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Interview
インタビュー

TAKAHIRO Garden vol.17

TAKAHIRO 何を見て何を感じ、何を聞いて何を思ったか――そういう湖みたいなところからダンスは生まれる

シャープでキレよくスタイリッシュ、日本人ならではの繊細さと洗練で織り上げられたダンスで驚異の迫力を放つTAKAHIRO。
待望のニューヨーク・ダンス集団「THE MOVEMENT」とともに帰国したTAKAHIROが語ってくれた”ダンスの誕生”と”ダンスのこれから”はすべてのダンサー、ダンス・ファンへの贈り物だ。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa

とりあえず知ってる曲で動いてみた

TAKAHIROさんは大学でダンスを始めたそうですが、そこでヒップホップに出会ってしまったという感じなんですか。

初めはどんなダンスにも出会わなかったんです。高校まで厳しい学校で、大学に入って初めて好きなことができるようになって、なんかカッコいいことやりたかった。それまでは勉強するしかなくて、でも勉強も運動もそんなに人より優れていなくって。で、やるなら流行っていること、それこそ女の子にキャーって言ってもらえるようなことをやってみたかったわけです。
でもどうやればいいのかわからなかったからとにかく踊ってみよう、と。ヒップホップって言葉も知らなかったし、それを教えてくれる人もいなかった。
とりあえず、知ってる歌謡曲とか小さい頃聞いたアニメの曲を流して動いてみた。校則もなく、髪型も服装も音楽も自由でいい。おお、何でもできるぞ。すると踊りがカッコいいと思うことより、自分で好きなことやってることのほうが楽しくなってきちゃったんです。

プロになりたいなんてことも思わなくて、体育館が空いていたからそこで練習して、背中でグルグル回る先輩がいたから、それカッコいいですね、教えてください。そんなふうにただ好きなように踊っていた。
当時の僕のあだ名がマイケルなんですけど「マイケル君、おもしろいね、そのスタイル。俺と一緒にやろうよ」って言ってきてくれた人がいて、あ、これ、僕のスタイルなのか、と。いろんな街のライブハウスで踊るようになったんです。それがうけた。それが始まりです。
ヒップップと出会うのはニューヨークに行ってから。アポロ・シアターで優勝したあとですね。

知らないから、プレッシャーがないから何でもできた頃

最初に踊り始めた時に振付家としてスタートしていたんですね。ニューヨークはすごくタフな都市ですが、何がTAKAHIROさんを突き動かしてそこへ行かせたのでしょうか。

僕は学生の頃、入りたいと思っていた会社があった。うちの親戚の者がやっていたんですけど、将来そこで働くんだと漠然と思っていた。でも大学の時にそこがなくなって、改めて自分でやらなきゃいけなくなって。でも他の会社で働くことに自分でもしっくりこない。当時、特に英語がしゃべれるわけじゃないし、システムエンジアの資格も持っていない。自分は何者なんだ?って振り返ったらダンスしかなかったんです。

そのダンスさえ、どうせダメだと捨ててしまったら、自分はたいしたことない男だなと思ったわけです。
それで1回くらい冒険してもいいかな、と。で、最後、大失敗した時にはそれを誰かに話せるだろうって。
僕には人に話せるような大冒険の話なんてなかったから。だから最初は上野隆博という自分の名をそこに立てたい、それこそアメリカに日本人として戦いに行くんだという気持ちで。
大変というより、がむしゃらってやつですね。もう何も見えてない。見えてるんでしょうけど、他のものは見えてないですね。

逆に、見えてないから、いい方向にいった、と。

はい、今だったら怖くてできないかもしれない。知らないってことは無知でありますが、それは時に無限です。期待されてないってことはプレッシャーがないってことですから、どんな恥ずかしいことでも思いっきりできるんです。
それがはじめは楽しかったけど、正直、泣いて帰ろうと思ったこともあります。英語は全くしゃべれないし、ハーレムという黒人街に住んでヒップホップを学ぼうと思ったら、ボコボコにやられちゃって。

それは精神的にということですか?

