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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.53:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)

うらわまこと 2012年8月11日


Vol.53

2005.10/25
 

コンテンポラリーとはダンスだけのもの?
  ーバレエにもあってよいのではー


 
 

●コンテンポラリーとはスタイル?それとも時代?
 一時ほどではないかもしれませんが、コンテンポラリーダンスとモダンダンスとどう違うのかという疑問はいろいろなところで聞かれます。たしかに全部ひっくるめてダンスでいいじゃないか、という意見も増えてきたようです。ただ、現代舞踊と違うダンスというイメージの人もいるかと思えば、現代舞踊も英文ではコンテンポラリーダンス、という言い方も一方ではされています。
 ここで考えられるのは、コンテンポラリーダンスとは、特定のダンススタイル、あるいは主義(イズム)を指すのか、あるいはたんに英語でのコン=ウイズ、テンポ=タイム、つまり時代とともにある、今のダンスという意味なのか、ということです。
 この点について、私も特定の行動様式、スタイルをもったダンス活動という理解をして、たとえば、(社)全国公文協がJCDN(ジャパン・コンテンポラリー・ダンス・ネットワーク)の協力をえて作ったビデオ「コンテンポラリーダンスの魅力に迫る」でも、またこのページでも多少おふざけ、誇張をまじえて書いたことがあります。
 そこで述べた私の説明と、たまたまというか当然というか、現在東京都写真美術館で行われている『恋よりどきどきーコンテンポラリーダンスの感覚』というイベントのパンフレット(チラシ)に書かれているのとが、とても似通っていますので、そこから要約してみましょう。
 ここではまず、[現代表現のメディアとしての肉体]に着目したもの、としています。さらに具体的には、[他の芸術ジャンルを超えた表現領域]をもつ、[各表現者の個性的な肉体]でさまざまな形で表現される、(テーマ、対象として)[日常的ななにげない生活から生と死、愛という問題]まで幅広い要素で構成されている、[身体のドキュメンタリー]としています。
 ただ問題は、こういうものをコンテンポラリーダンスと呼ぶ、と決めるのか、今コンテンポラリーダンスと呼ばれているのはこういうものである、と説明するのかです。
 もし前者とすると、たとえば30年後の最先端のダンスは現在のものとは違っているでしょうが、それをなんと呼ぶのか、という疑問が生まれます。また後者とすると、コンテンポラリーダンスのスタイルは時代とともにどんどん変わっていくものとされます。こうだとすると50年後でも、百年前でも、その時代に生まれたダンスはコンテンポラリーダンスということになります。

●ナハリン作品に思う
 まあ、こんなことばかり考えていても、あまりクリエイティブでないので、少し別の視点からコンテンポラリーを[過去のスタイルやコンセプト]にこだわらないで、身体を媒体として自由に表現しようという動きとし、それについて少し考えてみたいと思うのです。それはバレエ団の新しい動きについてなのです。
 実は、このきっかけになったのは、先日(10月14日)の貞松・浜田バレエ団の公演です。このバレエ団は、松山バレエ団出身の主宰者と同じくそこで活躍していた子息の貞松正一郎さんを中心とした団体で、当然に古典バレエを得意としていると思われています。たしかにその1月前には『眠りの森の美女』を上演していますし、レパートリーには、『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』から『ジゼル』、『コッペリア』、『ドン・キホーテ』など古典名作のほとんどが含まれています。しかし、実際には貞松融さん、正一郎さんはじめ団員の創作に力を入れ、また海外の新しい傾向の作品を積極的にとりあげているのです。最近でも、ユーリ・ンさん、T.マランダインさん、稲尾芳文さん(バットシェバカンパニー)などの作品が上演されています。これらはコンテンポラリーダンス、あるいはバレエといってもよいのではないでしょうか。
 そして今年、オハッド・ナハリンさんの『DANCE』が多分日本人初演されました。この作品は、日本でもすでにバットシェバカンパニー、そのジュニアカンパニー、そしてNDTでも上演されていますので見たかたも多いと思います。印象的なのは、舞台一杯に半円形に並べられた椅子に腰掛けた男女が、シモ手から順に激しく反り上がりながら衣装を脱いでいく動きです(なかで、椅子に立ち上がるものがいたり、カミ手の最後のダンサーはその度に床に倒れ込むのを記憶している人も少なくないでしょう)。この激しさは従来のダンスの常識を越えたものです。
 それを今回は全員バレエ系の女性で演じたのです。結果としては、予想外というか想定以上の効果=魅力があり、私にとっては、これまでのなかでもっとも楽しんだ『DANCE』でした。
 そのあとナハリンさんと話す機会があり、彼の感想を聞いたのですが、女性だけで踊ったのは初めてだったけれども、出来栄えには十分に満足しているよ、と。さらに、女性は強い、将来は男性は子種を供給するだけの存在になるのではないか、と半分まじめにいっていました。日本はとくに女性が強くなったと話したら、イスラエルも同じだとのことです。ただ、自分の生きている間はそうなってほしくないとも。
 将来のダンスは女性だけになるかも。となると、日本は世界の先端をきっているのかもしれませんね。

