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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
Vol.73 「日本人の日本知らず」
2003年2月26日
 きょう理容室に行ってヘアカットを待っている時に週刊誌をめくっていたら、カッコいい広告を目にしました。和服姿の外国人女性が襖(ふすま)をあけてきちんと座り、「いらっしゃいませ」といった感じでこちらを向いてニコニコとおじぎをしています。下部は縦書きの文章です。まず少し大きい字で「ニッポン人には、日本が足りない。」とあり、そのあと小さい字で、この女性はカルフォルニアから来て山形の温泉旅館にいる若女将だとあって、彼女は最初は日本の風習にとまどったのですが、いまはすっかり気に入って皆と楽しくしているとのこと。そして終わりに「まず日本人が日本を知ること、それが国際交流の第1歩です」とありました。何の広告かと思ったら広告会社の広告のようでした。
 僕は自分を含めて日本人の日本知らずを痛感しています。この欄でも2年ほど前に「日本人していますか?」というタイトルで同じようなことを力説しましたし、時に応じて似たようなことを書いています。でもこの欄の読者の方々も変わっているようなので、今回は日本の伝統芸能について少しお話しましょう。
 年をとって来たからだけではないと思います。近年日本の伝統的な文物にひかれます。ところが外国の人で僕なんかよりずっと日本の伝統をものにしている人がいるので恥ずかしくなります。京都に住んで京都を描きつづける木版画家、幽玄の境地に踏み込んでいる尺八奏者、等々数えきれません。それなのに僕たちは欧米の文明・文化にどっぷり漬かりっぱなしです。そんなわけで僕は多少の反省を込めてできるだけ日本の伝統に親しむようにしているのです。
 まず理解しやすい歌舞伎が楽しいですね。ことしは歌舞伎の発祥から400年とのことです。ちょうど400年前に京都の四条河原で出雲から来た阿国(おくに)という女性が中心となり歌や踊りを披露して人々を楽しませたとか。以来さまざまな変遷を遂げて現在に至っています。いまでこそ歌舞伎は人間国宝や芸術院会員が続出し大芸術だと思われていますが元来は大衆向けの娯楽だったのです。だから現在でも娯楽的な要素が大きくて肩がこらないので大勢の観客を集めているのでしょう。歌舞伎発祥を記念してことしは年初から華やかな舞台が見られました。
 東京では、1月は歌舞伎座と国立劇場の大劇場、そして若手が大活躍する浅草公会堂と3カ所で歌舞伎公演がありました。歌舞伎座は歌舞伎400年寿初春大歌舞伎と題して派手な演目を並べましたが僕は夜の部だけを見ました。まず悲痛極まりない「寺子屋」そしてもう70歳代も半ばの芝翫が狂乱の若い男を踊る「保名(やすな)」、おしまいは歌舞伎十八番のうち「助六」です。江戸第一の遊び場、吉原の華やぎを描く楽しい芝居です。団十郎の助六の元気さ加減もいいですが相手役、花の盛りのおいらん、揚巻(あげまき)には82歳の雀右衛門が扮します。30キロとかいう衣装をつけてとにかく美しく立派です。揚巻が所属する三浦屋の女房には雀右衛門の長男の友右衛門が実父より年上の役で登場、次男の芝雀は主役揚巻の妹分の役を演じます。揚巻付きの少女2人には友右衛門の2人の息子が初舞台を踏んでいます。親子孫と3代にわたる男性5人全員が女性に化けるというめでたさ面 白さは格別です。男性が女性の役を演じる歌舞伎はやることなすこと派手で女性以上に女性らしさを誇示します。女の役は女がやればいいんじゃないかと簡単に片づける人もいますが、82才の雀右衛門の人工的な美しさ、華やかさは女性には実現できません。
