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藤井 修治
 
Vol.8 「シェイクスピア・ダンス」  
2000年6月20日

先日、シェイクスピアの「リア王」による二つの舞踊公演を二日続きで見ました。バレエ「崩壊」とコンテンポラリーの「キングリア」です。
シェイクスピアの芝居は劇的変化に富んでいて、力量のある振付家が舞踊化したくなる題材でしょう。しかし何分にも原作は言葉の洪水です。言葉のない舞踊で面 白く作るのは容易なことではありません。物語を追うだけではセリフを抜いた芝居になってしまい、面 白くなくなることうけあいです。物語を優先しているシェイクスピア劇を若手の振付家がどう処理するか、お手並み拝見といった気分で出かけたのです。
ところがこの二つは、発想や作りかたが全く違うのですが、両方とも趣向をこらしていて、舞踊というものの豊かさを堪能し、将来への可能性をも感じさせてくれたのです。
さて、シェイクスピアの名前だけは誰でも知っています。そして演劇通でなくても彼の代表作の題名ぐらいは知っています。バレエファンは演劇ファンよりも「ロメオとジュリエット」についてはよく知っているでしょう。しかし世界中のほとんどの人はシェイクスピア作品の題名は知っていても全文を読んではいないはずです。最近、シェイクスピアの母国イギリスの学校でも、国語の時間に彼の戯曲は必修ではなくなるとのことです。しかしシェイクスピア劇には言葉を越えるものがあるのでしょうか。近年シェイクスピアの舞踊化がけっこう多いようです。
シェイクスピアに限らず、小説や演劇を舞踊化したものを見る場合には、やはり原作の設定や進行を知っていたほうが、理解しやすいだけでなく楽しみもはるかに増大するのは当然のことでしょう。
「リア王」の場合は?老王には三人の娘がいます。上の二人が父の権力や財産を狙って父の機嫌ばかりをとるのに対し、本当に父を大切に思っている末娘は何もいわないので追放されてしまいます。しかし姉たちは老父をないがしろにしてしまい、父が末娘の真情を知ったときにはもうおそかったのです。これだけ知っていてもけっこう得をするはずです。
さて、シェイクスピア時代の劇場と同じ構造で建設されたグローブ座で上演されたバレエ「崩壊」は、「ある女の生涯」という副題がついているように、原作のリア王にかわって老婦人が中心となります。安藤雅孝、中島素子という二人の意欲的な若者が考え抜いた結論でしょうか、舞台は現代の日本に移されています。口下手な末娘を勘当した老婦人は、上の娘達につれなくされて反省するうちに大地震で一家は崩壊します。これはもう「リア王」とはいえません。しかし内容を現代日本のありそうな事件に変えたことで親近感と説得力を狙って成果 をあげていました。
いっぽう、新国立劇場小ホールでの上田遙演出・振付の「キングリア」は時代や場所は原作に忠実といえますが、視聴覚にわたって斬新な表現を駆使して見せました。道化たちが大活躍して舞台に活気を与え祝祭的雰囲気を盛りあげます。リア王には舞踏の田中泯、臣下ケントに雅楽の東儀秀樹、そしてバレエの実力者達を配するなどして表現に振幅を加え現代人にアピールしていました。これも結果 的には原作から離れた上田遙の世界です。
こうなると言葉のない舞踊の不自由さが、原作の言葉にとらわれる演劇よりも、振付者独自の世界を作る自由につながっているような気もします。演劇側も負けてはいられないとがんばっています。結局は、演劇も舞踊もしのぎをけずりながら面 白い舞台を目指しているのが現状です。シェークスピア劇は400年たって新しい局面 を迎えています。
ということで、花鳥風月を優先しようといっている僕ですが、21世紀も舞踊を見つづけることになってしまうようです。




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