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ニュース・コラム

舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」

幕あいラウンジ・うわらまこと

2009.5/13
 
舞踊と社会
~舞踊が社会にできること~
 
●舞踊の社会的意義
 舞踊は社会に対して何ができるのだろう。その存在価値ってなんだろうか。こんな重い問題、見方を変えれば書生っぽい問題をずっと考え続けています。じつは約50年ほど前に一時舞踊から離れたのですが、大きな原因はその答えが出なかったからなのです。
 もちろん、芸術は社会に必要、経済事情がいくら厳しくなっても社会から芸術をなくしてはいけない。これは明らかで、前回のこのページにも強調したところです。芸術は社会を創造的に活性化し、一方で人々に感動と、時には勇気をあたえ、心を癒し、豊かにします。芸術がなければ、とても心の貧しい殺伐とした世界になってしまうでしょう。
もちろん、芸術には舞踊も含まれます。ただ、私が悩んだのは、「もっと具体的に貢献できないのか、ということでした。例えば、平和を求め戦いを無くす。あるいは格差を減らす、といったことに。もちろん、チャリティ活動はできます、現実にやっている方はおります。さらにとくに舞踊は、精神的、肉体的な障害を克服するため、あるいは健康や美容に寄与することもできます。これらもとても大事です。
 しかし、私が思ったのは、さらに作品の内容で社会に訴え、人々を動かすことはできないのか、という問題です。芸術(舞踊)にそういうことを求めるのは邪道だという考えもあるでしょう。しかし、芸術が表現手段であるとすれば、芸術をとうして社会に参加する(アンガージュ)ことを考えるのは、社会の一員として当然ではないでしょうあ。自分は社会にこのようなことを訴えたい、人々にこのようなメッセージを伝えたいというのは人間として重要な欲求です。
 すくなくとも私は、社会に対するメッセージ性のある作品が大好きで、このような舞台に共感と感動を受けます。
●文学作品舞踊化の方法
 昨2008年もこのような作品に出会いました。
 それを紹介する前に、少し文学と舞踊の関係について述べておきたいと思います。具体的には文学の舞踊化の問題です。というのは、私が過去に感動した作品はそのほとんどが戯曲や童話、さらに詩を含めて文学作品を元にしたものだからです。
文学の舞踊化には大きく分けて2つ方法があります。ひとつはオペラや舞踊曲などすでに音楽や台本が出来上がっているもの、もうひとつは文学を舞踊台本化し、既存の音楽を選び、あるいは新たに編曲や作曲をしたものです。前者でオペラからのものはビゼーの『カルメン』、ヴェルディの『椿姫』などがよく知られています。舞踊のために作曲されたものは、プロコフィエフの『ロミオとジュリエット』、『シンデレラ』メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』などがあり、いろいろな振付者によって舞踊化されています。
 後者、すなわち文学を原作としてスタート、音楽を既成曲から選び、ありは新たに作曲するというケースはたくさんあります。これを書いてる時丁度NHKTVで放映しているマクミランの『マノン』もそうですし、シェイクスピア、トルストイ、デュマ、ストリンドベリー、プーシキンなどの文学作品はいろいろな舞踊家が振り付けしています。最近ではノイマイヤーが『人魚姫』をそのために作曲された音楽で舞踊化したものが日本で上演され話題を呼びました。
 これを広げれば『ジゼル』や『コッペリア』、さらに『ドン・キホーテ』も原作は文学によっているといえます。しかしこれらは文学の舞踊化というより、文学を参考にしながらバレエのために台本をまとめたという方が正しいかもしれません。また、『カルメン』や『椿姫』にも、オペラの音楽でなく、別の曲を使って舞踊化された例がいくつもあります。
●今日的意義を持つ3つの作品
 たしかに上にあげた作品にも、それぞれすばらしいものがあり、またすばらしい演技があって感動させられることは多々あります。しかし、それらはどちらかというと人間のドラマであって、あまり社会の問題を意識するとか、政治的なアピールをするものではありません。
 それに対して、これからあげるものは、戦争や社会の矛盾に正面から取り組んだものです。まず2008年10月に神戸の貞松・浜田バレエ団によって上演された『光ほのかにーアンネの日記』(後藤早知子:振付)です。第2次世界大戦時、ナチスドイツによってユダヤ人が強制収容され殺害された惨劇、そのなかで健気に希望をもって生きながら、ついには悲劇の結末を迎えた少女アンネ・フランクの日記。これをシベリウスの音楽によってバレエ化したこの作品は、1991年の初演の時、その強いメッセージによって観客に大きな衝撃を与え、多くの賞を受けました。私も一抹の希望から一気に奈落の底に落とされ、家族から引き離されて一人づつ連行されていく結末には涙を抑えることができませんでした。ナチスかユダヤかではなく、人々をこのように狂気に走らせ、悲劇をもたらす戦争の恐ろしさ、むごさをみごとに描き出していたのです。この作品を今日上演することの意義と、一方で難しさを感じさせる空気を考えた時、それをあえて取り上げて芸術祭に参加した貞松・浜田バレエ団に敬意を表したいと思います。
 次は12月に東京のバレエ団ピッコロが上演した『マッチ売りの少女』です。これは原作はハンス・クリスチャン・アンデルセン、松崎すみ子さんの振付によって1981年のデンマーク国際アンデルセンフェスティバル・バレエ部門でグランプリを獲得した作品です。ここでは裕福と貧乏の格差問題が、明確に提示されます。貧しく孤独なマッチ売りの少女。金持ちの家族はだれも彼女を相手にしないどころかいじめの対象にするのです。寒さに耐えられない少女は売り物のマッチを擦ってわずかの暖をとりますが、ついにそれも尽きて天に召されます。松崎さんはこれをリアリティをもった感動的な舞踊作品にしています。原作は1世紀半も前のものですが、まったく今日的な重いテーマです。
 もう一つ、もう3年前になりますが、06年に北九州の黒田バレエスクールで上演された黒田呆子さんの『火垂るの墓』(原作;野坂昭如)も忘れられません。第2次大戦後の戦争孤児の兄妹の、周囲から除け者にされながらいたわり合って生きていく努力、そしてついに亡くなった妹を火葬にする幼い兄、戦争の悲惨さをしっかり描いて、深い感動と涙をさそいました。
 これ以外に児童舞踊の分野でも、岐阜県中津川市のかやの木芸術舞踊学園などで、いろいろと今日的な問題をとりあげてダンスやミュージカル作品化しています。ミュージカルといえば、ふるさとキャラバンも過疎や地球環境をテーマにした作品を上演しています。
 今、日本はソマリア沖の油槽船防衛や北朝鮮の飛翔物体の問題で、軍事力を持たなければ、という方向に誘導されています。また派遣切りなどに象徴されるように、貧富の格差は拡大する一方です。
平和で皆が幸せな生活ができる社会、そこでこそ芸術も充分にその機能を発揮することができるのです。そのために今何ができるか、舞踊人もそのことを真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
 このたび国民栄誉賞を受けた森光子さんが、『戦争によって解決されるものもあるかも知れませんが、それでも戦争はしてはいけません』といった意味のことを語っておられたのが強く心に残っています。