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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.9:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.9
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「状況のなかに問題をかかえる日本の舞踊界 |
悲観のなかに新しい展望が」
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年が変わりました。早いもので21世紀に入ってもう4年目。ミレニアムは2000年か01年かなどといってたのはついこの間のような気がします。私は21世紀に入って最初の年、2001年に〔愛と平和の世紀〕と書いたのですが、残念ながら〔憎悪と戦争の世紀〕になってしまいました。救いは、景気も好くならないにもかかわらず、舞踊はなんとか頑張っていることです。お陰様で、私も思ってもいなかったお話をいろいろ頂いています。
ということで、私にとって昨年03年は、こと舞踊に関する限りなかなか面白いことのあった年でした。舞台でも自作自演はじめ、しゃべり、踊り、いろいろやらせていただきました(政治は最悪、家庭や学校関係もだめでしたが)。
ところが、舞踊界全体としてみると、決して低調ということではないのですが、いろいろと問題を感じた年でした。そのなかからアーチスト団体関連、劇場関連それぞれについてとり上げてみたいと思います。
第2次大戦後もう60年近くなります。現代舞踊の分野ではそれ以前にも石井漠、江口隆哉、伊藤道郎さんはじめ多くの方が海外をふくめて活躍されていましたが、バレエに関しては、もちろん先人の努力があってのことですけれど、本格的な活動は戦後まる1年の東京バレエ団の『白鳥の湖』からだといってもいいと思います。それから今日までのバレエ界の発展は素晴らしい、という人が多いでしょう。たしかに、ダンサーや公演の質・量は大したものですし、世界のあちこちの優れた舞踊団や舞踊家をいながらにして見ることができます。今、世界の、バレエだけでなく舞踊の中心は東京だという人もいます。
このことを完全に否定するわけではありません。しかし舞踊界の実態をみると率直にいって問題、もっといえば寂しさを感ぜざるをえないのです。その最大というか、象徴的な事実は、舞踊団、舞踊家の社会的、経済的レベルです。
たしかに表面的には華やかです、ただ、出演料(ギャラ)や給与で生活できる人がどれだけいるでしょうか。たしかに男性の一部には仕事に追われ、多くの収入をえている人もいます。しかし、逆にいえば仕事を選んでいては生活できないということ、フリーになるダンサーが多いのも、その辺の事情を現しています。そしてそのギャラも実は女性の出演者やバレエ学校の生徒が負担しているのです。
少子化が進んでいるにもかかわらず、踊りとくにバレエを習いたいという児童は増えているようです。これは舞踊に魅力を感じる人が多いことであり、また実態的にはそれが舞踊界を支えているわけですから、結構なことです。しかし、残念ながらこの仕組みはこの半世紀、あるいはもっと昔から変わっていないのです。公的助成も絶対額は増えていますが、舞踊界の広がりからみるとまだ十分とはいえません。
これをとくに海外と比べると、その違いがはっきりします。中国、韓国もそうですが、ヨーロッパでは、ダンサーの身分も生活も保証されています。もちろん、それだけに競争は激しいのですが、雇用の機会を得る、いわゆる労舞踊市場も存在し、さらに引退後の生活を支援するシステムもあるのです。
この状況を如実に示しているのが、海外に仕事を求めるダンサーが増えていることです。前にもこのページで書きましたが、海外ではバレエ学校に入るのは難しいのですが、入学すれば授業料は無料かきわめて安い、舞踊団に入団できればちゃんと給料ももらえるのです。情報化の時代、こういう話はすぐに広がります。
久し振りに海外研修を公的に支援する制度の運営にかかわりましたが、その多くが将来も海外で踊りたいという希望をもっています。下手をすると海外舞踊団のために国が税金を支出することになっています。海外で研修したら必ず日本で踊ることというしばりをつけるわけにはいきませんし、日本では生活できないといわれれば、それは事実ですからいたしかたありません。
ではどうしたらよいか、大変むずかしいことです。ひとつはもっと社会的に認知されるような魅力を持つことです。それには再編成、リストラが必要です。もちろん、それを強制するようなことはできません。銀行のように社会的な影響が大きければ公的な介入も必要でしょうが、そんなことはムリです。しかも、個々のバレエ団は生徒を増やすといった自助努力をされているわけで、それで活動しているのですから、だれに文句をいわれる筋合いもありません。ただ率直にいって生徒に依存しているために、プロとアマの区別、公演とおさらい会の区別がつきにくく、それが社会的に認知されにくいものになっているのも事実です。だれでもバレエが踊れるのが日本のいいところだというのもひとつのあり方として否定はしませんが、それでは現状は変わらないでしよう。
しかし、問題意識をもって活動をはじめているところもでてきていますし、新国立劇場の行き方が大きな影響を与えることも事実、私も機会があれば意見を述べながら、関心をもって見守って行きたいと思います。
さて、これもしばしばこのページで述べてきたことですが、(社)全国公立文化施設協会の舞踊アドバイザーとして、なんとか舞踊を公立施設で取り上げてほしいと微力ながら努力しております。お陰でほんの少しづつでありますが、いろいろなかたちで取り上げるところができました。
しかし、創造的な自主事業に力を入れるところを支援する芸術拠点施設の内容をみても舞踊はきわめて少ないのです。これは担当者の問題もあるのですが、もう一つ障害があります。それはハードの面、すなわち舞踊に適した設備(舞台)が少ないということです。もちろん、ステージの広さの問題もあります。それよりも驚くのは、緞帳なし、袖なし、ホリゾントなしの施設が珍しくないということです。つまりよくいってもコンサートホール、もっと端的にはお偉い先生の講演会用なんですね。むかし建てられたものならともかく、新しい建物、しかも敷地は十分なところにもそれがあるのです。
設計者も失格ものだと思いますが、公立施設ですから当然に委員会みたいなものを作って検討したいと思いますが、そのなかのだれもが舞踊のことは頭になかったとしか思えないホールが『東京』にもあるのです。音楽や演劇関係者はだいたい関与しています。でも舞踊関係者は劇場建設にほとんどノータッチ、これは舞踊界の存在感の薄さにも問題があるかもしれません。
全国の公立のアートマネジメントセミナーには、ようやく一部ですが舞踊も加えてもらえるようになりました。これからは施設の建設、もう余り無いかも知れませんが、改築にさいしても、ぜひ舞踊の上演も考慮にいれていただくようにしたいと思います。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。