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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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2月の公演より

日下 四郎 2014年3月3日

【都民フェスティバル参加スターダンサーズバレエ「ドラゴンクエスト」2幕 15/16日 ゆうぽうとホール】

このユニークなスターダンサーズの作品が初演されたのは、1995年すなわち今から20年も前の話になる。以来このバレエ団のレパートリーにあって、最も人気があり、ことあるごとに舞台で再演されて、いまやピカイチの代表的演目と目されるまでに至った。しかし告白すると、筆者がこの作品を生で通して観たのは、実は今回が初めてなのである。それはもともと昭和シングル生まれの私が、コンピューターゲームや漫画の世界には全く縁のない人間で、それゆえこの1本は、どうせ子供相手の客寄せに、余暇を利用して手軽に仕立てあげたサイドワークの1本だと軽く考え、これまでついに時間を割いて観に行こうとしなかったからに他ならない。

ところが今回客席に座って、じっくり最初から見終えたあとの感想としては、この「ドラゴンクエスト」は、この国が真の意味で自らの文化と素材を用いて作り上げた、オリジナルな創作バレエの1本とと呼んでいい、すてきな舞台だということだ。ダンス・クラシックという表現技術以外に、海外からの頂き要素は何もなく、加えてそこへ鈴木稔というこれまたスタダン所属の優れた才能が、各景の振付に独特の味わいを付与している。音楽(すぎやまこういち)、美術(岩崎孝子)も、当然一からのオリジナルだし、人物配置やストーリー(台本:河内連太)も程よく工夫されていておもしろい。その都度親子連れのバレエファンが、大きな劇場を満席にしてつめかけるし、再演を要望されるチャンスもすこぶる高い理由だといえる。

誉め倒しということもあるから、あえてひとつ難点を指摘するとすれば、原作のゲームを意識してか、全体の流れがややハイテンポ一色にすぎる。オーケストラの演奏ではないが、アレグロやプレストだけでなく、どこかにアダージオとかラルゴのゆれもどしが欲しかった。王女の設定もあり、しみじみとしたロマンティックの味を楽しむ章など工夫すれば、これはもうこの国のバレエ史にとっての悲願である、今日的グランドバレエの誕生につながる画期的な1作だったかもと、そんな思いが後に残った。(16日所見)



【上田遥プロデュース〔煌-きらめき-〕ダンスステージvol.1 20/21日 かめありリリオホール】

パフォーミング・アーツの見本市とでもいうべきか、この作品仔細に見ると、ダンスを筆頭に、あらゆる身体表現のサンプルが残らず招集をかけられ、みごと一同に会した感がある。音楽、サーカス、ペインティング、軽演劇、ヴォードビル、その他その他。そのダンスもモダンと呼ばれる既定の一定枠にこだわらず、バレエあり、エスパニョルあり、ヒップホップあり、あらゆるメソードとリズムを取り込んでの華々しいショーの展開である。そして各ジャンルに顔を出すスター級の人材は、すべてプロデユーサー上田遥の、過去の仕事を通じての、人間的接触から成立した仲間ばかりだ。そこが何とも言えない魅力の源になっている。

その彼が昨年の秋に、おのれのデビュー30周年を記念して、《煌プロジェクトvol.0》を立ち上げた。そしてその時の好評と体験に力を得て、あらためて正式にvol.1の称号を掲げて発表したのが、このダンスステージ〔煌-きらめき-〕の舞 台である。プログラムは前回のひそみに倣って3部構成;はじめにドラムとタップの「ビートジェネレーション」、ついで満身に艶っぽいボディ・メイク(デザイナー:小林照子)を施した花形ダンサ2人(舘形比呂一・三木雄馬)の、ダンス・クラシックの乱舞。メインとしてのトリは、コントラバス奏者斉藤順をフィーチュアした内容で、題して「Miracle Wave」。ミュージカル界からの参加もあり(ヴォーカル:和音美桜・小林遼介)の参加もあり、数々のオリジナル曲に群舞をまぶしながら、自らも前田清美とペア(アルレッキーナとコロンビーナ)を組んで、ショー全体の流れをつくっていく。