 いっぽう国立劇場は「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」の一作です。江戸時代のお相撲さん2人の確執と友情を軸にした長編です。ふだんはカットされている場面 も見ることができて物語の展開がよくわかりました。吉右衛門の大関ぶりが立派ですっかり感心。ところが浅草公会堂での新春浅草歌舞伎はチケットが入手できませんでした。歌舞伎の若手たちが主役で登場するんですが、彼らは若さと元気を売り物に既成の歌舞伎ファン以外の若い女性陣を動員しているからでしょう。ポスターでも皆が革ジャンなど歌舞伎役者とは思えない姿でポーズしているのもかえって効果 をあげたようです。その中の一人、獅童(しどう)は映画での特異な役柄やテレビでの三谷幸喜作・演出のドラマ「HR」(ホームルーム)でスマップの真悟クンらといっしょに熱血青年を楽しそうに演じています。そしてこういった他流仕合いが本業の歌舞伎の舞台でもマイナスにならずかえってプラスに働いているような気もします。昔の歌舞伎役者の似顔絵から出て来たような古風な顔立ちも得をしているようです。歌舞伎役者の他ジャンルでの冒険は最近のことではありません。大正・昭和の名優もシェークスピア劇に出たりと多彩 な活動をしました。前記の雀右衛門は戦後直後に映画の「佐々木小次郎」のシリーズで主演していますし、幸四郎はミュージカルや新劇にたびたび主演しています。かつての「王様と私」の貫禄、続演を続けている「ラ・マンチャの男」などは他の人では考えられない境地に達しています。一部の歌舞伎俳優のこういった前向きな姿勢が、ともすれば伝統を固守するだけになりがちな歌舞伎を活性化しているのです。1月の3劇場ともに1ヶ月近い公演でチケットの入手が困難だというのは、舞踊公演の側から見たらうらやましい話ですが反省もして考えなければならない問題でしょう。
 2月は歌舞伎座と新橋演舞場で歌舞伎公演がありました。歌舞伎座は昼夜にわたって名作「義経千本桜」の通 しです。前半の昼の部だけを見たのですが、各幕ともに独立しても上演されるくらいですから長時間でも退屈しません。源氏と平家の争いを壮大な絵巻物にしたような作品ですが、昼の部のおしまいは舞踊「吉野山」です。桜が満開の吉野で、義経の恋人である静御前(しずかごぜん)と、彼女を護りながら旅に同行する義経の家来、実は狐の忠信とのパ・ド・ドゥです。忠信は菊五郎、そして静御前はまたまた雀右衛門です。雀右衛門は人間国宝とかで大切にされ、2月はこの一役だけです。次男の芝雀がこの場面 以外での静御前を演じるので、自分の出番が少ないとぼやいていたとかと聞きました。元気ですね。彼は70歳くらいまで革ジャンにヘルメットでオートバイに乗っていたとか、雀(じゃく)の名前からジャックと自称して常に新しいものに挑戦しているとか。そして舞台では古めかしい役を神妙に演じていますが、これが現代人にとってかえって新鮮に見えるようです。しかし二月もおしまい。新橋演舞場に行く時間がありません。残念!
 歌舞伎が各劇場で長期興行をしながらも客席がいっぱいなのは凄いことです。洋舞の世界では考えられないことです。ナンデダローナンデダローと考えますと、結局は歌舞伎が面 白いからだと思います。観客は芸術を鑑賞するなどという気持ちでなく楽しみに来ている人がほとんどでしょう。観客がおとななんですね。ところがこのところ毎年のように来日するロシアのバレエ団の公演に行くと、観客が楽しみに来ているようになったと思います。進化しましたね。でも日本のバレエやモダンの公演もそうなったらいいなとも思います。観客の向上もさることながら、舞踊家や制作側も努力して欲しいものです。
 歌舞伎とバレエは全く相反する部分も少なくないのですが、共通点もたくさんあります。この両方の舞台を見ることで、それぞれのジャンルの魅力を発見することができ、視野も広がります。そしてこの二つの古風ともいえる舞台芸術に新しい魅力をつけ加えることがサバイバルにつながるのでしょう。
 さて、先日、国立劇場の小劇場に文楽(ぶんらく)を見に行きました。久しぶりです。義太夫に乗って人形が演じる芝居です。大阪を本拠にしていますが、東京での人気が高く一年に4回上京します。2月は3部制で3時間ほどの舞台が一日に3回上演されます。1部と2部を見ました。歌舞伎の時代物の多くは文楽を原作にとっています。第2部は「熊谷陣屋(くまがいじんや)」がメインですが、僕は歌舞伎では昔から何回も見ているのですが文楽の「熊谷陣屋」を初めて見たのです。ギリシャ悲劇にも似た究極の悲劇です。源平の争いを史実とは違ったウソの物語に仕立てているのに泣いてしまいました。人形だからこその抑制した演技に感動したのです。もうスペースがありません。能やその対極にある大衆演劇についても書きたいのですが別 の機会にしましょう。

 


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