D×D

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオが運営するダンス専門サイト

 

ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

80

【新国立劇場Dance to the Future 2013:第4弾には中村恩恵・金森譲の4作品を投入】

日下 四郎 2013年4月8日

今から4年前、新国立劇場の舞踊制作部から、Dance to the Future――“未来を目
指すダンス”という新しい企画枠が登場した。劇場が抱えるバレエ団の上演項目
として、日頃はクラシックのレパートリ上演を任務とする団員たちに、あえて創
作としての現代舞踊の作品を踊らせてみるというのがその狙いである。2010年の
5月30日と31日の2日間にわたって行われたのが第1回で、プログラムには井口
裕之、能美健志、ドミニク・ウオルシュの3作家が登場、それを酒井はな、貝川
鐵夫、本島美和をはじめとする劇場バレエ団の面々が踊った。

舞踊家なら舞踊作品を踊らせるのはごく当たり前の話ではないか。そんな規定の
どこがどう新しいのかと、あるいは外部の一般客には、少々奇妙に映じるかもし
れない。しかしこれは現実にはそう簡単にはこなし切れない、実はなかなかに厄
介な仕事なのである。その第一はテクニック上の問題。日頃はバレエ・メソドに
したがってひたすらバー・レッスンを訓練するバレエ部門の踊り手にとっては、
恣意性の強い現代舞踊のフリーダンスの身体表現は、ほとんどと言っていいほど
器用にはこなせない。いつもとは違う筋肉と神経の動員が必要だからだ。

つぎに求められるのは作品の選択。これは制作サイドの人選にかかわる問題だ
が、若くて才能のある現代舞踊の作家が、そんじょそこらにゴロゴロ転がってい
るわけはない。第一指導者として、多少ともクラシックの技術や知識も備えてい
なければ話にならないし、その上折角うまくバレエ・ダンサーを踊らせたとして
も、出来上がりの内容や主題そのものに、するどい何らかの現代性が欠けていて
は、せっかく上演した意味が半減してしまう。クラシックの古典作品のように、
おどり手の技術とうまさだけが問題ではなく、作品自体の言わんとする中身が、
この企画の場合には最後にモノを言うからだ。

しかし舞踊芸術におけるこんな基本の2つの条件を踏まえて、今日までこれはと
いう日本の優れた創作ダンスが生まれて来なかったについては、そこにいろいろ
な要因が絡んでいる。その一つには20世紀も10年代に入ってようやく始まった日
本の洋舞史、それも現代舞踊がまず先に発展してきたという、この国特有の過去
の歴史がここに大きく関係してくる。しかし今それをあれこれ論じてみても始ま
らないし、そんなスペースもない。

それよりも現実には今から15年前に、この新国立劇場がスタートした時点の、
バレエの上演状況を観れば、問題のあり処はたちどころに明白になる。この時指
導者として初代の芸術監督を引き受けた島田廣氏にとっての悲願は、何とか当時
のスタッフ・キャストの陣容で、少なくともクラシック古典期のレパートリだけ
は舞台に乗せて公開にこぎつけたいという切ない思いであった。

そのため遠くモスクワのマリンスキー劇場から、衣装や美術のセットを借りるや
ら、主役級にゲストを招聘するなど、四苦八苦しながら、どうにか在任中
(1997-1999)には、チャイコフスキーの3大バレエ(「白鳥の湖」「くるみ割
り人形」「眠れる森の美女」)と、続いて「ジゼル」「ドンキホーテ」といった
古典の代表作だけは、形だけでも上演することに成功したのである。

しかしそれで問題が片付いたわけではない。新しい舞台芸術の殿堂を名乗る以
上、当然舞踊分野でも、もっと現代と向かい合った、日本人の手になる切実な今
日的作品が生まれてくる必要がある筈だ。ところがその後の10年を超す歳月をか
けても、その間に生まれたいくつかの創作バレエは、いずれもが形だけの衣装を
着けた時代物か、またはヨーロッパの旧作をデフォルメして見せた、エピゴーネ
ンの域を出ないものばかりだ。

いっぽう現代舞踊を名乗るダンス部の作品はと言えば、こちらはあまりにも近視
的で個人単位。たとえ発想は面白くても、独りよがりの表現や一般への説得力に
欠けていて、いつまでたっても広がりを見せない。それならいっそう思い切って
現代舞踊の発想と、バレエの技術を直結してみてはどうか。こうして浮かびあ
がった着想と企画が、2009/2010シーズンからスタートした、このDance to the
Futureの企画だったのではあるまいか。

