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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.21:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.21
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2004年も半分も過ぎました。それだからというわけではありませんが、とくにこのところ次のようなことを強く考えるようになりました。
今年初めにたまたま2度ほど海外に視察に行くことができました。また、新国立劇場に関していろいろと意見をいわせていただく機会をいただいています。海外(ウクライナとヨーロッパ3国)については、その感想をこのページに書かせていただきましたし、さらにヨーロッパ視察については文化庁にも報告いたしました。また新国立劇場のあり方への希望も、これまでいろいろなところで明らかにしています。
こういったなかで書いたりお話ししたりしているのは、日本のバレエ界(舞踊全般についても同じですが)は、善し悪しはべつとして、特殊だなということです。それは一言では、アーチストと劇場の関係で、その点についてつい先日改めて考えさせられることがあったのです。
この7月下旬にあるところ(チャコット)で「オリガ・サファイア展」が開催されます。オリガ・サファイアは、今から70年ほど前(1936年)に来日、日劇でバレエを教え、作品を発表した方です。私はオリガさんの孫弟子(弟子である松尾明美さん、パートナー柴田正男さんに学ぶ)にあたることもあって、彼女について改めて考えてみたのですが、そこで次のような点に強く心を打たれたのです。それは彼女が「バレエ団と舞踊学校は劇場と一体化しているべきだ」という信念をもっていたことです。それが実現せず不遇をかこった彼女の悲劇は、後援者(秦豊吉さんなど)こそいましたが、彼女が働いていた日劇じたいがバレエの専用劇場ではなかったこと、そして戦時色が濃くなってきてそちらに気がいってしまったこと、さらに基本的に日本の社会にこのような認識がほとんどなかったことから生じたといってよいでしょう。
それに対してエリアナ・パブロワさんも同じようにソヴェトでバレエを学んで日本にきたのですが、彼女は個人でスタジオをもち生徒を指導しながら、服部智恵子さんなどとバレエ団を結成、公演活動を行ったのです。彼女のもとで育った島田廣さん、東勇作さん、貝谷八百子さんが、上記の松尾明美さんや上海帰りの小牧正英さんなどと終戦直後に結成した東京バレエ団が、「白鳥の湖」公演で事件といわれた程の大成功をおさめました。この時すでに彼女は亡くなっていましたが、これが今日の日本バレエ界のあり方を決める基礎となっているのは確かです。
この日本バレエ界のあり方とは次のようなものです。すなわち、民間のとくに個人が経営するバレエスクールやスタジオをベースにバレエ団は生まれ、その都度劇場やホールなどを借用して公演を行うということ。劇場などの施設とアーティストやカンパニーとは、スペースの貸借という関係にとどまってるのです。これらの施設の自主企画事業に関しても舞踊関係はきわめて少ないのです。
これは率直にいって、プロとアマの区別をあいまいにし、バレエ界のプロ化を阻害しています。弟子としてのダンサーや生徒などの関係者の負担を主体とした方式によって公演は成り立ち、専任者の生活が維持されているのです。
たしかに、新国立劇場をはじめ、幾つかの文化施設では芸術監督やダンサー、舞踊専門の企画スタッフを置くようになりました。しかしそれは極めて例外的で、ほとんどのカンパニーやアーティストは特定の劇場とのかかわりをもたず、自助努力によって幸うじて活動を続けているのが実情です。したがってバレエ団と名のつくところでも、年に10回以上公演のもてるところは極めて僅かで、とくに大都市圏以外ではいくら優れたダンサーや振付者がいる団体でも、2~3回の公演がやっとというところがほとんどなのです。その上、バレエ団をもたないスタジオや教室は数え切れないほどあり、発表会もままならないなか、多くの優れた0632-*0,ダンサーだけが生み出されています。少子化も進み、経営面で苦しいところも増えてきそうです。
そのため多くのダンサーが海外での活動を目指しています。才能流失であり、これもバレエ界の活力を失わせ、将来に大きな影を落としています。
しかし、バレエのマーケットとしては日本は決して小さくはありません。毎年、世界のあちこちから、伝統あるバレエ団から一時的に編成されたものまで多数のカンパニーが来日、全国を巡回、多くの観客を集めているのです。
問題はこのような現在の状況をどう判断するかです。
たしかに、海外からは超一流を含めて毎年多くの団体、個人がやってきます。日本のバレエ界でも劣悪な環境にもかかわらずレベルの高い団体、すぐれたダンサーがいて良質の舞台を提供しています。さらに海外から有名なゲストを招くところも少なくありません。
さらに、額が十分かどうかは別として、経済不況の時期でも団体や個別の活動への公的助成は増加していますし、個人の海外研修にも道が開かれています。
こう考えると、あまり問題はないという考え方もできなくはありません。すなわち多くのバレエファンや研究者は、いながらにして世界一流のバレエ団、ダンサー、そして作品が見られるのですから。こう考えると、極論すれば、国内のバレエ団がなくなってもかまわないということにもなります。
本当にそれでいいのでしょうか。私はそうは思いません。フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、その他多くの先進国だけでなく発展途上国でも、その国としての誇るべきバレエ(舞踊)団がありアーティストがいて、独自の舞踊文化をもっています。わが国でもぜひそうあるべき、それを目指すべきです。
そして、バレエ(舞踊)人が社会的に認知され、安定した生活ができるようになって欲しいのです。
もちろん、これはどうなったときに真に実現されたことになるのか、難しいところです。でも、現状が満足できる状態にないことは明らかでしょう。いずれにしても、その方法論といいますか、プロセスとしては、とくに主要な公立の文化施設での舞踊についての芸術監督、ダンサーやカンパニーの専属化と育成機関の設置、そして舞踊界の再編成が必要であると思っています。
私はこれらの点について、これまでいろいろと問題を提起し、希望を述べてきました。そこには口に苦いこともたくさんあります。
実は今感じているのは、これが果たして本当に効果を上げているのかどうかです。これが率直にいって疑問になってきたのです。
実際のところ、犬の遠吠えどころか、贔屓の引き倒し、かえっていろいろなサイドからの反発をうけ逆効果なのではないか、と悩んだりもするこのごろです。
私はもう先は長くない。若い評論家、研究者の方々も、ぜひ長期的な視点で日本の舞踊界のあり方を考え、その実現に努力して欲しいと思います。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。