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ロンドン在住・實川絢子の連載コラム「ロンドン ダンスのある風景」

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ロンドン ダンスのある風景

Vol.11ロイヤルバレエ団『シンデレラ』

頂点を極めた人が表舞台から退く時、人々の反応は2つに分かれる。惜しむか、忘れるかである。今の英国国民の最大の関心事、それは英国13年ぶりの政権交代。今回、投票所が多数の投票者で大混乱に陥るほどの異様な盛り上がり振りをみせた英国総選挙だが、大接戦となって結局どの党も過半数を占められない「ハング・パーラメント」(中ぶらりん議会)という結果になってしまった。労働党は91もの議席を失って保守党に第一党の座を譲ったものの、ハング・パーラメントになったお陰で、ブラウン首相は大敗を記してもすぐには辞任せず、第三党となった自由民主党を取り込もうと必死にあがいた。失言問題など、選挙日直前まで失態が続き、最後は人気下降の一途だったブラウン氏。多くの国民が、総理大臣の座にい続けようとする彼を〈みっともない〉と非難した。先日ついにブラウン氏は感傷的なスピーチを最後に首相官邸を去ったが、次の瞬間にはもうメディアと国民の関心は次のキャメロン首相へ移った。多分もう、ブラウン氏を惜しむ人はいない。
一方、英国バレエ界の頂点を極めた日本人ダンサーがロンドンの舞台を去った時の人々の反応は全く逆だった。ロイヤルバレエ団のプリンシパル吉田都の、ロンドン最後の舞台を観た観客・批評家たちは、口々に「まだまだ私たちの前で踊ってほしい」と言って彼女の退団を心から惜しんだ。通常、ロイヤルバレエのプログラムは赤い無地の表紙なのだが、毎年『くるみ割り人形』のプログラムだけは例外的に、金平糖の精に扮した吉田都の写真が使用されてきたことからもわかるように、文字通りロイヤルバレエの看板ダンサーとして英国の観客に愛されてきた吉田都。ロンドンの舞台を去っても、ここ英国で偉大なダンサーの一人として語り継がれていくはずだ。

現在ロイヤルオペラハウス内に展示されている「LITTLE COSTUME SHOP」 左上にあるのが『シンデレラ』春の精のミニチュア衣装(購入も可)

〈英国ロイヤル・スタイルの体現者〉と謳われてきた吉田都のコヴェントガーデンでの最終舞台の演目は、『シンデレラ』。1948年に初演されたアシュトン振付の『シンデレラ』は、プティパ・スタイルを踏襲した英国初の全幕バレエ作品だ。誰もが知っているおとぎ話をバレエ化した作品だが、プロコイエフのやや暗めのトーンの音楽に載せて、ファンタジーのような美しいバレエの世界とグロテスクなマイムの世界がほぼ同じ比重で展開する、バレエ作品としては異色の作品である。『リーズの結婚』、『オンディーヌ』をはじめ、アシュトン作品での評価が高かった吉田都だが、その二面的な構造が時に中途半端な印象を残すことがある『シンデレラ』をコヴェントガーデンでの最後の舞台に選んだのは、筆者にとってははじめ少し意外に思えた。
しかし、亡き母への思慕、惨めな境遇、舞踏会への夢と希望、意地悪な義理姉と立場の弱い父への複雑な思いといった、シンデレラの中で交錯する様々な感情が、第一幕で次々と丁寧にステップと演技で表現されていくのを目の前にして、その疑念はたちまち消えてしまった。そこには、長年ロイヤルバレエを背負ってきた吉田都の軌跡の縮図というべきものがあり、それはシンデレラの軌跡と重なって、2倍にも3倍にも説得力を持つ踊りとなっていた。特に印象的だったのは、舞踏会に連れて行ってもらえず置いてけぼりになったシンデレラが、箒をパートナーに見立てて踊る場面。特に派手な踊りではないものの、音楽を拾い上げるかのような精緻なステップの中に、シンデレラのユーモア、哀しみ、夢や絶望といった感情が万華鏡のようにくるくると表情を変えて表れ、背景まで変わって見えるような錯覚を覚えた。そして第二幕の、舞踏会に到着し、ポアントで階段を降りていく場面。一歩ずつ階段を降りるたびに不安が期待と希望に変わっていく様が丁寧に表現され、吉田都ならではの印象的なシーンとなった。かつて、遠い日本から英国にやって来て、コンプレックスの塊としてスタートしたと語っていた吉田都。努力に努力を積み重ね、演劇国英国で演技力も磨き上げてプリンシパルとして花開いた彼女は、まさにこのシンデレラの道を一歩一歩歩んできたのだ。第三幕の最後の場面で、妖精に送り出されて王子と共に未来へ向かって出発するシーンは、現実の彼女のロイヤルバレエからの旅立ちとも重なって、これまで以上に感動的な場面となった。
今回の王子役は、昨年の『くるみ割り人形』に引き続き、若手プリンシパルのスティーブン・マックレー。パートナリングにややタイミングが合わない場面が見られ、シンデレラがリードしているような印象を受けたところもあったが、最後にロイヤルバレエ新世代を代表するマックレーと組んだことは、様々なパートナーと組んだ吉田都のロイヤルバレエ時代を象徴しているかのようで、興味深い組み合わせだった。
残念だった点は、コール・ド・バレエにロイヤルバレエにしては珍しく多くの乱れが見られたこと。『シンデレラ』は来シーズンでも引き続き上演されることになっているので、次回に期待したい。また、プリンシパル以外で最も光っていたのは、秋の精を踊った高田茜。他の四季の精と合わせて踊るシーンでは音楽に一人合わないところもあったが、ソロでは切れのあるシャープな踊りで強烈な印象を放った。コール・ド・バレエにいても一際目を引く存在の高田は、来シーズンも重要な役に抜擢されているので、今後ソリストとしての活躍を期待したい。

カーテンコールでの吉田都

終演後は、長い長いカーテンコールが続き、溢れんばかりの花が舞台に向かって投げ入れられた。バーミンガム・ロイヤルバレエ団の元監督で、吉田都の才能を開花させたピーター・ライト卿、同世代の元プリンシパル、ジョナサン・コープも花束を持ってサプライズで登場し、吉田都も感無量といった表情。幕が下りた後も、客席の拍手に応えて何度も何度も舞台に登場し、最後にはバレリーナらしからず両手を挙げて手を振っていたのが印象的だった。26年間英国の観客を魅了し続けてきたバレリーナは、ロンドン最終舞台でも完璧な踊りを見せ、すがすがしくロイヤルオペラハウスの舞台から旅立っていった。
實川絢子
實川絢子
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。