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ニュース・コラム

ロンドン在住・實川絢子の連載コラム「ロンドン ダンスのある風景」

ロンドン ダンスのある風景

Vol.3湖水地方

 
 大都市ロンドンには、さまざまな人種や宗教のコミュニティが多数存在するため、時としていわゆる伝統的な〈英国らしさ〉を感じられないことがある。バスや電車の中ではありとあらゆる言語が飛び交っているし、コミュニティ色の強いマーケットなどに行くと、〈本当にここは英国だろうか?〉と思ってしまうこともしばしば。それがロンドンの面白いところでもあるのだが、そんな都会の喧騒に疲れたときは、やはり英国の田舎に行くのが一番だ。
 今回、日本人に人気の観光スポットとして有名な湖水地方に初めて行ってみて、まさにそれを実感した。美しい湖もさることながら、草原でゆったりと草を食む羊たちやなだらかな丘陵、おおらかでありながら手入れの行き届いた庭園や石造りの家の可愛らしい街並みなど、伝統的な英国文化と手付かずの自然の両方を存分に堪能することができた。
 
 
   
 
 
 ロンドンから湖水地方へは、ユーストン駅から電車を乗り継いで行く。3時間半の長旅である。湖水地方の入り口であるウィンダミア駅を降りると、すぐそこがウィンダミアの街。湖水地方の中で最も観光地化されている街で、通りには土産物屋やレストランが軒を連ねている。
 宿は、ウィンダミアを南下したところにある、ボウネスという街の郊外にあるB&B(ベッド・アンド・ブレックファーストの略、日本でいう民宿)を予約しておいた。天蓋付きベッドがある優雅なインテリアの部屋は、ホテルのスイートルームのような豪華さで、一人60ポンドという値段が信じられないほど。ロンドンのホテルで同じクオリティの部屋に泊まろうと思ったらこんな値段ではすまないだろう。可愛らしい庭を眺めながらの朝食も、地元で採れたフレッシュな野菜や、この地方の名産カンブリア・ソーセージ、手作りのジャムなどが並ぶ本格的なイングリッシュ・ブレックファーストで、とても上質なものだった。大きなホテルも良いが、地方に行くときは、こういう味のあるB&B に泊まる方が居心地が良くて気に入っている。
 
 
   
 
 
 宿からは、まず車ごとフェリーでウィンダミア湖を渡り、ピーター・ラビットの作者ビアトリス・ポターが住んでいたヒルトップ農場、古い街並みの残るホークスヘッドを周った。ヒルトップ農場のポターの家は、小ぢんまりとしていたが、内部はナショナル・トラストの管理の下、ポターが住んでいた当時のままに保存されており、食器コレクションや家具などを見ながら、当時の彼女の生活に思いを馳せることが出来た。家の窓から外に目をやると、庭にはバラが咲き乱れ、柵の向こうにはどこまでも草地が広がっている。そこに野生のウサギが跳ねているのを目にして、ロンドンに生まれ育ったポターがこの光景にどれほど癒され、それがいかに作品にインスピレーションを与えたかということが少しわかったような気がした。
 
 
 
 ウィンダミア湖の北部にあるアンブルサイドの街は、石造りの家が立ち並び、趣のある街である。キッチン用品店などの小物屋、可愛らしいカフェなどがあり、街中を流れる小川のように、ゆったりとした時間が流れていた。ロンドンではお店に入ると、スタッフのほとんどがインド系、アラブ系、東欧系、アフリカ系などのエスニック・マイノリティの人々であることが多いのだが、湖水地方は完全な白人英国人社会で、それにも改めて少し驚いた。
 
 アンブルサイドのすぐ北には、ワーズワースが住んでいたダヴ・コテージで有名なグラスミアの街がある。これまた小ぢんまりとした街で、絵本の中のような雰囲気。ボンネットをかぶった女性が名物のジンジャーブレッドを売る姿を見て、タイムスリップしたような気分だった。
   
 
 
 さらに北上するとケズウィックの街に着く。そのすぐ傍には、キャッスルリグのストーンサークルがあった。ストーンサークルといえばストーンヘンジが有名だが、湖水地方にも謎のストーンサークルがあるのだ。細い道を登っていったところに突然現れるストーンサークルは神秘的で、そのスケールの大きさはなかなか感動的だった。周りはただただ自然に囲まれており、見逃してしまいそうなくらいの小さな看板がひとつあるきり。一切観光地化されていないところにも感心した。
 
 
   
 
 
 ケズウィックにあるダーウェント湖は、ウィンダミア湖に比べ観光地化されていないためか、より落ち着いた印象。湖の脇の小道を登っていったところにあるアッシュネス橋からは湖と周りの森を一望でき、その美しい風景に言葉を呑んだ。
 たった3日間の滞在だったが、のんびりした自然に囲まれて過ごした時間は、いつもよりゆっくり流れているように思えた。B&Bのオーナーが、「最近旅行でロンドンに行ったけど、もうあそこには住めないと思ったな。何もかもが早回しのスピードで、人も皆気ぜわしくて・・・ついていけないよ」と言って肩をすくめた姿が印象に残っている。
 
 
   
實川絢子
實川絢子
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。