カフェ」、新作ビントレー版「パゴダの王子」、日本初演「シルヴィア」など、
いずれもアイデイアと斬新さに満ちた、日本のバレエファンにはわくわくものの
刺激的な作品がズラリ並んだ。

それと並行して注目されたのが、中劇場を空間とするコンテンポラリ-系の小品
集の企画だ。これはビントレー自身が新任時の挨拶で、「短いバレエを厳選して
組んだプログラムは、全幕バレエに劣らぬ刺激と楽しみ、そして満足感をあたえ
てくれる」(2010開幕プログラム挨拶)という信念をのべているが、その具体的
な例が〔トリプル・ビル〕(2010)や今回の〔ダイナミックダンス!〕だったの
だといえるだろう。

その貴重な舞台が、2年の歳月をおいて無事よみがえって来たのだ。新国立劇場
バレエ団のダンサーたちの手になるその仕上がりはどうであったか。はじめにビ
ントレーが3本のプログラムを選択するにあたって、念頭にあった共通のテーマ
はアメリカであることは明らか。そして「コンチェルト・バロッコ」は、バラン
シンが戦前のスクール・オブ・アメリカン・バレエ時代に、はじめは生徒の技量
に合わせて準備した教材作品の由。そのせいかカタコトとアンサンブルを乱して
床を叩くバレエシューズの音が、いやに古くさい抽象バレエの印象を与えた。そ
の点2本目の「テイク・ファイヴ」は、ブルーベックの跛行リズムを、次々とク
ラシック・ステップで埋めながら流れを止めない、ビントレーの振り付け感性の
見事さの点で、最も納得のいく好篇が生まれた。一転してトワイラ・サープの
「イン・ジ・アッパー・ルーム」は、これはもう完全にポストモダン風の非バレ
エ作品。反復無軌道のグラスの音楽に、舞台いっぱいのスモークが充満し、グ
レーに紅を点在させた衣装のダンサーたちが、日常的な動きを重ねるだけの動き
は、バレエ・ダンサーのもっとも不得意とする身のこなしで、この日出演の長田
佳世や八幡顕光など、新国立劇場の看板契約ソリストたちが少々気の毒になって
しまうぐらいの難物演目だった。

(1月25日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。