物理的にです。
アメリカってこれかあ。で、まずは帰れないですよね、やるって言って出て来た。日本の軍歌は「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出たからは手柄立てずに死なりょうか」って。これは軍国主義とかへんな意味じゃなくて、昔はそういうふうに思っている人がいたんだなあ。
僕なんて帰れるんですから、まだ甘いなって。

だからアポロ・シアターの最初の舞台は、俺が俺がですね(笑)。俺を見てくれ。
ステージでヒョロヒョロの何もなさそうなやつが、持っているものにヒップホップを取り入れつつも全然違うことをやった。それを当時の人がおもしろく感じてくれたんだと思うんです。
もし僕がちょっと知識があって、もっと一杯ヒップホップのステップ入れてやったら、黒人の人たちが、あれは俺たちのダンスだ、あいつより俺たちのほうがうまいから、ってなったと思う。

TAKAHIRO

TAKAHIRO本名:上野隆博。ニューヨーク在住。
ダンサー、振付師として日米で活躍。
05年HIPHOPの殿堂「NYアポロシアター」のエンターテインメントコンテスト「アマチュアナイト」に出場し、年間ランキングダンス部門1位を獲得。
翌06年全米放送NBC局TVコンテスト「Show time at the APOLLO」に出場、番組史上最高の9大会連続優勝の新記録を打ち立てグランドチャンピオンとなり、米国プロデビューを果たす。
09年にはマドンナのワールドツアー「STIKY&SWEEY TOUR」とPVにも出演。
10年8月には、自らプロデュースしたダンス舞台公演「SIX DOORS」を日本で成功させるなど、世界で活躍する日本人パフォーマーとして、今最も注目されているダンサーの一人である。
07年Newsweek Japan誌「世界が尊敬する日本人100人」に選出。
08年New York times誌には「TAKAHIROは驚愕の表現者」と評される。

日本での主な活動は
07年世界陸上大阪大会開会式オープニングアクト&振付
08年ブロードウエイミュージカル「トライアンフオブラヴ」(演出;小池修一郎)振付
そのほか主なTV出演
「天才たけしの誰でもピカソ」「世界を変える100人の日本人」(TX)
「熱中夜話~マドンナ特集」(BS-NHK)「徹子の部屋」(AX)
「情熱大陸」(TBS)など
TAKAHIROオフィシャルHP http://www.takahirony.com/

林 愛子 (インタビュー、文)
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
長谷川香子 (フォトグラファー)
ステージフォトグラファー 日本写真芸術専門学校 広告・肖像科卒業後株式会社エー・アイに入社。飯島篤氏のもとで舞台写真を学ぶ。幼少時より習っていたクラシックバレエを中心にコンテンポラリー等多くの公演の撮影を経験。現在フリーで活躍中。

TAKAHIRO Garden vol.17

TAKAHIRO 何を見て何を感じ、何を聞いて何を思ったか――そういう湖みたいなところからダンスは生まれる

シャープでキレよくスタイリッシュ、日本人ならではの繊細さと洗練で織り上げられたダンスで驚異の迫力を放つTAKAHIRO。
待望のニューヨーク・ダンス集団「THE MOVEMENT」とともに帰国したTAKAHIROが語ってくれた”ダンスの誕生”と”ダンスのこれから”はすべてのダンサー、ダンス・ファンへの贈り物だ。

魅力的なのは、思考の向こう側を求めて工夫するダンサー

あのスーパー・マリオの振付を入れたTAKAHIROさんのダンスを客席が喜んでいるのがテレビを通しても伝わってきました。ダンスはストイックじゃないと踊れない。ストイックだけど自由。
自由に踊って自分のスタイルをつくっていく。でも自分を厳しく律する精神がないとつくりあげられない。
TAKAHIROさんのダンスはそれを教えてくれます。

周りの皆さんからはそう見えるのかもしれないけれど、当の本人には普通のことで気にしてません。
たぶん欲しがりさんなんですね。ただ必要だからやる、と。
カレーを作るのにジャガイモを切ることが必要だから切る。美味しいカレーを作るのに12時間煮たほうがいいからコトコト煮るわけです。
すると、もっと自分がウキウキするものができる。自分が求めているものができるんだったら、それはなんでもない過程です。

