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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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師走話題の現代舞踊3公演を分析してみる:DANCE/LINK/RING、HIMEの会、井上恵美子

日下 四郎 2013年12月24日

芸術祭シーズンがおわり、バレエ・クラシックの定例公演でにぎあう1年しめくく
りの師走は、いわば現代舞踊の恰好の出漁期とでも言うべく、慣例やきまりに捉
われない、良質の問題作が出揃う。今回はその前半から、加藤みや子ダンスス
ペース、HIMEの会(後藤智江・本間祥公・坂本秀子)、井上恵美子ダンスカンパ
ニーの3公演をとりあげてみる。それも個々の作品レポートというよりは、むし
ろ会の個性や企画の狙いを対象に、いささか分析に近いアクセスで、いちばんの
問題点を浮上させるということだけになるかもしれない。最初にそれをお断りし
ておく。

まずは上演順に2日、3日の両日にわたって吉祥寺シアターで発表されたアネック
ス仙川ファクトリー主催の「DANCE/LINK/RING」。江藤裕里亜、西名糸江、寺杣
彩、木原浩太ら加藤みや子ダンススペースのメンバーを軸に、適宜ゲスト(笠井
瑞丈、大前裕太郎、四戸賢治ら)を加えながら、“昼リン”、“夜リン”というおも
しろい区分で、各回6作品の3ステージで編成した。筆者の観たのは3日のソワ
レ、すなわち2日目火曜日の“夜リン”だった。このシリーズ、vol.6という数字が
示すように、スタートしたのは2006年。すでに7年の歴史を持つが、その狙いは
「幅広い経験層のパフォーマーが集まり、外へ輪を広げつながる場として始め
た」(PRノート)とあり、会場も地元のアネックス仙川ファクトリーのみなら
ず、俳優座、セッションハウスなど、なかなかに意欲的だ。

実際、ダンスアーティスト加藤みや子の持つ個性と才能は、群を抜くそのプロデ
ユース力にあるといえるだろう。早くからおのれのグループを引き連れ、ニュー
ヨークやサンパウロなどで実現させた海外公演の実績はもとより、何よりも感心
するのは、それらの体験を通して得た、人的交流サークルの広がりである。そし
てそれらの人材を手早く生かしながら、次々と新しい舞台づくりに挑む積極性は
抜群。同時に国内の大学でも芸術学部の教諭として生徒を指導、毎年学園祭のプ
ログラムにも強いリーダーシップを発揮している。実にエネルギッシュな行動の
人と言えるだろう。

一方、ダンサーとしての技量と立ち位置についてはどうだろう。東京創作舞踊団
モダンダンス藤井公・利子門下の出身であり、早くから高弟の一人として注目を
浴びたが、なんといっても1977年に文化庁の在外研究生として渡米、それもあえ
て西海岸カリフォルニアのアン・ハルプリンに付いて学んだことが、その身体表
現とスタイルに大きな影響を与えた。

それを一口で述べると、身体を日常のナチュラルな流れのなかにとらえ、内部か
らの情念を排しながら記号化して繋げるという方法であろう。つまりこれはポス
ト・モダンの発想に他ならない。当時USでトレンドであったこの表現メソードを
現地で体得し、帰国後自らのダンスグループを結成して普遍化に努めた。ただハ
ルプリンの場合は、これにセラピー(治療)という視点がもう1枚加わってくる。

しかしこれには加藤の関心は薄い。それに代わって参入してくる要素が美術だ。
単に身体による表現以外に、さらに空間意識の加わった大きな舞台の勝負になる
と、そこへ造形美術が加わる。こちらは明らかに彫刻家であり嘗ての夫であった
故・畦地拓治氏から影響が大きく、この両者を合わせたものが、加藤みや子の芸
術フィールドにおける産物でありアイデンティティと言えるだろう。

今回あらためてその特質を巧みに活かして勝負したのが、2夜にわたるトリのプ
ログラムとして準備した「3つの神話」である。なぜ巧みかというと、それぞれ
神話の担い手(?)としてここに登場するのは、石井かほる、上杉満代、加藤み
や子という、テクニックや美意識、いやひょっとすると思想までの全く違う3人
の舞踊家たち。この絶妙なキャスティングによって、加藤はあえて自らのスタイ
ルを相対化し、空間全体を豊富な身体ヴォキャブラリーに満ちた作品へと昇華さ
せることに成功したからだ。

神話というタイトルが持つ象徴性にはいささか届かなかったにせよ、フロアを跨
いでセットされた蛇腹のような巨木(美術:三輪美奈子)をまたいで、3種の個
性が前後・左右に出没、これらベテラン舞踊家たちが織りなす自在のダンス空間
は、いわばパフォーマンスの相乗作用による妖しげな効果によって、ダンス・
ファンを飽きさせないテンションの高い時間帯と化したことだけは確かなようだ。