上田プロデュースの作品のよさは、自身が持つ生来の才気を、素直にエンタメの世界へ演繹して行こうとする独自のショーマンシップにあり、しかもそれは一定の品位を保っていて、決して芸術の領域からこぼれ落ちることはない。それが多くの仲間の関心と敬意を生み、期せずして毎回新鮮で生気あふれる舞台の誕生に大きなモティベーションとなっている。ある意味では集団芸術の世界で考えられるユートピアの1サンプルともいえるのではないか。(21日所見)



【パントマイムシルヴプレ№9「ほぽさんぽ」 柴崎岳史・堀江のぞみ 21/22日 中野plan-B】

しばらくぶりのマイム公演を見る。しばらくというのは何より先ず会場のplan-B のことで、地下鉄丸ノ内線富士見町駅から地上に出て1分、とチラシにもあり、 私の記憶でも事実それぐらいの筈であったのだが、さて歩き出すと途中不安に なって工事現場の関係者に訊ねたぐらい。結構3分前後はかかったように思う。 ただし階段を下りて、開演5分前まで待たされた四角い待ち合い室など、周囲の たたずまいは、今は亡き舞踏家GやモダンダンスKを観に通った往時とすこしも変 わらなかった。

ただ今回の演者〔シルヴプレ〕は私には初見で、柴崎・堀江コンビの名前も初め て知った。結成以来10年を超えるキャリアだそうで、寡作ながら固定のファン層 をつかみ、斯界ではなかなかの評判組の由。そして狙いは一貫して“愛―そして男 と女”だそうで、前後90分の中味も、「クリニック」、「港のクリーニング」、 「ほぼ奥さん」など、日々の生活に生起する人間心理の綾を、ユーモアと皮肉を 交えながら軽妙にスケッチする。プログラムには更にサービスとしての影絵 ショーなども添え、数十席の小サな空間ながら、はみ出さんばかりの客数と熱気 で、みなすこぶる満悦の様子だった。

ただ戦後の一時期、フランス映画「天井桟敷の人々」が封切られ、そこに出演し た俳優ジャン・ルイ・バローが来日してパントマイムの神技を披露、さらにその 後日本にも国産の女性マイマー、ヨネヤマ・ママコが出現した往時の熱狂を知る 者にとっては、今がそれほどのブーム期とは思えず、また表現テクニックが、そ れほど前進したとも言えない。ただ身体を表現素材とするマイムは、ある意味ダ ンスと最も至近の位置にあり、また抽象でなくリアルな描写を武器とする点で は、現実や社会を直接相手取ってモノを言える特質を持つ。その意味ではむしろ 社会や時代にもっとも見合った、現代芸術としての可能性を秘めたジャンルだと 言えないだろうか。

先月に引き続き、入り口付近でまたもや架空のオーディエンスABペアとすれ 違った。以下小耳にはさんだ両者のやりとり:――

A 「マイムを生かしたコント集といったところね。それなりに楽しめたじゃん」
B 「ただ作品タイトルの“ほぽさんぽ”って何のこと?よくわからなかった」
A 「プログラムシートの隅に、小さく用語説明が出ているわね。フランス語で reposと書いて、これは休み、休憩時間、休養のこと。つまりお散歩のひとと きってぐらいの意味かな」
B 「ああ、ルポルタージュなんかの“ルポ”ね。それがどうして“ほぽ”なの」
A 「フランス人はRの文字を、咽喉の奥(ノド○○○)を震わして発音するので、 いちばんそれに近い日本語を当てたらしいのよ」
B 「でも日本人が“ほぽ”と読むときは、ただ唇の先を開閉するだけで、咽喉と は何の関係もないわ」
A 「たしかにこのおフランス熱、マイムの出来やユーモアに、特別プラスして いるとは思えないわね」

(以上22日マティネ所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。