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幕あいラウンジ バックナンバー

  2004.4/27
「バレエと音楽」

 今日のバレエはいつ頃生まれたのでしょうか。1600年代にイタリアのフィレンツェでオペラ・バレエの形で生まれたとされていますがその原型は紀元前のギリシャ悲劇にあると考えられます。
 今でも遺跡の形でのこっているギリシャ悲劇を上演した劇場跡は周りに階段上の観客席があり、擂鉢状になった下の所が劇を上演する場所です。この平土間ともいえる場所に楽師が陣取り、周りにコロスという集団がいて両方で劇の進行をたすけました。楽師達は劇の進行に合わせ演奏し、コロスはある時はうたい、踊り、演技したのです。この平土間のことをギリシャ語でオルケストルと言います。この言葉はやがてラテン語を経てフランス語にとり入れられました。今でもフランス語の辞典でオルケストル Orchestre を引くと古代ギリシャ劇場の舞台前半円形の場所とあり、転じて劇場平土間前方席となっています。
 ヨーロッパの劇場で一階の真中で舞台が一番見やすいいわゆるS席のことをオルケストル席といっています。そしてこのオルケストルという言葉がいつしかそこで演奏している楽師達も指すようになり、いわゆるオーケストラの語源となりました。コロスはコーラスや、コール・ド・バレエの語源となりました。
 フィレンツェでこのギリシャ悲劇をヒントにオペラが誕生した時、当然、オーケストラが演奏し、主役の歌い演技し、そしてコーラスや踊り手が劇を進行したのでオペラ・バレエの形となりました。
 声のよいイタリアでオペラが発達し、バレエはその同時代フランスの太陽王といわれたルイ14世によってバレエが発達します。
 当然イタリアに範をとったのでやはりフィレンツェ生まれのイタリア人音楽家、ジャン・パプスト・リュリを招いてお抱え作曲家として数々の舞踊曲を作曲させます。
 ルイ14世は自分自身もすぐれた踊り手で数々の舞踊(現在のトゥシューズのバレエはロマンティックバレエの発生までまたなければなりません)に主役として登場しました。又、踊り手を養成する為に王立舞踊学校を作り、これが現在のパリ・オペラ座バレエ学校に発展します。又、その当時、ボーシャンという人が現在の5つのポジションを確立したといわれています。
 バレエは舞踊で劇が進行する総合舞台芸術で、勿論照明や美術台本などが重要な要素ですが、同時進行していく音楽は最も重要なものです。
 リュリが自分の指揮棒(昔は本当に長い棒のようなもので床をたたいて拍子をとっていました)で自分の足を誤ってたたいてしまい、その傷がもとでこの世を去るといううそのような本当の話が伝わっていますが、やっとフランス人の作曲によるオペラ・バレエの傑作が生まれます。ジャン・フィリップ・ラモー作曲の「優雅なインド人」がそれで、このオペラ・バレエの第4幕に"花園の場"があり、今日、バレリーナの祖といわれるマリー・サレとマリー・カマルゴがこのバレエシーンの主役を踊りました。
 2人はライバル関係にあり初日をマリー、2日目をカマルゴが踊ったといわれています。この作品は今でもパリ・オペラ座のレパートリーとなっていて、先年私はパリ・オペラ座でこの作品を見ました。
 今日のトゥ・シューズで踊られるバレエは、1830年上演のオペラ「悪魔のロベール」のバレエ場面が最初だといわれています。このオペラにはこの世のものでないお化け(妖精)の場面があり、空中に浮遊するような情景を表現するためにトゥ・シューズでマリー・タリオーニが踊り、その雰囲気を出すための衣裳が考案され、現在のロマンティックチュチュが作られ、ここにいわゆるロマンティックバレエの時代が到来します。
 踊り子を多く描いた事で有名なドガの絵の一つで"オーケストラ"と題された絵があり、オーケストラピットで特にファゴット奏者がはっきりかかれているものですが、その舞台面は「悪魔のロベール」の妖精場面でタリオーニが踊っている所だといわれています。
 タリオーニを主演としてオペラの一場面ではなく1晩の演し物として最初のロマンティックバレエといわれているのが「ラ・シルフィード」です。この時振付をしたのはタリオーニの父親フィリッポ・タリオーニで、彼はミラノ生まれのイタリア人、この当時まだ踊り手や振付師の世界ではイタリア人が幅をきかせていました。
 「ラ・シルフィード」の初演(1832)後9年目に、ロマンティックバレエの最高傑作「ジゼル」が生まれます。それまでバレエの音楽はただ踊るための踊り易い音楽、いわば二流の作曲家が手がけていたのを、ここでアダンによる一流の音楽が生まれます。アダンはパリ音楽院の作曲科の教授でもあり、この「ジゼル」でヒラリオンのテーマ、愛の主題などを提示し、又、フーガの技法なども使ってバレエ音楽の父ともよばれています。
 この「ジゼル」の主役も又、イタリア人のカルロッタ・グリジで、当時のイタリアのバレエの水準がいかに高かったかを示しています。
 パリでロマンティックバレエの時代はそう長くつづきませんでした。1847年の上演を最後として「ジゼル」はパリ・オペラ座では忘れ去られ、1932年にパリ・オペラ座で復活上演されるまで85年間この作品はロシアで命脈を保っていました。
 これは、ロシアでプティパが手を加えて上演されつづけていたわけで、その間に、ミンクスやプーニやドリゴの音楽が加わったりしました。
 フランスではアダンの弟子でもあったドリーブが作曲した「コッペリア」そして現在のパリ・オペラ座(ガルニエ)の完成柿落しに上演された「シルヴィア」(ドリーブ作曲)があります。
 バレエ音楽を語る上でドリーブの名をあげないわけにはいかないでしょう。グノーのオペラ「ファウスト」のバレエ音楽も実は、ドリーブによって追加作曲された事が今事実となっていますし、チャイコフスキーが「白鳥の湖」を作曲するに際してアダンの「ジゼル」のスコア、ドリーブの「コッペリア」のスコアを取り寄せて参考にしたという事はよく知られています。
 コッペリアには有名なワルツやマズルカ、ハンガリー舞曲のチャルダス、スペイン舞踊のボレロなどがありますが、奇しくも「白鳥の湖」の中にも同じく、ワルツ、チャルダス、スペインの踊り(ボレロのテンポ)マズルカなどがあります。
 バレエの音楽には3つの役目というか要素が必要だと考えています。第一は当然踊り手の為の音楽、アダジオ、ヴァリエーション、コーダなど又、民族舞踊の音楽などですが、第2は、劇の進行を助けるマイムの為の音楽です。コッペリアでフランツがコッペリアに投げキッスをしてスワニルダが嫉妬するところや、白鳥の湖第2幕でオデットが自分の身の上を語る場面の音楽で、ここでは劇と音楽が同時進行します。そして第3は、序奏や間奏曲、そして情景描写の音楽で、その場面の雰囲気を出す為のものです。
 プロコフィエフの作曲による「ロメオとジュリエット」のバルコニーシーンの冒頭の音楽は、正にその中の最高傑作だと思います。
 ジュリエットはバルコニーに立っているだけでほとんど動きはなく、ロメオはまだ登場しません。ここの所の音楽のすばらしさは私はいつもバレエ音楽の醍醐味はここにこそあるのではないかと思ってしまいます。
 次回は個々のバレエ作品と音楽について書いてみます。