鍵田真由美と佐藤浩希。その舞台は見ている者の心を高揚させるほど熱いエネルギーを放ち、やがてホッと和ませる磁力で包み込む。まるで違う道を歩み、最高のパートナー・シップを築いた二人が、今、改めて語る出会いまでの軌跡とフラメンコの魅力。
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Interview,Text : 林 愛子 Aiko
Hayashi Photo : 川島浩之 Hiroyuki Kawashima |
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以前に見たお二人の「FLAMENCO曽根崎心中」は強烈でした。歌舞伎では様式的に主人公がいかに美しく死にゆくかを見せるんですが、「FLAMENCO曽根崎心中」は生きろ、生き抜けという熱が伝わってきて。
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佐藤「私たちもお客さまに悲しみとか切なさを感じていただきたいというのはありましたが、それ以上に生き抜くことの大切さを表現したかったんです。」
フラメンコは他のダンスと違って大人になって自発的に始めて、熱心になる方が圧倒的に多いですね。
鍵田「バレエや日本舞踊をやっていた人が、ある時フラメンコに出会ってしまってはまり込むこともよくあるみたいですね。」
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よく知られていますが、佐藤さんは福祉関係のお仕事から転身なさった。とにかくレッスンをしたいと思ったんですか?
佐藤「プロになりたいなんてみじんも思っていませんでした。甘い世界じゃないし、ましてや二十歳だったので。趣味で始めて、就職はしようと思っていたんです。ところがどんどんのめり込んでいってしまって。」
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きっかけは鍵田さんの舞台と、アントニオ・ガデスのビデオで
佐藤「『血の婚礼』です。もうすごい衝撃を受けて。ボランティア活動のなかで接していた知的障害の方って突然大声で叫んだり、自虐行為に走ったり、バタバタって暴れたり。そういうなかにエネルギーとして人間の素のままの衝動とか、今、生きてるっていう命の息吹みたいなのを僕はすごく感じていたんです。目も動かない、ただ食べるだけのお年寄りの介助もしていたんですけど、動けないからこそ食べる力とか排泄することに逆に命を感じて。福祉の世界で見ていたその動的なものが、フラメンコでは芸術として成立しているのを見て、こういう世界があったのか、って。」
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もともと福祉のお仕事を選ぼうとなさったのはどのようなきっかけだったんですか。
佐藤「うちの母がリウマチでなかなか身体の自由がきかないということがあったり、母子家庭だったので働きに出ていたり。家は田無市、今の西東京市なんですが近所におじいちゃん、おばあちゃんが大勢住んで村みたいになっていて。親族じゃないのに、そのおじいちゃんおばあちゃんに僕はなにもかも面倒を見てもらって育ててもらったんです。」
鍵田「東京の話じゃないみたいですよね。」 佐藤「小学校から家に帰るとランドセル置いて、近所のおじいちゃんのところに行って水戸黄門や必殺仕事人のような時代劇を見るというのが僕の過ごし方だったんです。」 鍵田「一緒にお茶飲んで(笑)。」 佐藤「お年寄りの話を聞きながら。人にはこう接しないといけないとか、ああしなさいこうしなさいじゃなくて、いい意味での躾をたくさんしてもらった。僕が大人になった時に恩返しというのはすごく恥ずかしいんですけど、なんかできたらいいなって思って。」 |
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ARTE Y SOLERA 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコスタジオ |
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高校出て福祉の学校へいらした。そしてそれから鍵田真由美という、やがて師になる人の素晴らしい舞台に出会ったんですね。
佐藤「はい。ガデスのビデオを貸してくれた友達が、新宿にあったギターラっていうフラメンコのショーを見せる店に初めて連れていってくれたんです。どの人が鍵田さんかわからないで見ていたら、一人すごい目立つ人がいて。ちょうどその日の朝、夜勤のアルバイトをしていた老人ホームで一人お亡くなりになった。
その方の手を握っていたら、温かかったのがサーッと冷たくなって。なんかこう…、間近に死と接して、そのあとに踊りを見て、今、命があって体が動くことの素晴らしさってものがダイレクトにきてしまった。絶対この人に習いたいって。それでショウが終わったあとに、頼みに行ったんです。」 |
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やっぱりご縁がおありなんです。鍵田さんがフラメンコを踊ったきっかけは?
