ダンスの動画・コラム・コンクール情報専門サイト

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオ。
HOME > インタビュー > vol.11 永橋あゆみ

Interview
インタビュー

優れたバレエ・テクニック、謙虚さと品格、人を惹きつける華、向上心。いくつもの魅力を兼ね備えている永橋あゆみは、谷桃子バレエ団のプリマ・バレリーナだ。これは、古典からモダン作品まで幅広く踊り、今後のさらなる活躍が期待されるプリマ永橋あゆみの舞台裏のストーリー。
Interview, Text:林 愛子 Aiko Hayashi Photo:長谷川香子 Kyoko
Hasegawa
1月の「ドン・キホーテ」は大成功でしたね。キトリは今回が初役ですか。
本番は初めてです。前回の公演では代役をいただいて、その時からやりたいなと思っていたので、役をいただいた時はうれしかったです。
キトリは最初から最後まで踊りづくめで技術も大変。谷先生からどんなアドバイスをいただきましたか?
もっとテンションを上げるようにとおっしゃって。どんな踊りでもそうですけど、真ん中が周りと一緒にならないとおもしろくないですから、みんなを盛り上げていくようにリハーサルの時から心がけました。最初の頃、技術はいいから、もっとキトリにならないと、って先生には言われました。スペインの女だから、あゆみちゃんにならないでって。
バジル役の今井智也さんがキトリを片手リフトで確か7回ぐらいしてみせた。これはめったにないことです。
できるだけ決めこまないで二人でつくっていこうって相談しました。彼は若いし力もあるし、最初はエカルテで、次はアラベスク・リフトでいこうとか。バレエ団も60周年ですし。
盛り上がりは3幕で最高潮。フェッテもジャンプも素晴らしかった。
やっぱりグラン・パ・ド・ドゥは、自分で盛り上がらないとお客様も盛り上がらないし。見せ場ですから、常に舞台で攻めていかないと、自分が守りに入ったら終わりだなと思いました。

クリックして動画をご覧ください
満員の客席は大喜び。その熱気が伝わりましたか?
はい。お客さまが舞台の上と同じ気持ちになってくださっている感じがしました。ほんとうにありがたいことだと思います。
永橋さんは最初、お母様に踊りを習ったそうですね。
クラシック・バレエではないですけど母の先生が石井漠先生のお弟子さんで。母は長崎の人なんですが、その先生が長崎で創作バレエをやっていらして、そこで母は習ったんです。
踊り始めは2歳だとか。
母の稽古場で自然に踊っていたみたいで。自分ではあまり踊っているっていう感覚はなかったんですけど、スキップができないと発表会に出たくないって言って、一生懸命練習していたそうです。そのあと地元のバレエ教室にも行くようになりました。
群馬県の山本禮子先生の研究所へ入ったのはいつ頃ですか。
中学一年の夏から2年半行きました。寮に入って地元の中学に通いながらレッスンをしました。毎日エシャッペを1000回とか、すごかったです。でもそれがあったから、今の自分があると思っています。
多感な年頃ですから、ホームシックにはなりませんでしたか。
なりましたね、やっぱり。2ヶ月くらいたったときに。私は決して優秀な生徒ではありませんでした。いつも研究所と準団員の間をうろうろしていて。学校の勉強もきちんとやらなければいけませんでした。義務教育ですし、バレエをやっているから勉強しなくていいということではない、と。これは大切なことだと思います。
永橋 あゆみ
Ayumi Nagahashi
(谷桃子バレエ団在籍)

