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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.19:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.19
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もう1年以上前になりますが、人気とかファン作りに関してこのページで取り上げたことがあります。今回、その第2弾としてこの問題について考えてみたいと思います。このきっかけとなったのは、先週(5月最終週)の週末をはさんで見た舞台で、とくにこのことを強く感じたからです。
毎週週末には公演が重なりダブルヘッダーも珍しくありませんが、この週もこんな具合でした。◎28日金曜日、熊川哲也さんのKバレエ(「コッペリア」、東京文化会館)、◎29日土曜日昼、大駱駝艦・小林裕子さん振鋳(「リンカ」、壺中天)、◎同日夜、入交恒子さんのフラメンコ・コンサート(ハクジュホール)、◎29日日曜日、山内貴雄、小柴葉朕さんのジュニアバレエグループ
エスポアール(「ラ・シルフィード」など、龍ヶ崎市文化会館)、◎30日月曜日、舘形比呂一さんのソロダンス公演(「毒蜘蛛」、浅草ロック座)。もちろんこの前後にもいろいろな公演や集いがあります。
ご覧のとおり、バレエ、モダン、ブトーからフラメンコまで、いろいろなスタイルの舞踊公演が行われたのです。
さて、舞踊団、舞踊家にとって、人気とかファンとはなんでしょうか。どう考えるべきでしょうか。まずひとつは、これが重要なのは芸能人やプロスポーツのいわゆる人気商売だけで、真の芸術家はこういうことにこだわるべきではない。舞踊もそうであり、ファンを意識するとか、サービスするのは大衆迎合で邪道である、という考えです。それに対して、お客を無視して芸術はなりたたない。自己満足に終わらずに、多くの人に好まれ、支持されるように努力するのは、芸術家として当然のことである、というものです。
たしかに、生きているうちには認められずに、死んでから高く評価される芸術家は少なくありません。たとえば画家のゴッホ、日本でも詩人の金子みすゞは生前は大変に不遇でしたが、それでも自分の姿勢を貫きました。音楽家にもこういう例はいくつもあるでしょう。ただ、美術とか文学はあとに残ります、音楽も楽譜や演奏(録音)も残ります。しかし、多くの舞台芸術、とくに舞踊はほとんどその場で消えてしまうものです。したがって、後世の人が評価してくれるということは期待できません。もちろん、それでもいい、だれも認めてくれなくても、自分は信念を貫く、これも一つの生き方で否定はしません。
私は、観客に完全に妥協したり、おもねる必要はないにしても、観客に理解してもらい、少しでも好んでくれる人、支持・応援してくれる人を増やす努力は必要だと思います。単純に考えてもそうでないと芸術活動そのものが持続できないでしょう。いいかえれば、それがプロというものではないでしょうか。発表できない芸術家、創造活動できない芸術家は、本当は芸術家とはいえないと思います。
上に取り上げた公演は、この点についてそれぞれにいろいろなことを考えさせてくれたのです。たしかに、わが国の舞台芸術、とくに舞踊は欧米のそれとは大分状況を異にしています。端的にいえばには、公演回数が極めて少ないこと、しかもそれはほとんどが生徒やその関係者によって支えられていることです。
つまり、ファンをもっと増やす努力とは、この状況を打開する試みともいえるのです。
この視点で、もっとも明解なのは熊川さんと舘形さんです。もちろんスタイルもスケールも違いますが、ともに熱狂的なファンをもっています。それは、それぞれの舞台人としての才能や魅力からきていることもたしかですが、それなりにファンを増やす努力や仕組みを怠らず、またサービス精神も旺盛です。
熊川さんは、『コッペリア』の演出、振付けもなかなかのもの、とくに第1幕は素晴らしかったですが、それを完全に生かす舞台人としての資質をもっており、しかもバレエ団経営、広報などにもしっかりした構想をもって進めているのです。まだ、バレエ団としての全体の層やレベルは十分とはいえませんが、それがかえって将来への期待を膨らませます。一方、舘形さんはソロですが、それをロック座で行い、彼の魅力を十分につかんでいる上田遙さんの演出振付けで、エプロンステージを活用してたっぷりと見せてくれました。最後のカーテンコールでも観客に最大のサービス、これではファンはたまらないなと思わせるものがありました。
ブトーも根強いファンをもっていますが、大駱駝艦は壺中天という、ステージ兼スタジオ兼事務所をもち、若手を中心とした試演的公演を度々行って観客と鋳態(ダンサー)とのコミュニケーションを強めているのです。決して広くありませんが、ステージつきの本拠をもっている団体は極めて少なく、大きな特徴になっています。この日も年配のおじさんたちを含めて超満員でした。ダンサーは小林さんはじめ女性ばかり6人、これもブトー分野ではこの団体にしかできない企画です。ほかの小屋に売れるといいですね。
フラメンコの客席は、どの公演でもきわめてアダルトな雰囲気をもっています。この白寿ホールは、音楽専用の小ホール、決して舞踊向きの空間とはいえませんが、満員。ほとんどがなんらかの関係者のようで、お義理の客はほとんどいずに、観客のレベルは極めて高く、密度の濃い盛り上がりを見せていました。これもひとつの日本的行き方、入交さんもシャープないいダンサーですが、1回公演では寂しい。少なくとも3~4回はできるだけの、観客を増やすための強い個性と、舞台の差異化、会場の選択、定着が欲しいものです。
茨城県龍ヶ崎でスタジオ経営をしている山内・小柴さん。ここの特徴はヤング、ジュニアにいい素材がそろっていること、そしてよく訓練されていることです。佐藤朱実さんと逸見智彦という、わが国を代表するダンサーに、正木亮羽さんの魔女という興味ある配役の『ラ・シルフィード』もなかなかしっかり作られていましたが、もうひとつの小柴さん振付けの『龍神』がとても興味深いものでした。これはゲストなしのジュニアバレエの出演、太鼓を舞台に上げ、日本各地の伝統的な、しかも極めて活気のある音楽によって、若者たちが太鼓をたたき、踊りまくるものです。なかでも高校1年の浅田良和君は、見事なスタイルと端整な動きをもち、素材として素晴らしいものがあり、全国のコンクールでも大きな注目を浴びている存在です。もう一人、中学1年の原田美欧ちゃんも将来の大成が楽しみな逸材。ほかにも村田鉄平君はじめ男子、そして女子にも期待の星が大勢います。作品的にもなかなか凝った構成で、面白くみましたが、ここで取り上げたいのは客席の反応です。大変失礼ですが、龍ヶ崎市の人たちはほとんどバレエに触れる機会がないと思うのですが、ブラボーが飛び交い熱気にあふれていました。
ここでの望みは、この客席の盛り上がりをなんとか地域全体でこのグループを支える方向に持って行けないかということです。あまり甘やかしてはいけないでしょうが、浅田君はスターの素質十分、彼を軸にして全体の売り出し方法がなにか考えられないでしょうか。ぜひわれらがホープ、地域のスターへのバックアップ体制、支持者の増加策を工夫して欲しいものです。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。