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連載コラム いって失礼 いわずに失礼「ダンスレビュー」

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人生の長い旅路と現代舞踊

門 行人 2016年6月16日

このコラムではバレエと現代舞踊とコンテンポラリー・ダンスをバランスよく取り上げたいと思っているが、そうそういいタイミングでいい公演に出くわすものでもない。今回はたまたま現代舞踊の優れた上演が続いたので、この機を逃さず取り上げてみよう。

■毎年『モダンダンス 5月の祭典』という現代舞踊協会主催の公演がある。新人からベテランまでさまざまな作家が短編をかけるのだが、今年の二日目のトリは北海道の能藤玲子だった(2016年5月20日 めぐろパーシモンホール)。能藤は当年とって85歳の大ベテランで、戦前のドイツでルドルフ・ラバンやマリー・ヴィグマンに学んだ邦正美の弟子。芸術の世界には、何も頓着するもののなくなった老境において自分の理想をいっそう自由に追求する例が珍しくないが、今回の作品もまさにそうしたものだった。

上演されたのは2015年11月に発表された赤川智保との共作『霧の谷間』全二章のうち、能藤が振り付けた「霧隠れ」の章。登場する要素は3つで、能藤と半裸の男、それにグレーのドレスに身を包んだ女の集団である。この3要素は原則として互いに干渉しない。女の集団はコロス(注1)の身分なのか、揃って腕を腰の横に構え、やや前傾して行動する。マギー・マラン(注2)における集団の扱いを思い起こさせる。能藤は非常にゆっくりとした速度で舞台を四角く歩くだけ、男はそれに絡むような絡まないような風情だ。見るからに静かな作品なのだが、たったこれだけのことで異様な迫力が生み出されるのは魔術的と言えるほどだ。

バレエはどうしても大都市圏の団体による上演の質が高くなる傾向があるが、現代舞踊はそうと限ったこともない。地元で長い時間をかけて独自の道を歩み、ついにはこれほどの高みに達する例もある。新国立劇場には「地域招聘公演」という企画があり、各地のオペラやバレエのプロダクションを上演しているが、真に優れた達成であれば、ごくたまにでも現代舞踊を(たとえば2団体くらいずつ)呼んでいいのではないかと思う。

■6月初めには旗野恵美・由記子創作舞踊公演があった(2016年6月3日 成城ホール。2回公演のうち15時の回所見)。旗野恵美も邦正美門下。由記子の作品の後、恵美の短編が3つ披露された。すべて新作だ(一部は過去の作品を下敷きにしているとのこと)。

『地霊』は男性二人の作品で、「地球の底力」がモチーフとのこと。フリージャズのドラムがとどろく中、足を左右に開き、両腕を差し上げてゆるやかに右、左と向きを変える動きが特徴的。特別なことは何もなく、重々しくもったいをつけるわけでもないのに、歴史の中で培われてきた日本人の体とはこのようなフォルムを持つものだったのかとあらためて気づかされる。

『テフテフ行進―箱の中―』は趣がまったく違う。タイトルからすると箱の中で飼われている蝶々を描いたものと思われるが、そんなことがどうでもよくなるほど自由な内容だ。7人の女性がマイケル・ジャクソンの『ビリー・ジーン』に合わせて行進し、てんでにポーズを決める。かと思えば、並んで座ってボートを漕ぐ。それぞれ色が異なるスパンコール地の衣装を着た7人が一糸乱れず、しかも自由に振る舞う様子は実にサイケデリックだ。

『鳥の夢』に出てくるのは、麦わらをかぶった老婦人(旗野恵美)と、白いシャツにチノパンの若い男性。祖母と孫にも、施設で暮らす老人と介護士にも見える。もはや自由に行動できない身を囚われの鳥に捉え、だがその見る夢は無辺大だと言うのだろうか。

麦わらを脱ぐところから老女の夢が始まり、男性は往時の恋人に変じる。二人は同じ動きをなぞったり、同じ方を見つめたり。失われた記憶がもう一度生き直される。やがて麦わらをかぶせられて夢の時間は終わるのだが、長い時間の果てに見る夢の美しさを存分に示してあまりあった。大野一雄(注3)を髣髴させた。

■このほか、5月末には江口・宮 名作復元公演シリーズの掉尾を飾る『プロメテの火』が上演された(2016年5月28、29日 新国立劇場中劇場。28日所見)。伊福部昭が作曲を担当し、構成・振付の江口隆哉、宮操子と共同制作して1950年に初演された作品だ。民俗舞踊に取材した江口の『日本の太鼓』も過去にこのシリーズで上演されたが、シンプルかつ骨太に全体を構成している点が共通の特徴だ。

それが可能なのは、迫力に満ちた伊福部の曲であるとか、日本人の身体性のルーツを感じさせる民俗舞踊の身ぶりであるとかに、大胆に頼ることができたからだろう。そこに時代性がある。一秒一秒をより繊細に取り扱うことが求められている今日ではそうも行くまい。

江口・宮作品の持つ魅力に疑いの余地はないが、時代と創作環境に規定されている面があることも見過ごすわけにはいかない。もっとも、だからこそいにしえの名作を現代に再演することが有意義なのだとも言える。

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注1 コロスとは古代ギリシャの演劇に現れる集団要素。個々の登場人物のような個性は与えられず、登場人物の台詞で語られない背景などを説明したりする。

注2 フランス人。80~90年代のコンテンポラリー・ダンスの振付家。

注3 舞踏家。20代の頃に見たアルヘンチーナのスペイン舞踊に触発されて71歳のときに作った『ラ・アルヘンチーナ頌』が80年のナンシー国際演劇祭(フランス)で衝撃を巻き起こし、その後90代まで世界的な活動が続いた。

門 行人(Yukito Kado)
舞踊批評
 
1994年より週刊オン★ステージ新聞などの紙誌に舞台評を執筆。大学では哲学を専攻した。