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ニュース・コラム

舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」

幕あいラウンジ・うわらまこと

2004.11 / 16
「2つの追悼公演に感じること

ーその業績と今後の問題ー」


 この10月、11月に名古屋と大阪で2つの追悼公演を拝見する機会がありました。追悼とは亡くなられた方をしのんで捧げられるわけですから、悲しく辛いことではあります。しかし、不幸にして亡くなられたということを前提にしますと、公演というかたちで、多くの人々が集まってその人となりや作品を追憶し、再評価する場が設けられるというのは、大変幸せで、羨ましいといえなくもありません。もちろん、それは、それだけの高い業績を上げ、多くの人に慕われていたからではありますが。
 この今回のお2人とは、大阪の江口乙矢さん(11月6日公演)と名古屋の佐々良子さん(10月15日公演)です。お2人と個人的に深いお付き合いがあったわけではありませんが、それぞれに素晴らしい活動をされており、それを評価させていただいていたためか、プログラムに掲載する追悼文のご依頼を受けた関係もあって、公演にお伺いしました。
 お亡くなりになったのは江口乙矢さんは今年の2月、佐々良子さんは5月でした。それぞれの舞踊団、バレエ団の定期公演を追悼に充てられたので、このようなスケジュールになったのです。年齢に敬意を表して乙矢さんからその公演を中心に、少し感じていることを書かせていただきます。
 乙矢さんは1911年生れ、享年93歳。1911年という数字で何を思い出しますか。一般には9.11かも知れません。それはそれで重要な日ですが、1911年はわが国の舞踊界にとって大きな意味のある年なのです。といえばお分かりの方も多いでしょう。そう、旧帝国劇場にイタリアからバレエの教師、V.ローシーを迎えた年です。つまり、乙矢さんの生涯は、日本の洋舞史と深くかかわっていたのです。ご存じのように江口隆哉さんの弟さんで青森に生れ、33年舞踊トレーニングを開始、大阪に居を移し、60年前に寿美子さんと結婚して舞踊団を結成、その後ずっと大阪を中心に活動、多くの作品を発表されてきました。その一方で現代舞踊協会の幹部(最近は副会長、最高顧問)として、モダンダンスの普及と人材育成に努めてこられました。
 25年ほど前から文化庁の助成を受け、その後毎年文化庁芸術祭の協賛公演として新作、再演作を発表、その頃からお子さん満典さんも作品を発表するようになり、江口乙矢、須美子、満典舞踊団として活発に活動してきました。その作風は決して斬新ではありませんが、日本的なもの、あるいはギリシャ神話などを題材に、密度の高い感動的な小品、そして多くのダンサーのための賑やかに盛り上げた作品。フィナーレでは、先頭にたって掛け声をかけるなど、客席を大いに沸かせました。そのなかで大きな試練は一昨年にやってきました。ようやく一本立ちして、後継者としてこれからという時、満典さんを失ったのです。その追悼のための作品「常夜燈」は、亡きご子息への悲痛な思いが強く表現されていました。昨年には「静寂」、「生きる」を発表、悲しみを乗り越えようとした想い、将来への意志がはっきり見えたのですがー。その後入院され、残念ながら帰らぬ人となりました。しかし、昨年の公演まで90歳を過ぎても踊り続けられたということは、高齢化社会のシンボルともいえますし、なによりも踊りへの情熱は生半可なものではありませんでした。今回の追悼公演では、乙矢名作選などとともに、長年のパートナー須美子夫人の「雪の中のオルフェウス」が発表されました。これは、乙矢さんの代表作の1つであり、彼自身を現すといってもよいオルフェウスを(故郷青森野辺地町の)雪のなかに追い求めるというもので、須美子さんの想いがしっかりと表現され、感動を呼びました。
 この家族は3人とも奇しくも亥年、実は私も同じ干支なので余計親しみが沸いたのかも知れません。

 佐々良子さんは、佐々智恵子さんの娘さんで、1942年の生れ、享年62歳。指導者や振付者としてはまだまだ若く、その面でも惜しい方をなくしたと残念な気持ちで一杯です。
 小牧バレエ団を経て、佐々智恵子さんの元でプリンシパルダンサーとして活躍、80年ころから創作を始め、とくにオペラやミュージカルのバレエ化に優れた才能を発揮されました。「ポギーとベス」、「イライザ」(マイ・フェア・レディ)、とくに「カルメン」、「メリー・ウィドウ」は大変な好評でしばしば上演されています。
 今回の追悼公演で、献舞された「カンタータ」とともに上演された「エーデルワイス」(85年初演)も彼女の代表作の一つといえるでしょう。もちろん、これはもとは「サウンド・オブ・ミュージック」。私の想像ですが、良子さんの一番好きな作品ではなかったでしょうか。それは、トラップ家の7人の子どもたちの扱いにとても愛情が感じられること、そして戦いの空しさ、平和の素晴らしさを情熱をもって描いているからです。私も共感するところ多く、見る度につい感動してしまいます。
 数年前から身体を悪くされて入退院を繰り返しておられ、昨年のこの会(「メリー・ウィドウ」)では、病院からお医者さん同行で指導にこられたのです。そのときのカーテンコールが舞台での最後の姿になってしまいました。
 佐々智恵子バレエ団は、海外から指導者やゲストを頼んだり、振付作品を上演するということがほとんどなく、すべて国産でまかなうという姿勢を貫き、しかも素晴らしい業績を示すという、わが国ではユニークな行き方をしています。これも私が評価するポイントですが、それを可能としたのは智恵子さんの人柄、考え方とともに良子さんの存在が大きかったと思います。公的助成もほとんど受けておられない。これも智恵子さんの方針かも知れませんが、それでよく多くの公演を続けておられると感心してしまいます。
 乙矢さん、良子さんのご冥福を改めてお祈りするとともに、残された須美子さん、智恵子さんには、ともに後継者を失っているという厳しい状況のなかでぜひ舞踊団、バレエ団の経営に頑張っていただきたいと期待していますが、その反面、お2人ともご高齢、お体にも十分気を付けていただきたいと思います。
 今年は、記憶する限り、ユニークな舞踊家、指導者として活躍された中島久さん、熊本で九州バレエ学校を経営、地域の舞踊振興に尽力されていた亀井隆一郎さん、そして山路瑠美子バレエ、新人の会のマネジメントで縁の下の力を発揮されていた神村和雄さんも、それぞれまだそんなお年ではないのに、急逝という感じでこの世を去られました。皆さんのご冥福をあわせてお祈りいたします。
 日本の舞踊界は、団体、学校ともそのほとんどが個人、あるいは同族経営、それにしてはそれぞれ素晴らしい活動をされている感心すると同時に、後継者が大変だといつも思っています。これは一般の企業も同じですが、縁起でもないと思わずに、後継者問題はつねに考えておく必要があるのではないでしょうか。