今、ダンサーの一方で、振付家やプロデューサーの立場でつくっていらっしゃる。その時に、ダンサーに求めるものっていうのがおありですよね。

たとえば上手くても、リハーサルやりました、俺はもうできたぜって思考が止まる人がいる。
でも思考の向こう側を求めて、こうなのか?こうなのか?って工夫している人がいる。
やっぱり一週間ではわからないけど、1ヶ月後、1年後にすごく違いが出てくると思うんです。
そういう人はどんなダンサーであっても魅力的ですよね。

日本人の集団性や繊細さを守りながら、世界に向けて広げていくこと

今、日本の経済力が低迷しているせいか、若い人が内向きになっている。
海外に学びに行く人も減っている。日米を行き来して、感じることはありますか。

ダンスシーンは最近、子供たちが熱くなっているけれども、日本では大人、子供に限らず型っていうのを感じます。それぞれの持っている爆発力がありますが、そこが抑制された型の深みを感じる。
それは我々が日本人であることと関係していると思う。
日本人が食べてきた物とか、育ってきた文化がある、と。
たとえばバラバラでも1人1人がエネルジェティックだったらよしとされる個人主義のアメリカと、みんなで合わせるのが得意な日本と。日本というアイデンティティが強くあるのは誇りです。
これを失ったら世界に取り込まれてしまうだけですから。個人主義がいい、実力主義がいいといいますけど、日本人の本来もっている力は、集団性だったり繊細さであったりするわけです。

でも、時代は今、広がっています。日本が内向的になっているうちに世界はどんどんコネクトして、アメリカもヨーロッパもくっついていっている、そのなかで日本は島国していると取り残されてしまう、というか孤立してしまう可能性もあると思います。だから、自分たちのここだけは譲れないという部分を守りながら、世界に広げていく部分もあったらいいなと思います。特にアメリカに住んでいますと、向こうで見る日本人がやっぱり減りました。韓国の方とか中国の方が増えましたね。
でも、そんなに大変なことじゃないんですよ、ニューヨークでも何万円かあれば行けます。
今、日本の経済が低迷しているかもしれないけど、僕たちは選べますからね。

本当におっしゃるとおりですね。

選べる。選べない人たちは世界にたくさんいる。だからどれだけ恵まれているのかっていうことも逆に知って欲しいです。
持っているんだから。その持ち物が減っただけなんです。それでやればいいという話で、世界に行かれる。ダンスだってその持っているもので、新しいものをつくっていけるんです。

ダンスは練習さえしていれば最高のものがつくれるわけじゃない

TAKAHIROさんの通った暁星は厳しいカトリックの学校で有名ですが、グッチ裕三さんとかモト冬樹さんのような方も輩出しているおもしろい学校で。皆さんそれをバネにして出て行くって感じですか?

そうですね、抑圧もあり厳格だったけど、自分のアイデアはダンスを始める前の蓄積が具現化されているんです。ダンスって練習だけしていれば最高のものがつくれるわけじゃないと思う。
アイデアとか創造力はどこからくるかっていうと、ダンスとそれ以外の日常生活で、自分が何を見て何を感じて、何を聞いて何を思ったかという湖みたいなところからくるものです。
僕の場合ダンスに関わってこなかった17年、18年間が非常に重要で、肥料になっているわけです。

学校はお好きだった?

好きでした。っていうか学校しか知らなかったですね。
僕は東京の下町に育ちましたが、大学に入るまで自分で渋谷も新宿も原宿も行ったことはなかったし、テレビ番組も出てる人もよく知らなかったです。

どんな少年だったんですか?

今の僕から見ると、よくもまあ外界から守られて育ってきたなぁと。無菌君っていうんでしょうか(笑)。
だから成長は遅いです。小さい頃聴いていたお母さんと子供の歌とかカセットテープが5つしかない。
それしかエンターテイメントがないから、それをずっと大人になるまで聞き続ける。子供のポンキッキの歌とか、今でも音楽テープに入っていて聞いています。
新しいものをどんどん取り入れるタイプじゃなくて、それしかないものを何度も何度も聞いて、あとは想像の世界でウフフフって補って、毎回足していくタイプ。
テレビよりラジオを聴くタイプでした。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa

TAKAHIRO Garden vol.17

TAKAHIRO 何を見て何を感じ、何を聞いて何を思ったか――そういう湖みたいなところからダンスは生まれる

シャープでキレよくスタイリッシュ、日本人ならではの繊細さと洗練で織り上げられたダンスで驚異の迫力を放つTAKAHIRO。
待望のニューヨーク・ダンス集団「THE MOVEMENT」とともに帰国したTAKAHIROが語ってくれた”ダンスの誕生”と”ダンスのこれから”はすべてのダンサー、ダンス・ファンへの贈り物だ。

ダンサーであり人間である僕たちにはいろんな目線がある

ダンサーにとって音楽は重要ですが、音楽的なベースは子供の音楽だったんですね。

そうですね。アポロ・シアターのものとか、スーパーマリオのものは奇をてらったのではなくて、ただ自分を音楽のかたちにして、上野隆博という人間を音楽に変換してダンスというフィルターに変換したらこうなりました、っていうだけの話だと思います。

今、新しい音楽に出会うと新鮮ですか?

ダンスに入り始めてから、新しい音楽、流行の音楽、流行の振付にいっぱい出会って、流行のダンスをいっぱい知って勉強して。トップのアーティストとも大勢出会って一緒に仕事をして、ああ、これがほんとのワークなのか、とか思いながら。で、今は逆に、”あの頃”だなと思ったりします。

あの頃とは?

技術や経験や知識がたくさん手に入りましたが、時としてそれは僕をしばっていると感じることがある。
知識や経験や技術はその人の羽になればいい、と思うんです。それがあるからワーッとできればいいけど、いろんな期待とか、TAKAHIROさんがつくるんだからこうでしょう、とか。それは社会的抑制というんでしょうか、今までになかったものです。
今まではただ真っ白なところに絵の具をグジャグジャってやればよかったけど、知らない間に自分の描いた絵で自分自身が囲まれている気分。じゃあまた昔みたいに、やりたいことやっちゃえ、白い絵の具だ、グシャグシャッていうのを、今の2011年にもう一回やってみちゃおうかなって。

そういう欲求ですね。あの頃の自分になって、今度の舞台を。

そこでも、いくつかシーンをつくれたらなと思います。

マドンナの「セレブレーション」をネットで拝見したら、TAKAHIROさんは新宿の路上で踊ってらした。
固いアスファルトから、舞台の板の上まで、なんて自在なダンス!
でも身体には負担は大きいことでしょうね。

そうですね。ボロボロ崩れながら、加速していきながら、でも進んでいくわけです。
ただ、僕はボロボロになっていっても道が続いている。その次の人たちが来てくれればいいわけです。
僕たちは受信者じゃなくて発信者ですから。発信者は発信しよう、と。
ボロボロになってダンスの人生が終わったらまた次の人生があるし、またそこから見えるものがあるわけです。僕たちはダンサーであり人間です。人間にはいくつもの目線がある。
たとえば、僕も今までは舞台でただ踊ることが楽しかった。でも今はつくってみることにも興奮を覚えるし、こうしたい、これを見せたいっていう欲求があったりする。
それから僕がボロボロになって、そのボロボロをどう見せるかっていうのだってある。
ゴミのリサイクルだって芸術ですから。

自分の頭の中で映像として見られた動きが実際に出来たら最高

振付のアイデアは、どんなふうに生まれるのでしょうか?

僕は基本的に一日中イヤホンで音楽を聞いています。
電車でも家でもイヤホンで。小さいトトトという音の重さが聞こえたりするし、あ、こんな音が中に入っていたんだとか、あんまり耳は強くないんですけど、それでひらめく。振付で、僕がヘンなところは、自分の踊っている像や考えようとしていることを、頭の中で映像として見ることができるんです。
それをお客さんのように見るわけです。起きていながら夢を見ることができる的な、たぶんそれは長い間にできるようになった特技です。
で、その映像を見ながらこれはすごい、実際できるかな、と。
自分がソロで踊る時もそうやって、今いいのができた、という時に急いで練習して、それをビデオにとって残す。そして現実の映像を見て、頭の中で見てたのとちょっと違うな、と直していく。何人も振り付ける時にも全体のみんなを見ながら、現実で見てる映像と想像で見ている映像をシンクロナイズしてやっていきます。