●わが国の実態ー創作はあるが、新しい感覚というとー
 話を戻しますが、わが国ではクラシックバレエ全盛といわれます。たしかに海外のカンパニーに比べたらそうかもしれませんし、海外もそうらしいですが、日本ではとくに創作はお客の入りはよくないのです。また、良否は別として、創作でもクラシックの手法によったものが多いのも事実です。それを新作だからコンテンポラリーといってよいかどうかはやや疑問ですが。
 ただ、新しい感覚、手法の作品を取り上げているバレエ団もなくはありません。
 新国立劇場バレエ団、東京バレエ団、そして牧阿佐美バレエ団、スターダンサーズバレエも海外の著名な近
・現代振付者の作品を上演していますが、独特なのは東京シティ、団員の創作を積極的に発表しています。さらに注目すべきは谷桃子バレエ団。谷桃子さんご自身は日本のバレエ史のなかでもクラシカルなバレリーナの第一人者ですが、バレエ団としては、新しい作品を積極的に上演しているという点で最右翼といってもいいと思います。正月公演でも古典と交互に、坂本登喜彦さん、望月則彦さん、古くはG・クルベリさんの大作を上演していますし、島崎徹さんの作品もいくつも取り上げています。さらに団員の創作の会、そのなかには黒田育世さんもいます。さらに古典と創作として、これまで坂本さん、後藤早知子さんなどの作品に加え、今年も『ライモンダ』とともにクルベリさんの『ロメオとジュリエット』を上演します。(11月12、13日)
 さらに中堅クラスでは、佐多達枝さん、松崎すみ子さん、多胡寿伯子さん、早川恵美子・博子さん(間宮則夫さん作品)、佐藤宏さんなどが記憶に残っていますし、名古屋の松岡伶子バレエ団や塚本洋子バレエ団でも毎年日本人の創作を取り上げています。
 こうみると、日本も創作バレエが振るわないとはいえないのです。ただしコンテンポラリーバレエというとどうかなと思わないでもありませんが、古典の手法によるがっちりした作品というと、シャンブルウエストの今村博昭・川口ゆり子さん、そして深沢和子さんも加えて、なかなかの水準です。それはそれで重要なことです。大事なのはスタイルでなく感動ですから。
 それでも海外と比較して、わが国でも欲しいものがもう一つあります。それは古典の現代版です。つい最近もオーストリアバレエに入った藤野暢央さんと話をする機会がありましたが、そこでも新解釈の『白鳥の湖』を検討中とのこと。『白鳥の湖』のほかにも『ジゼル』、『ラ・バヤデール』、『くるみ割り人形』などは、海外ではあちこちで新解釈、新演出版が上演されています。オペラの世界ではこういう言い方があるそうです。歴史的に、まず歌手が中心、ついで作曲家、そして現代は演出家の時代だと。たしかに、著名な作品は劇場や団体によってそれぞれ独自の演出をしているだけでなく、斬新な演出が評判になることが多いです。新作オペラにあまり力がないのも、それを助長しているのでしょうか。
 わが国でも、古典でもたとえば『くるみ~』や『ジゼル』などはバレエ団によって少しづつは独自の工夫がされています。そのレベルは世界的にみてもとても高いのですが、思いきって発想を変えた演出や手法による、たとえば『コッペリア』や『ジゼル』をみてみたいものです。それを考えることは、とても知的で刺激的だと思います。

うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家

本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。

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