さて2日置いた5日、6日の2夜は、渋谷のセルリアン能楽堂で、HIMEの会主催によ
る「切戸の奥」の東京公演である。あえて東京公演というのは、この舞台はやは
り一週間前に、九州の大分市で市民公園能楽堂で初演されており、その結果ある
種巡回公演の形をとった作品だからだ。ただ能舞台とモダン・ダンスの組みあ合
わせは、特に珍しいものではなく、東京でもいくつかの先例がある。しかしなが
ら今回の企画とパフォーマンスに、どこか芸術ダンスの贅沢版といった匂いがた
だようのは、ここに登場する後藤・本間・坂本という顔ぶれが、揃ってこの国の
モダン・ダンス界にあって、いわば油の乗りきった一線級の成熟女性ダンサーた
ちであり、それら3人の姫たちが、いずれも極上の華麗な洋装仕立てで、3つの
ソロ(「桜塚」「いちばんここに似合う人」「隠れ里」)を披露した後、最後に
能師(高井松男)の語りを交えた創作コラボレーション(演出・振付:山口華
子)を見せると言う、ある種の構えたその構想の彩どりにあるかとおもわれる。

したがってその踊りの質は、いきおい日本の現代舞踊が持つ耽美風の様式美に立
脚している。いわば和性スタイルによるバレエ公演ともいえよう。そしてその範
疇にとどまる限り、この企画は成功しており、見所に詰めかけた大半の唯美派た
ちの感性を裏切らないものがあった。あえて選んだ舞台としての能楽堂も、つま
りはそのためにあったのだ。そこにはすでにこの国の先達たちの手になる、すで
に完成された視覚美と空間があり、いまさらあらためて装飾やセットの工夫も不
要(不可)だからだ。

しかし感性以外の概念や主題になると、いささか道に迷ってしまう。公演タイト
ルの「切り戸の奥」をはじめ、「秘すれば花」のキャッチフレーズ、あるいはプ
ログラムシートに記された引用文や解説の麗句は、いずれも作品の中味や意図へ
の道しるべとは言い難く、舞台上にその具現の影は希少だった。むしろレトリッ
ク上のソフトな作為が本来の意図だったのだろう。その意味ではそれらの文体
は、たしかにこの日の舞台の進行中、そこここから漂ってくるほのかなナルシシ
ズムと、見事なまでに一致していたといえよう。

次に触れるのは、師走前半のラク日にあたる13日、14日の井上恵美子ダンスカン
パニー公演である。場所は新百合ケ丘にあるアルテリオ小劇場。年末恒例のグ
ループ行事だが、今年はここのところ井上個人が、ここ数年シリーズとしてあち
こちで演じた「狂詩曲」がメインタイトルになっている。もっとも前半のプログ
ラムは、例年のように本人並びに天野美和子、津田ゆず香などグループ内のトッ
プ陣の振付けによる作品6本を並べた。

いつも思うのだが、この舞踊家が持つ振付力の強かさは一流で、決してひねった
観念などにはとらわれず、ダンスの楽しさをストレートに伝えてくれる。今回
トップに組まれた「みかん協奏曲」などもその典型で、黄色い帽子とチュチュの
衣装をつけた6人の団員が、ちょっとした小話をにおわせながら、クラシック曲
でこなす出来栄えは、わかりやすいのに観客への媚などは一切なく、ミカンを転
がす最後のオチまで、目いっぱいのテクニックで踊りぬく。

その点で言えば、看板シリーズである2部の「狂想曲Ⅵ」は、これまでに比べて
やや迫力に欠けた。巨大な紅白幕や凝った被災地のセット(美術:森壮太)な
ど、意欲はじゅうぶんなのだが、“祭りと災害”という対比がやや図式的なのと、
これが老女を襲った直接のアクシデントではない分、本質的に狂騒を喚起し得
ず、またそれを補おうとした客への即席インタヴューも、残念ながら東北災害と
の関連を引き出せず、これも不発でアンラッキーだった。

以上駆け足の舞台所感だったが、それとは別に3公演を通して見えてきた明るい
光のようなものがあった。それはそれぞれの舞台で活躍する主演者たちの2世の
存在だ。ダンススペースに出品した畦地真奈加のユニークな作風(「苗樹アイド
ル」)、HIMEの会のコラボレーションで示した山口華子の骨のある演出(創作
「タノム木ノモトニ雨フル」)、井上公演のデュオ(「again」)が示したあわ
ためぐるの表現力。いずれも加藤、本間、井上が身をもって生み育てた血肉の産
物であり、それぞれに才能の片りんを窺わせて、コンテンポラリーにとっての貴
重なホープだ。今後ともの更なる健闘を祈りたい。(以上夫々3日ソワレ、6
日、14日の所見による)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。