それは幸せな時間の過ごし方ですね。

いいものができるとやっぱり幸せで、一人で電車の中でフフフフッ、これはすげえってやっています。
それを実際に人がやって現実になってくれたら、もう最高です。

favorite

思い出の品

2007年か8年ごろ、雑誌でニューヨークのダンス写真を撮ってといわれたことがあって、以来、趣味で撮っています。
振付と通じるものがあって、こうなったらこう撮れるかな?って想像してるのと、実際に写真になった時に映像が違いますよね。
それをどこまで近づけるかというところにウキウキ感がありますね。それと、ふだん見ているもののなかに、見えなかったものが写真では発見できるんです。たとえば下からのアングルだったら、あ、こんなふうに見えるのか、とか。そのふだん生活している中で、いろんな視点で見ることができるのがこのフィルターです。
はじめは小さいカメラだったんですけど、せっかく撮るんだったら、いいカメラの方がと思って買いに行きました。
被写体は、風景でも人物でもなんでもあり。
最近は水たまりを撮るのが好きなんです。そこに映る、上のほうの景色っていうのはまた違うんですよ。
特にニューヨークで撮っていますが、あまり場所にこだわりはありません。

dream

Q. 子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
発明家になりたかった。
エジソンが大好きで、子供向けの伝記を何度も読んだ。みんながびっくりする、わくわくするものを新しく作り出す人に憧れた。

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
世界に通用するエンターテインメントグループをプロデュースしたい。
個人としては「好きなダンス」を深め続けたい。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa

TAKAHIRO Garden vol.17

TAKAHIRO 何を見て何を感じ、何を聞いて何を思ったか――そういう湖みたいなところからダンスは生まれる

シャープでキレよくスタイリッシュ、日本人ならではの繊細さと洗練で織り上げられたダンスで驚異の迫力を放つTAKAHIRO。
待望のニューヨーク・ダンス集団「THE MOVEMENT」とともに帰国したTAKAHIROが語ってくれた”ダンスの誕生”と”ダンスのこれから”はすべてのダンサー、ダンス・ファンへの贈り物だ。

大事なのは僕のための生徒じゃなく、生徒のための僕であること

すでに教えてもいらっしゃいますが、教えるうえで、一番TAKAHIROさんが大切になさっていることは何ですか。

20歳ぐらいの時、日本で、ダンスクラスに通ったことはないけど、初めて教えたことがありました。
俺のスタイルを見せてやるってワーっとやったら、生徒さんはポカーンとして、子供のクラスだから泣いちゃうし、全くまとまらなかった(笑)。
生徒さんがなりたいビジョンと僕が教えられるビジョンが違っていたからです。生徒さんが自分の足でダンスをしようとしたときに、その後押しになる教え方ってあるわけなんですね。でも僕のやり方を教えたら僕になるだけ。僕以外のものを見せなかったら僕以外のものにはならない。
ってことは僕を超えることはないってことです。生徒さんが一人で新しいものをつくっていくために、こんなのもあるよって教えていく。だから僕じゃなくてもできるステップも、僕しかできないものも教えてます。
それらを彼らが持っていればなにかの時に役に立つから。
僕のための生徒じゃなくて、生徒のための僕であること。
経験から、これが大事だなと思っています。

このサイトは大勢の若いダンサー志望の人たちが読んでいます。レッスンを続けていて壁に当たったりすることもあるかもしれません。アドバイスをいただけますか。

そうだなあ、やりたいことをやればいいじゃないか! 君はもうすでにダンサーでしょう、と。
ダンサーの自分がさらにダンサーを目指してやっているんだから、練習もそのためにやってるんだから。
自分で選んで自分でやってるんだから。やらされているんだったらやめればいい。
無理だっていうのは、やってボロボロになってから言えばいいし、本当に無理になったら無理だと言えるから。
まずはやってみれば、うまくいくっていう話です。

TAKAHIRO&湖月わたる出演『ELECTRIC CITY』東京、名古屋、大阪公演
2011年4月19日~27日

NY発最先端のエンターテイメント・ダンスショー
NYダンス集団THE MOVEMENT日本初上陸!

【振付・演出】 Takahiro Ueno/Angel Feliciano
【出演】 TAKAHIRO、湖月わたる、エンジェル、ヒストリー、アノインティッド 他 THE MOVEMENTメンバー
【企画・製作・主催】トップコート/梅田芸術劇場

公演詳細はこちらから

製作発表会見の様子はこちらから

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa
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