さらにひとつ、この戦術をプッシュする力となったのは、この新国立劇場が擁す
るコール・ド・バレエの質の良さと陣容だ。スタート時はともかく、今世紀に
入ってから過去10年、彼女たちがコールドバレエなどでみせてきたアンサンブ
ルの立派さは、回を重ねるほどにその実を示し、評者によっては、そもそもバレ
エの本場であるヨーロッパやアメリカの、どんな大きな舞踊団にもヒケをとらぬ
ぐらいの水準だという見方すらある。おそらくこちらは、ダンサーの育成にかけ
ては右に出る人のいない、第2代牧阿佐美監督が残した大きな業績の一つだと言
えるかもしれない。

そうするとあとに残された問題は、どんな創作レベルの人材を見つけるか、むつ
かしいがプロデュース側の腕次第ということになる。初回の反響と反省の上に
立った翌2011年の第2回には、キミホ・ハルバート(「Almond Blossoms」)と石
山雄三(「Qwerty」)、そして上島雪夫(「Nat King Cole Suite」)の3作家が
起用された。半ばコンテンポラリー、半ばバレエ系、そしてそこへジャズの感性
を投入するといった、制作側の苦渋が見える布石である。評判は悪くなかった。
ただ「見本市みたいだ」という声もなくはなかった。

そこで昨年第3回目には、思い切って単一の作家で勝負する方法がとられた。そ
してこの〔未来を目指すダンス〕には、いわば本命で打ってつけのような人材に
白羽の矢が立った。平山素子だ。バレエ技法を底辺に置きながら、身体による表
現のあらゆる可能性に挑戦することを惜しまない稀有の才能だといえるだろう。
おまけに演出力も十分。披露されたプログラムは、新作「Ag+G」と、新キャス
トによる再演もの(「Butterfly」「兵士の物語」)の計3本。初演(2005)で
は平山と中川賢がオリジナルの組み合わせだった「Butterfly」を、バレエ団の
本島美和+奥村康祐、および翌日は丸尾孝子+宝満直也というダブルキャストの
2ペアで熱演した(共同振付:中川賢、バレエミストレス:遠藤睦子)。ここに
きてこの新シリーズの狙いが、やっと的を射てきたという印象を強く残した2夜
であった。

以上こういう経緯で今回の、シリーズDance to the Futureの第4回の舞台は組ま
れたのである。今回お目見えした創り手は、いわばこの国の若手創作舞踊界では
東西のトップスターともいえる中村恩恵と金森譲の2人。中村は新作1本(「Who
is “Us”」)を含む旧作「The Well-Tempered」からのピックアップである計3
本。そこへ金森のほうは昨年発表された「solo for 2」の再演を加えた、以上計
4本がそれぞれ新国立劇場のバレエ・ダンサーのキャスティングによって演じら
れたのである。

このところ中村恩恵は実によく売れている。ごく最近では昨秋横浜県立ホールで
実現した「兵士の物語」の原作再現や、首藤康之とのデェット(「Shakespeare
THE SONNETS」、「イマージュ」)など、次々と話題に事欠かない。たしかに彼
女は現代舞踊系のダンサーとしては一級品だ。しかし筆者に言わせると、10年前
に帰国してさいたま芸術劇場で発表した「Black Bird」の右に出る作品は、残念
ながらその後まだ出ていない。この見事な祖国への再デビュー作も、それがJ・
キリアンの演出作品であったからこそ成功した。

今回の舞台も湯川麻美子、山本隆之をはじめとして、中堅バレエ団員を動員し
て、よくおのれの振付の魅力は伝えてはいるものの、さてそれぞれ凝ったタイト
ルにもかかわらず、ダンサーたちの熱演の向こうに、創作の主題といったものは
いささか漠然としていて見えてこない。意地悪く言うと、3つのタイトルをどの
3本に当てはめても通用しそうなあいまいさが気がかりだった。

その点金森作品では、最初から狙いは身体の物質性だけに絞って、あくまでもそ
の動きで現代の深奥にと対峙しようとする、作家の精神がシャープに伝わってく
る。「solo for 2」というタイトルが、それ以上でも以下でもなく、観るものの
ハートにまで直接伝わって来て、オリジナリティと現代を感じさせて立派。それ
を演じる小野綾子や八幡顕光、福岡雄大らインタープリターの動きまでが、一段
と光って見えるから不思議なぐらい。もっとも振付補佐(井関佐和子、中川賢)
やバレエ・ミストレス(板橋綾子)らの苦労もなかなかのものだったろうと推測
されるのだが。

とまれ始まってまだ4年のシリーズ、このDance to the Futureには、この国の
芸術舞踊の発展に不可欠な、大きな可能性が秘められている。今後ともの持続的
な発展を祈りたい。



(3月26日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。