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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.32:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.32
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12月というとクリスマスシーズン。舞踊の世界では圧倒的に「くるみ割り人形」で、私の知るだけでも国内の公演(除く外来)だけでも、二十数種類、延べ日数ではその2倍を超える「くるみ~」が全国で行われます。しかし、ダンスはそれだけではありません。それはそれとして、という独自の公演があちこちで開かれています。
そのなかにはバレエ分野のものもありますが、やはりモダン、コンテンポラリー系。そのなかで今回は12月前半の公演から、コンテンポラリー系を主体に、ユニークなものをいくつかとりあげて、例によって独断と偏見で感想を述べてみたいと思います。
まず、いろいろな意味で人気の3グループ、井出茂太「イデビアン・クルー」(12月3~5日で4回)、Co.山田うん(9~11日)、そして金森穣
Noism (10~12日)です。井出茂太さんは個人で外部への振付けもやっていますが、公演活動はグループ中心、山田うんさんは、ずっとソロ活動を続けていましたが、このところカンパニーとしての活動も始めてこれが第2回。そして金森穣さんは、フリーの振付者から、自分のリサイタル。そして今年の4月から新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)の芸術監督としてレジデンスカンパニー「Noism
= ノイズム」を率いることになり、話題をよびました。
私の独断による分類では、前の2つは[プライバシー]系コンテンポラリー(別名日本派)、ノイズムは[ムーヴメント]系コンテンポラリー(別名欧州派)ということになるのですが、今回はややそのおもむきが変わってきたようです。
プライバシー系とは、日常的な場面や個人的な動作を切り取って舞台に載せるもの。その取り出す基準や、舞台処理の仕方に個性が見られるもので、山田さんの他に、「コンドルズ」、「珍しいきのこ」、「ダンスシアター・ルーデンス」、「砂連尾/寺田」その他若手に多く、視点を少し変えると「水と油」も含めることができます。さらにここでもお笑い系、少女系、ダンス系などがあります。「イデビアン~」はお笑い系に入ります(これも独断)。
今回の「関係者デラックス」もそう。なんとなく”親父のいる場所は?”みたいなところがあって、われわれには身につまされる部分もあります。でも、多くの若い観客には、和服(ここの特徴)はじめ、学生服、事務服、背広などさまざまな普段着の男女が、日常的ではあるがディスコンテクスト(前後関係不明)の、しかも意思不通の関係のなかで動き回る、そこに面白さを感じているのではないでしょうか。
こういうスタイルがなぜ受けるのか。もちろん、切り取りやディフォルメのセンスのよさもあります。しかし、観客は率直にいって作品の持つ意味などを追求するのでなく、表面的、部分的な面白さや勢いに反応する(かっこよくいうと「感じる」)もので、これはものごとの本質を深く考えることのない現代の風潮に合っているのではないでしょうか。つい最近、世界のなかで日本が若者が「何かを考える」という点でその順位が下がっているという調査もあったようです。こうなるとつい小泉首相のことを思い出してしまいます。なぜ支持されているのか。中身がないのに表面的なかっこ良さ、レトリックの勢いに乗せるだけ。彼こそまさにコンテンポラリー首相。こういったら、ダンスと一緒にしないでくれと井出さんに叱られそうですね。
さて、山田うんさんは、昨年の「ハイカブリ」で注目したのですが、どちらかというと少女系。今回も若い女性ダンサーたちが試着ルームみたいなところから出入りしながらダンスする「ワン◆ピース」はそうでした(しかし着替える衣装はツー◆ピース?)。ただ次の「w.i.f.e.」はちょっと違います。これは、チェーホフをテーマとしたSPACダンス・フェスティバルに参加した作品、そのためか、大変にドラマチックな表現をもっています。彼女を含む女性2、男性1の出演者は、ピアノを演奏したり、映像を処理したりしながら、絡み合ったり、倒れたり、叫んだりするのです。これは見ているほうにとっては[考えざるをえない作品]になります(まさかこれも「ただ見て感じるだけ」、ではないでしょうね)。こうなると、ダンサーはうまいけれど難しくって古臭い、と人気がない現代舞踊と、どこが違うのかということになります。もちろん、現代舞踊にもテーマをきちんと表現して「よく分かる」感動的な作品もたくさんあるのですよ。
次の金森さんの作品は、「H・アール・カオス」などとともにダンス系に入ります。空間構成の斬新さもありますが、その振付けはダンサーに大変なエネルギーを要求します。ダンサーはみなよく訓練され、国際的なキャリアを持っています。この日の公演タイトルは「black
ice」、3部に別かれそれぞれ「black wind」、「black ice」、「black garden」とタイトルされています。最初の部は、ステージこそ不等辺の4角形になっていますが、まさにオフ・バランス(身体の軸を外し、手足のバランスを崩す)、アン・ドウダン(肩や腕、脚を身体前面の内側に抱え込む)、ア・テール(重心を低く、床に横たわったまま動く)のアンチ・クラシックの動きを時に激しく、そしてさっと切り上げたりする金森スタイルのダンス。2部では影になった場所で床に触れた身体部分が(たとえば足の裏)が不等辺ダイヤモンド形のスクリーンに投影される映像技術をフューチャー。それが3部になると手が床から生えたり、檻や上からの骨?などのシュールな美術、暗い照明、異様なマスクや衣装でせりふもしゃべる出演者と、なにか具体的なテーマがあってそれを表現しているらしい作品。最後にこれまでちょっぴり姿をみせていただけの金森さんがじっくり踊るのも、それはさすがに上手いのですが、作品上の役割は何かと考えさせるものになっています。これもコンセプトとしてはダンス系というより(思想や意味を表現しようという)現代舞踊系に近いのですが、正直何を伝えたいのかよく理解できませんでした。金森イメージを覆す、ブラボーとブーイングが交錯してもいいほどのもの。
この3つの公演に共通の観客(つまりコンテンポラリーダンスマニア)はけっこういると思いますが、彼、彼女らは山田さんや金森さんの、そこで演じられるものを感じ、楽しむだけではない、意味内容を考えさせる作品を本当に受け入れるのでしょうか。
以前にこのページで、H・アール・カオスの、プライバシー侵害、情報過多問題を扱った作品について「コンテ・ファン」は本当にそのテーマに共感し、実感しているのかと疑問を投げ掛けたことがあります。それに対して今回の2作品は、H・アール・カオスのケースよりも、はるかにそれぞれの従来のスタイルから離れたものでしたから。
日常型にしろ、少女型にしろ、さらにダンス型でも、常に創造的、個性的であることを要求されるコンテンポラリーダンスのアーティストたちは本当に大変だということを、私は前からいっています。山田さん、金森さんの創造活動、作品系列のなかで、今回の作品、すなわち「w.i.f.e.」と「black
garden」がどのような意味をもつのか、これからどうなるのか、少し懸念と大きな意味をもって見守りたいと思っています。その点井出さんは目下ゆるぎなし。近藤良平さんも本質を変えずに進歩中。
これと比較して、同じ時期に上演されたアロック・ダンスドラマ・カンパ二ーの「卑弥呼」と、神戸の藤田佳代舞踊研究所の「かじのり子モダンダンスリサイタル」を、異なるスタイルながらしっかりした行き方をもって成功している例として取り上げたかったのですが、スペースがなくなりました。皆さんご覧になったことありますか。いつの日か取り上げてみたいと思っています。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。