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ニュース・コラム

舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」

幕あいラウンジ・うわらまこと

2009.4/17
 
問題山積のわが国舞踊界
 ー不況の時こそ芸術をー
 
● 不況と構造的問題のダブルパンチ
年齢のせいでしょうか、時が経つのはほんとうに速くなりました。半年や1年はあっと
いう間に過ぎてしまいます。とくにこの半年は目まぐるしいものがありました。まず、アメリカ発のサブプライムローン問題からリーマン・ショック、世界的な大不況に突入。国内では福田内閣から麻生内閣へ、小泉内閣の負の遺産である派遣社員がどんどん切られる状況に対応できずに、ボランティアの派遣村に頼らざるを得ないという暗い年の瀬となり、西松建設問題も起こり、政界はますます混乱の度を加えています。
 一方、ソマリア沖の海賊対策として海上自衛隊の護衛艦が出航したり、つい最近では北朝鮮の飛翔体の発射で政府やマスコミは不安感をあおりまくるなど、キナ臭さも増しています。
 さて、不景気とキナ臭さは人の暮らしはもちろん、芸術にも大変な影響があります。
 日本の舞踊界を支える3つの要素、すなわち、(1)舞踊を学ぼうという子供たちは少子化や不景気で頭打ちから減少に転じてきている一方、広い意味で舞踊ではありますが、ヒップホップ系に興味を示すものが増えています。(2)外部からの支援、民間企業などのスポンサーだけでなく、公的な助成も財政問題や証券低落、金利低下などで枠がどんどん縮小しているのです。そして、(3)海外での経済不況のしわよせが現地の舞踊界にも波及し、日本人ダンサーの職場が縮小。他方円高効果もあって、とくにコンテンポラリー系のカンパニー、アーティストの来日が増加し、国内の舞踊市場に影響を与えています。さらに、唯一の新しい収入源ともいえるコンクールは依然として増加傾向にあり、春、夏の休みやゴールデンウイークなどでは日程が重複し、さすがに参加者の奪い合いという状況が生まれてきています。
 それに加えて、公益法人の改革の問題があります。全舞連を構成する4つの社団法人、日本舞踊、バレエ、現代舞踊、児童舞踊協会、さらに神奈川県の芸術舞踊協会も社団、大手のバレエ団には財団法人がたくさんあり、それらはすべて新しい法規にしたがって改組する必要があります。新公益法人になれば税制上などのメリットもありますが、運営体制を充実させるためのコストがかかります。一方で一般社団法人にはなりやすくなり、いち早く法人化したバレエカンパニーもあります。
 つまり、経済不況と社会の、そして舞踊界の構造的問題の両方から困難に直面しているわけです。
 もう一つ、私たちからすると、この1、2年、とくに週末に公演が3つも4つも重なるのが目立つようになりました。これもたぶん観客の都合を考えてのことではないかと思われます。
つまり、公演が他と重なるというリスクよりも、ウイークディにはなかなか観客が集められないという現実が重いのでしょう。具体的に私の予定表を見ると、週の前半には白紙が、そして週末には1日2公演、場合によっては無理して3公演というケースが多くなっています。例をあげてみますと、この3月、土・日が9日ありましたが、そこで17公演を見ています。(1日1公演は名古屋のみ)。これでもお招きいただいたもの、見たいものをたくさん見逃しているのです。ちなみにそれ以外の日には22日間で16公演、ただし8日は白紙(会議や委員会はありましたが)。
● 大恐慌の経験に学ぶ…芸術が対策の一つの柱に…
ただし、舞踊界全体としては、ある方がいみじくもいったように「景気がよくてもとくにいいことはないが、景気が悪くなるとすぐにしわよせがくる」のに、よく頑張っています。ただ、上記したような問題が、とくに大都市圏以外の地域にはじわじわと影響を及ぼしてきているように思われます。
 ここでどうしたらよいか、これは舞踊界内部の問題と、外部への働きかけの問題とがあります。もちろん、それはともに関係があり、ひとことでいえば舞踊界がもっと発言力を増すことで、そのための方策を具体的に考え、実行するのです。これについては以前から、このページだけでなく、いろいろな機会に述べてきていますが、今回は、ちょっとべつの視点から公的支援のありかたについて考えてみたいと思います。
 それは、今回の大不況が百年に一度という、その元となっている1929年のやはりアメリカ発の世界大恐慌におけるケースです。
 この大恐慌はその原因からして、今回と酷似しています。つまり端的には資本主義における自由化が進みすぎ、金融資本が利益を求めてバブル化し、それが一気に潰れ、株の大暴落を招いたのです。
 ここで取り上げたいのは、その時のアメリカの対策、とくにルーズベルト大統領のいわゆる「ニューディール」です。彼のこの施策の中心は、電力を主体とした基幹産業の国有化だったのですが、さらに彼は大量の失業者を救うべく、国家として多くの事業を創設したのです。
 注目すべきは、その失業対策、雇用創出のひとつの柱が、芸術家を国家として雇用し、育てたということです。その数は1935年から2万6千人に達しました。たしかに国の事業として各地に劇場や美術館などを建て、芸術家に仕事の場を、というものもありましたが、もうひとつ連邦著述家プロジェクトを発足させ、全米各地の旅行ガイドを作らせたり、各対策の記録をまとめさせたりしたともいわれています。
 このなかに舞踊家がどれだけいたかは分かりませんが、芸術劇場や美術、さらに執筆というソフトな仕事も、芸術家のために国が創出しているのです。芸術が人々に勇気を与え、心を豊かにする、それが恐慌にたいしても極めて有効である、というのがルーズベルトをはじめ当時の政府の考えであったといえるでしょう(『アメリカ大恐慌』アミティ・シュレーズ著、田村勝省訳、NTT出版発行、などを参考にしました)。
 芸術が、経費節減というとまず俎上にあがり、施策の重点度からはいつも後ろのほうに追いやられるわが国のありかたには、少し発想の転換が必要ではないでしょうか。
 実は、このことを2月に行われた文化庁と全国公立文化施設協会が主催したアートマネジメント研修の最後、森下洋子さんと静岡グランシップ館長でNHK解説委員でもある田村孝子さんとの総括鼎談でお話したのですが、あとで出席者から問い合わせがあったりして、少しは参考になったのかなと思います。
 不況の時こそ、とはいわないまでも、不況の時でも芸術は必要だという意識を、公的な部門だけでなく社会全体にもってもらうために、舞踊界ももっと努力してほしいと思います。