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やはりお子さんの頃から舞台がお好だったのですか。
小林「私は「おくりびと」で有名になった山形に疎開して少女時代を過ごしました。東京では、大叔父が歌舞伎役者だったので、小さい時からよく親に歌舞伎や芝居を見に連れて行かれてんです。退屈でも子供心に刷り込まれているから山形では山本安英さんの「夕鶴」をわざわざバスに乗って見に行ったり。学校では演劇をやって、舞台に出るだけでなく装置も衣裳も全部自分たちで作った。東京から行った子供だから標準語が話せるので、ズーズー弁の言語指導とプロンプターやったり、舞台に上がるよりも裏でやるのがすごく楽しかったの。それであとになって、照明や音響、装置とかあるけれど、やっぱり自分たちが演じる時に一番苦労したヘアメイクや衣裳をやりたい、と思ったんです。だから、美容学校では本があるから勉強できるだろうと入学したら、髪が中心なんですよ。」 |
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当時の美容学校はヘアがまず先で?
小林「今でもそうなんです。髪の毛だけでも要素が多いし流行もありますから。でも私は顔を美しくすることに興味を持って勉強して化粧品会社に入って、その化粧品の広告やテレビCMをやることになった。最初の志しが舞台の仕事ですからそれを具現化するには人材を育てなきゃいけない。四千人の美容部員がいますので、メイクがすごくうまい部員を社内でも育成した。発色のいい商品を開発しているうちにそれが受け入れられる時代になり、それまで地味だったのが睫をつける派手なメイクになって'60年代後半から'70年代に流行、私が発想してデザインして工場に作らせたのが大ヒットしていくわけです。」 |
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あの頃は、雑誌でもモデルが付け睫をよくつけていました。
小林「モデルのメイクでは彼女たちが何枚も使うので、それが紹介されて流行の発信源になった。'70年代はヒット商品を作り、ニューヨークへ行き、'80年代は大きな舞台が依頼に来てくれるようになりました。」 |
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