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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.10:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.10
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「キエフ劇場行ってきました |
-豪華ではないがそこには人間の暖かみが-」
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ウクライナのキエフ市に行ってきました。ここの国立シェフチェンコ記念キエフ・オペラ・バレエ劇場のバレエ団、通称キエフ・バレエは、私の個人的な感覚では、旧ソ連のなかでは、モスクワのボリショイ劇場、サンクトペテルブルグのマリリンスキー(キーロフ)劇場のバレエ団に次ぐものだと思っています。ボリショイよりはマリリンスキーの流れをくむ上品で繊細な雰囲気のバレエ団で、わが国には1年置きくらいに公演にきています。それよりももっとキエフとわが国のバレエ界とは深い関係にあるのです。たとえば、名古屋の越智インターナショナルバレエ。公演のタイトルにはつねにナゴヤ・キエフ合同とつけるほどで、キエフ・バレエの芸術監督をつとめたワレリー・コフトンさんを専任教師、振付者として迎え、さらに公演のたびに10名を超える男性舞踊手をキエフからゲストとして招いています。また、京都の寺田バレエアートでは、寺田宣弘さんがキエフ・バレエのソリストとして活躍していると同時に、バレエ団、バレエスクールを含めて毎年大々的に交流しているのです。
その意味でとくに興味をもっていましたので、今回いいチャンスだと思って出かけたのです。といってもキエフ・バレエを見るためではありません。今村博明さんと川口ゆり子さんが主宰するバレエ シャンブルウエストの公演を見にいったのです。演しものは02年の文化庁芸術祭大賞受賞作「タチヤーナ」、キエフ3回、サンクト・ペテルブルグ2回、モスクワ3回の上演のなかで、キエフの楽日。日本でも何回も見ていますが、外国、とくに原作(プーシキンの「エフゲニー・オネーギン」)の本場(厳密にはロシアがですが)でどんな反応があるかということ、それよりも実はバレエ団の1員という形で劇場の裏まで見てみたいというのが大きな動機でした。
この今村・川口さんの演出・振付によるバレエ化に際して、あえてタイトルをヒロインの名に変えたというのもそれなりの意図があったと思います。でも、今回ここで取り上げるのはその作品評でも舞台評でもありません。私はこのようなドラマチックな作品は大好きですし、川口・今村さん、吉本泰久さん、真由美さん兄妹をはじめ全員、客席に向かって傾斜しているステージを克服して見事な演技をみせましたし、アレクセイ・バクランさん指揮のキエフ劇場管弦楽団もいい音を出していました。また楽日超満員の観客(日本人はほとんど初日に来たようで、この日は大部分が現地の人)も総立ちの喝采振りでした。
しかし、私がとくにここで述べたいのは、劇場内部の状況です。このページをご覧いただいている方はご承知と思いますが、私はずっとバレエ団は劇場を、いいかえれば劇場はバレエ団、オペラもオーケストラももつべきと主張してまいりました。理想論というより空想論かもしれませんが、たとえば東京文化会館バレエ、東京芸術劇場オペラがあるのが本来の姿だと思っているのです。そんな馬鹿な、ったって、ヨーロッパやロシアでは国立、州立の劇場にはバレエやオペラがついていないのがおかしい。ウクライナにも国立のバレエやオペラをもっている劇場がほかに5つか6つあるとのことです。
詳しいことは分かりませんが、ウクライナよりも日本のほうが、経済不況とはいえまだまだ経済力は大きいはず。それなのにどうしてだめなんだろう、フル装備の自衛隊はすぐに大金かけてイラクに行くのに、という嘆きは別にして、キエフの感想を。
ウィーンの国立歌劇場を手本に百年と少し前に建てられたという(これは確かではありません)、この劇場は率直にいって全体としてはそれほど豪華なものではありません。客席も千二百そこそこ。劇場のまえもパリやモスクワほど広い広場があるわけでもないし、建物も由緒あるたたずまいではありますが、どこが主たる入り口か、チケットの販売所かもよく探さないと分からないほど。もちろん客席には大きなオケ・ピット、5?階にわたる馬蹄形のボックスシート、天井には見事な絵画、レリーフによって飾られています。でもステージにもあがってみましたが、何かの意図があるのかもしれませんが、床の傾斜も一律ではありませんし、両袖、奥もそれほど広くはないのです。音響は最近日本の支援で改修、よくなりましたが、照明設備はまだ十分とはいえないようです。
楽屋、リハーサル室、会議室、あるいは用具の保管室もあまりスマートとはいえずむしろ古臭く、通路も迷宮のようで、舞台の袖を通り抜けたほうが便利といわれたこともありました。
ただし、重要なのは、「それでも、私はうらやましい」ということです。
それは一言では、ここは建物でなく、芸術の場であり、芸術家としての人間がいる、ということです。この日はもちろん、キエフバレエもオペラも公演はありません。しかし、多くのダンサー、シンガーが自分たちの部屋にいたり、食堂で食事をしたり、どこかで自習しているのでしょうか、歌声が聞こえたりしているのです。食堂には寺田バレエや東京から研修にきているダンサーが4人ほどで食事をしていました。つまり、ここはアーチストたちの生活の場なのです。人間の暖かみがあるのです。
多分、劇場のあちこちに素晴らしい先輩たちの汗や足跡、あるいは涙が残され、後輩はそれを感じながら芸術家としての生活をしているのでしょう。幸せですよね。もちろん、この伝統は5年や10年でできるものではありません。しかし、日本の会館、ホールでは百年たってもこのような伝統は生まれないのではないでしょうか。
自分でもこのように書いていて感じます。お前はダンサーでも芸術監督でもないのに、なんでそんなにうらやましがったりしているんだ、と。たしかに日本の劇場がこうなったとしても、私がそこで生活できるわけがない。でも、なぜかこのような生活にすごく魅力を感じます。私がモト・ダンサーだったからかもしれません。
でも、評論家としては、こういうことです。たとえばこのシャンブルウェスト、八王子市民会館とかいちょうホールを本拠として、今村、川口さんだけでなく、吉本さんなどがそこに部屋をもち、一定の給与を受け、毎日そこで過ごしながら年間に50回くらいの舞台をもつことができたら、それは素晴らしいことだと思いませんか。
そんなの非現実的といわれるでしょう。でもあえていいます。キエフ空港もモスクワの空港も成田に比較したら施設も設備もひどいものです(もう少し効率的にやってくれ!とも思います)。しかし、いずれにしろその国でやれるんですよ。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。