2001年:
第58回全国舞踊コンクール シニアの部 第2位。
第14回こうべ全国洋舞コンクール シニアの部 第3位。
第6回北九州&アジア全国洋舞コンクール シニアの部 第4位。
2002年:
谷桃子バレエ団公演「白鳥の湖」にてオデット/オディールを踊り、主役デビュー。
2004年:
日本バレエ協会主催都民芸術フェスティバル「眠れる森の美女」にてフロリナ王女を踊る。
ルーマニア国立バレエ団の招待を受け、「ジゼル」全幕の主役を踊る。
以後、谷桃子バレエ団 公演「ジゼル」クルベリ版「ロメオジュリエット」「パキータ」「くるみ割り人形」「ラ・バヤデール」
「ドン・キホーテ」などに主演する。
また、谷桃子バレエ団以外の公演でも、Class-B Ballet Performance
Tour 2005「DEBUT」出演、日本バレエ協会主催 ヤング・バレエ・フェスティバル「パキータ」(2006)、同主催都民芸術フェスティバル「ジゼル」(2007)全幕にても主役を務める。
優れたバレエ・テクニック、謙虚さと品格、人を惹きつける華、向上心。いくつもの魅力を兼ね備えている永橋あゆみは、谷桃子バレエ団のプリマ・バレリーナだ。これは、古典からモダン作品まで幅広く踊り、今後のさらなる活躍が期待されるプリマ永橋あゆみの舞台裏のストーリー。
Interview, Text:林 愛子 Aiko Hayashi Photo:長谷川香子 Kyoko
Hasegawa
あそこに入るということは、将来バレリーナになりたいと思っていらしたんですね。
入る時に初めてそう思いました。私は、クラシックの技術がちゃんとなかったのでそれを身につけたくて、山本先生のところに入った。そしたらカルチャーショックを受けて。なにもできませんでした。
いじめはありましたか。
バレエ団は特別扱いされていたので中学校ではありました。下校する時、男の子に跳び蹴りされたり(笑)。完全に無視していたら逆に気に入らなかったみたいで。
その男の子は永橋さんが好きだったのでしょう(笑)。バレエの女の子は立ち居振る舞いが違うしスタイルもいいしきれいだから、他の女の子はジェラシーを抱くでしょう。
最後には女の子もごめんねと言ってくれました。私にとってはやっぱり帰ればバレエのレッスンがあるし、ついていくことに必死でしたから、それどころではないという気持ちでした。バレエの人たちがすごくうまかったし、途中で転校したので勉強もありました。体力的にもけっこうたいへんで、授業中には眠くなったり(笑)。
バレエをやめようと思ったことはなかったんですか。
ありました。ふつうの生活がしたいなと思うようになって、中学が終わると長崎に帰って地元の高校へ行ったんです。そこで半年間、バレエをやめて…。悩んでいました。ある日、母が、どうするのバレエしないの?って。それで、もう一回やろう、と。
よく考え直しましたね。
山本バレエ団でも私は下のほうでしたし、みんなはどんどん上手になってやっている。やっぱり悔しかったんですね。それでやりなおそうと、野村理子先生のところに行きました。
そのあとコンクールにも出て、入賞して。
コンクールで山本バレエ団の関田先生にお会いした時に、今、こうしてやっているの、よかったわね、とおっしゃってくださってとてもありがたかったです。
谷バレエ団にはどういう経緯で入団したんですか。
踊ることの楽しさを教えてくださった野村先生が谷バレエ団にいらしたこともあって、バレエ団のレッスンを受けさせていただいたんです。谷先生は日本にバレエを広めた素晴らしい方だし、お人柄がホッとするような温かい方。バレエ団の雰囲気も先生の雰囲気と同じなんですね。それで高校卒業して準団員で入りました。アットホームなバレエ団でみんな仲がよくて、99年に団員になった時はほんとうにうれしかったです。
それからは着実に役を踊って。
準団員の時、発表会で「くるみ割り人形」の金平糖の精をいただいて、それまで太っていたんですが、それがきっかけで体重が最高で10キロぐらい落ちました。
ほんとうに?!今の永橋さんからは想像もつきませんね。
東京に来た最初の頃はちょっと痩せたんですけど、やっぱり慣れたら太り出して。バイト先の友達とカラオケに行ったりして遊んで。赤城先生に「東京の水が合ったのか」って言われました(笑)。今は日々のレッスンも舞台もやっぱりハードだから、食べても太ることはありませんけど。
今までの舞台で印象に残っているものは何ですか?
「白鳥の湖」です。それも準団員か団員になりたての時で、急に一人出られなくなって。まだ”白鳥”に出たことがなくて4日間で全部覚えて、村娘とか白鳥たちとかナポリとか全幕に出たんですね。あの時は、2幕に出る前に舞台のそでで震えちゃって、泣けてきて(笑)。その頃、高橋先生がいらっしゃって、一カ所間違えると「はい、あゆみちゃんのためにもう一回」なんて言われて。先輩方からも厳しさのなかに温かみのあるアドバイスをいただいたりしたので、いい経験になりました。本来、プロっていうのはポンとすぐ入っても踊れなきゃいけないものでしょうし。舞台でしか学べないことがいっぱいあるんだということを知りました。

プラチノ自由が丘テラス
目黒区緑が丘2-25-7 ラ・クールJ 3F
TEL:03-5731-6333
FAX:03-5731-6357
http://www.platino.jp/
インタビュー、文
林 愛子
Aiko Hayashi

舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
フォトグラファー
長谷川香子
Kyoko Hasegawa
ステージフォトグラファー 日本写真芸術専門学校 広告・肖像科卒業後株式会社エー・アイに入社。飯島篤氏のもとで舞台写真を学ぶ。幼少時より習っていたクラシックバレエを中心にコンテンポラリー等多くの公演の撮影を経験。
現在フリーで活躍中。
優れたバレエ・テクニック、謙虚さと品格、人を惹きつける華、向上心。いくつもの魅力を兼ね備えている永橋あゆみは、谷桃子バレエ団のプリマ・バレリーナだ。これは、古典からモダン作品まで幅広く踊り、今後のさらなる活躍が期待されるプリマ永橋あゆみの舞台裏のストーリー。
Interview, Text:林 愛子 Aiko Hayashi Photo:長谷川香子 Kyoko
Hasegawa
プリマとしては、やはりジゼルやオデットは大きな役。永橋さんの楚々とした雰囲気は役のイメージにぴったりですね。
ありがとうございます。今回やってみて、どちらかというと性格的には陽気で茶目っ気のある町娘キトリが合っているなと自分では思います。私は昔から姫じゃないな、と思っていて。何かクセがあって、いつも白がピンクになるねって野村先生からも言われていました。村娘の役なのでジゼルはすごく好きです。でも、そうですね…、考えてみると喜劇より悲劇のほうが好きかもしれません。
ジゼルや白鳥はやはり追求しがいのある役ですか。
そうですね。やっぱり白鳥は難しいですけど。人間じゃないですし、自分から動こうとするとそこでかたちだけになってしまって、もちろん鳥だからラインを出すのは当たり前で。ラインだけでなく一つ一つの動きが白鳥に見えたり動きが何かを伝えたり、それをもっと自然にやれるようになりたいなと思います。難しいもので、演技をしようとすると、今度は自分がやりすぎちゃうんですね、でも、やろうと思わないと出てこないし。今回のドン・キもそうだったんですけど、やっぱりパワーを見せなきゃいけないから頑張ろうとするんですけど、頑張りすぎちゃうと空気が止まってしまって何も見えなくなってしまうので、その兼ね合いがすごく難しかったですね。
主役を踊るようになって変わったこと、心がけていることはありますか。
周りがあっての真ん中なんですよね。やり始めた頃は自分が踊ることでいっぱいで、周りも見えなくて。でもそういうのは舞台に出てしまうんですね。ようやくここ何回か主役をいただくようになって、周りがあってこそ作品としての全体のレベルが上がると。周りの若い人ともコミュケーションを大事にしていきたいと思うようになりました。
今、一日をどんなふうに過ごしていらっしゃるのか教えてください。
だいたい朝、バレエ団でクラスをやって始まって、午後はリハーサルが5時まで。それが終わって教えがあるときはその仕事をして、ない時は自由ヶ丘に買い物に行ったりしています。休みの日には映画を見たり展覧会に行ったりするのが好き。この前も「オーシャンズ」を見て、バレエとは別の時間を過ごしました。昔はそういうバレエ以外のことに目を向ける余裕もありませんでしたが、やっぱり自分の感性を磨くのは大切なことだと思います。
それは素敵なことですね。お料理なんかもなさるの?
はい、父が会社の料理長をしているのでときどき家に電話して、あら炊きはどうやってつくるの?って聞いたり(笑)。
ごきょうだいは何人ですか?
姉が一人います。やっぱりバレエをやっていたんですが今は美容師をしています。家族みんな、つくることが好きで勝手にやっています(笑)。
皆さん、美がテーマのお仕事で。お母様から教わったことで、今でも永橋さんの中に残っていることはありますか。
楽しんで踊ること、でしょうか。母はクラシックの厳しい基礎はわからなかったんですが、音を感じることを教えてくれて。ふだんの生活も厳しくせず、やりたいようにやらせてもらって幸せでした。稽古場を継いでとも言いません。あなたの人生なんだから、あなたの好きなようにやりなさいって。
これからもたくさんの可能性と舞台が待っていますね。さしあたり、次は何を踊るんですか。
3月に日本バレエ協会の公演の「ジゼル」で、初めて法村圭緒さんと踊ります。ロンドン・フェスティバル・バレエの版で、これは1幕にパ・ド・ドウがもう一つ入っています。これまでの「ジゼル」と違うものになると思うのでとても楽しみです。
永橋さんのこだわりの品

この小さくて可愛い子豚さんは、レオタードを着てストレッチしています。「白鳥の湖」に22歳で主役デビューした時に、バレエ団の先輩の高部尚子さんがくださったものなんです。それと4枚の写真は、憧れの谷桃子先生の踊っていらした当時のもので先生のサイン入りです。ストレッチ子豚さんも先生のお写真も、私にとってはほんとうに大切なもの。舞台に出る時にはいつも持ってきて、お守りとして楽屋の鏡の前に置いています。

Q,あなたが子供の頃に思い描いていた「夢」はなんでしたか?

子供のころから、絵を描いたり、マンガを描いたり踊ったりと、何かと「つくる」ということが好きだったので、何かをつくって人に伝えることができたらいいなぁと思っていました。

Q,あなたのこれからの「夢」は何ですか?
バレエを通じて、これからの小さなバレリーナや、また、バレエを知らない人にも「愛」や「希望」を伝えていけたらいいなぁと思います。観客のみなさんと、心で通じ合えるようなダンサーになりたいです。
TOPへ