鍵田「日本女子体育短大で佐藤桂子先生の授業が初めてでした。フラメンコが足を鳴らしてドンドンドンていうのはわかっていたけれどその時、それまで習ったものと違っていてびっくり。ただ、そのあと私がフラメンコに行くっていう決心も予感もなかった。結局は桂子先生の舞台に出させていただいて、いつのまにか道ができていて。現代舞踊協会の公演で新人賞をいただいてうれしいっていうだけで、きっかけが自分ではつくれず…。それでスペインに行かなければいけないということを自分に課して。そこからですね、いろいろ始まったのは。」」 |
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佐藤さんを教えていらした時に、この人はいけるぞとすぐに感じましたか。
鍵田「まず踊る素質は特別なかった。たいへんなガニ股で(笑)、踊りに親しんだ基本がないですから。ただそれを恥ずかしがらずにさらけだして、へたでしょ、だけどこうやりたい。その潔さは一番で、それ以上にフラメンコとはということにとらわれずに、この音楽を使ってみたらどうだろうか、なぜこういうふうにしちゃいけないんですかって。それは後にも先にも佐藤だけですね。」 |
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鍵田先生は厳しかったですか。
佐藤「はい、それはもう(笑)。プロを目指すという時から、じゃ、サパテアードを今晩中に仕上げておきなさいって言われて、三連符なんかを朝まで練習しました。」
鍵田「頑張ってねー。じゃ私はご飯行ってきまーすと言って出かけていましたね(笑)。」 |
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スタジオに泊まり込むほどに、とりつかれちゃった一番の理由はなんでしょうか。
佐藤「フラメンコはコミュニケーションの芸術、愛を語り合う芸術だな、と。音楽にのせられて踊るだけじゃなくて、踊り手自身も音楽家で、自分の足の音で会話ができる。そこに一番惹かれました。すると周りにいる人たちともずっと一緒にいたいし、何かこうコミュニケーションの渦のなかに自分の身を置きたいっていう、自分の中では福祉のボランティアをやっていた時の気持ちと変わらないものになっていた。やっていることは違うんですけど、ずっと人と関わっていたいと思わせるのがフラメンコなんですね。」
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スペインで過ごすそうですが、年にどのくらい行ってらっしゃるんですか。。
佐藤「年に2,3回です。」
鍵田「それこそ一緒にいるんですけど、佐藤はアンテナを体中から張り巡らしているような感じで外に出るタイプで、逆に私は違うペース、一人で家にいるタイプなんです。」 |
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佐藤「ヘレスにはおじいちゃんが歌って孫が踊るとか、そういう情景が町中にあふれています。手拍子と踊りだけで声掛け合って楽しんでいる。それこそフラメンコだと思うんです。僕たちは舞台で作品を見せて皆さんに感動を与えたいなんて立場でやっている。でもアートはもともとそういうものじゃなくて、人々の生活の中にあるもの。アーティストが素晴らしいんじゃなくて、見に来ている人々の体の中にアートがあるんだということを導きだせるようなもの。たとえば日常的な断片を静止画に描くけれど、それを画家がどういう視点で描いているか、人々が生きているその中に神様が宿っているということを表せる作品づくりが大事なんじゃないか、そんなことを考えさせられます。へレスではまさにフラメンコという芸術を民衆が持っている。そこにものすごく魅力を感じますね。」 |
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それは素敵。お料理もアートですね。
佐藤「スペインにいる時には集中して料理ができますが、どうしても素材の関係で日本料理では味が違ってくるから、スペイン料理が多くなりますね。市場にはロマの人たちが多くて、そこではかけ声も自然とフラメンコになっているんですよ。」
鍵田「肉やお魚の大荷物かかえて帰ってきて、家でげらげら笑っている。あそこの小父さんの踊りがおもしろかったとか、日常にフラメンコがあるってことを十分に感じとれる毎日があるんですね。フラメンコっていうと特別なものと思われがちですが、日常的に笑い合いながら踊っていいものなんだっていうスパイスを、カチカチの生徒さんにも振りかけます。だから佐藤のクラスなんか大笑いの声が聞こえてくるんです(笑)。」 |
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年配者の生徒さんが多いそうですが。
佐藤「そのミセス・クラスが一番楽しい。生の強さっていうのは若い子よりも年齢をより多く重ねた方のほうがありますね。自分の体が続く限りとか、切実さがあるからでしょう。たとえば手を上げる時、バレエのように美しく踊ることも必要なんですが、フラメンコのダイナミズムっていうのはそれだけではなく、その人のできること、せいいっぱいやるなかから出てくるところにあるんだと思います。」
鍵田「特にフラメンコの場合は、その人が何を考えているかまで、にじみ出てくる。ふだんおとなしくてもスカートを持ってワッと足を踏みならすだけで、実際に弱い存在にはない力強さを持っているのをその人自身が感じとることがよくあるし、逆にいつも強そうにしている人が少し気弱だったってことが出る場合もある。フラメンコは、自分で自分がどういう人間なのかをわからせてくれるようなダンスじゃないかと思うんです。 足がちょっと短くても、太っていても、コンプレックスが多ければ多いほど、フラメンコをとおして自分を発揮できるんですね、それがどうした、それで何が悪いって。自分を勇気づけられる。」 |
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鍵田さんは登場した時に、技術も表現も完璧でその上美しくて話題になりましたね。
鍵田「わぁ、うれしい、でも佐藤が私のパートナーになっていなかったら、もしかしたらもっと堅苦しくフラメンコの道を歩んでいたかもしれません。息をフッと抜けるようなところに良さがあることを忘れてきていたところに、佐藤から、ここで溜め息ついてもいい、大笑いしてもいいんだよ、体を動かすということは特別な人が特別にやる事じゃないんだよということを教わったような気がします。」 |
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今後はどんな作品づくりをしていきたいというヴィジョンをお持ちですか?
鍵田「今までは二人で歩んできて、これからも二人でパートナーとして一つの作品を作っていくことに変わりはないんですけど、これだけ個性が違うので、ここで改めてそれぞれの個性が伸びるような、一人ずつの活動っていうのもあっていいんじゃないかと私たちは思っているんですね。」
佐藤「二人で一緒の時、それぞれの違う世界が繰り広げられるように、また個々の技術を磨いていかなければいけないなって。それをこれからさらに作品に投影していきたいと思っています。」 |
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