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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.12:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)

うらわまこと 2012年8月11日


Vol.12

2004.2/25
「ソフトをもった真の劇場への支援を
ー再び海外の事情に思うー

 ヨーロッパ3か国(3都市)を回ってきました。フランス(パリ)、スイス(チューリッヒ)、そしてハンガリー(ブダペスト)で、文化庁の新進芸術家海外留学制度研修者(そのうちの18歳未満)の視察が目的でした。その時に体験したことについて感想を述べさせてもらいます。
 この旅では、夜もゆっくり食事や慰安に使うのでなく、できるだけ公演をみる、個人的には劇場の状況をみるようにしようと考えました。そして仕事以外で空いていた日はすべて劇場に行くことができました。パリではオペラ座で『ジゼル』、チューリッヒでは市立オペラハウスで芸術監督ハインツ・スポエリ振付けの『IN
DEN WINDEN IM NICHTS』、なおここのジュニアバレエ団には大阪のKバレエスタジオの福岡雄大さんが研修生として在籍、この作品にも出演していました。そしてブダペストでは国立オペラハウスで2夜、『バフチサライの泉』とオペラの『椿姫』です。
 ここで書きたいのは、その公演の批評ではありません。この点について一言いえば、オペラ座のA .ルテスチュさんとJ. マルチネスさんの『ジゼル』をふくめて、それほど感心しませんでした。日本のレベルはなかなかのものです。劇場も舞台、客席、ロビー(ホワイエ)、スナックコーナーなど、日本の方がきれいです。ただ、それとは別に羨ましい点がいくつもあるのです。
 それはこのページをつうじてつねに取り上げている、そしてこのところとくにしばしばふれている、社会と芸術、生活と芸術、そしてそれとのかかわりでの劇場のあり方です。またか、と思わずに聞いて下さい。まずいえることはこの4日間ともすべて満員だったということです。ただ当日売りが劇場の窓口に必ずありますので、仕事前の朝から並んだり、仕事の合間に顔を出したり、先方の担当者に頼んだりしてなんとか手に入れることができたのです。ですからボックスあり、端っこで袖が良く見えないところまで席はまちまちです。ただブタペストでは、有名な国立オペレッタ劇場は売り切れで、チケットは手に入れることができませんでした。
 この満員の理由はいろいろだと思いますが、まとめていうと、まずオペラ座は地元のファンももちろんいますが、海外からの客も結構多いのです。これはバレエファンがインターネットなどで探して見に行くのもあるでしょうが、観光客が話の種にというのも少なくなさそうです。ところでわが国の新旧の国立劇場は、諸外国で発行されている日本の観光ガイドには載っているのでしょうか。
 話しを戻して、それに対してチューリッヒやとくにブタペストではほとんど地元のファンです。ただ、チューリッヒではすべて現代的な創作、クラシックは見られません。それに対して人口二百万人弱のブダペストでは国立の2劇場とも、バレエもオペラも日替わりでほとんどが古典でした。たとえば、わたしが『椿姫』を見た日に、たまたま土曜日のせいもあったのかもしれませんが、もう一つの劇場(こちらが伝統的なオペラハウス)では『ラ・ポエーム』を上演しており、先に売り切れていました。
 いずれにしても、客席は中高年の夫婦連れが圧倒的、あとは芸術家かそれを志望しているらしき若者で、バレエ公演でロビーや客席でバレエを習っているらしい幼い子供が両親と一緒に来ているのと出会うとなんとなく親しみを感じました。
 ひとつここでいえるのは、どの都市でもほとんど毎日公立劇場でなにかが上演されており、それがほとんど売り切れるという状況だということです。もちろん、わが国とくに東京では民間もふくめて大小の貸しホールが数多くあり、毎日どこかで、とくに週末は何箇所かで会が開かれているのだから、選択の幅があってよいではないかという意見もあると思います。この点についてはその通りでしょう。しかし、その次が違います。
 それは、劇場と芸術家の関係です。悪い言葉でいえばわが国では「箱もの」と「根無し草」です。ホール側は、基準はあるにしろ、希望があればだれにでも代金をとって場所を貸します。芸術家は自分の作品を発表するためにホールを借ります。この状況があまりに長く続いているために、わが国ではそれが当たり前のように思われています。しかし、そこには、お客にいいものを見せる、楽しんでもらうという意識が両方にあまりないのです。ホールは代金が入ればいいし、芸術団体側は出演者の家族、友人、生徒などをとうしてチケットを売り、お客の質は問いません。極端にいえば発表すればいいのです。もちろん、例外はありますが。それに対して、ヨーロッパでは、劇場とは箱ではなく、そこに芸術家、スタッフが常駐し、レパートリーをもってお客 にいかに見せるかを考える、ソフトをもつものです。さらに芸術家などの育成システムももっています。
 一般論として、この方がいいものを安くできるはずです。共通の意識をじっくり現場で練り上げられますから質がいいものができるはずですし、劇場費、装置や衣装などの美術費、さらに人件費も数多く公演すれば、1回あたりは安くなります。わが国では質の点では芸術家、スタッフの能力と努力でカバー、コストの面は出演料にしわよせされているのです。
 もうひとつこのメリットは、自分たちの劇場、芸術家という意識が広く根付くことです。どの劇場でも、観客は十分に舞台を楽しむというか、劇場にくることを楽しんでいるように見えました。
 わが国でも民間ではそれを実現しているところがあります。宝塚歌劇団や劇団四季がそうです。儲かるからできるのでなく、やるから儲かると発想を変えるべきです。もちろん、作品のスタイルによっては、どうしてもペイしないものもあります。そういうものについては、公的な助成、支援が必要、ヨーロッパでもそうしています。
 大事なのは個別の公演や団体にたいしてでなく、真の意味の劇場に支援すべきということです。現在、芸術拠点形成事業として劇場にたいする支援の制度ができています。残念ながらまだ上の意味の劇場に相当するものはひとつもありません。劇場の方で是非それにこたえるように真の劇場をめざして欲しいと思います。ただそこに国が支援するのは本当はおかしい、というのは都道府県や市町村などで建てた劇場は、その自治体で責任を持つべきだからです。もちろん、これらの建物の多くは、地方自治法に基づいているもので、そもそもの趣旨、目的が違うというのも承知でいってるのです。しかし、少なくとも県庁所在地や主要都市ではその地域の最高の芸術の殿堂になるべきだし、それは不可能ではないのです。
 公的助成のための制度はたくさんあります。これらの審査をしている委員は、みなこのような矛盾を感じつつ、審査をしています。もちろん、一気にはいきません。時間が必要です。そして、少しずつですがこの方向を目指すところがでてきているのは嬉しいことです。また、民間の独立した芸術団体が存在してはいけないということでもありません。素晴らしいものはいつの時代にも残ります。こういうところを育て、支えるのも社会の役割。しかし、もう少し整理されて真に創造的な、レベルの高い、観客に満足感を与えられるものだけが残るようになるといいと思います。

 
 

うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家

本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。

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