アーティストとして数多くの名作を生みだして見る者を魅了し、教育者・指導者として大勢の逸材を世に送り出してきた金井芙三枝先生。奇跡といわれるその若さ、立ち居振る舞いの美しさ、語りの明快さは、身体を鍛えつつ年齢を重ねることの素晴らしさを改めて私たちに教えてくれる。
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Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa 撮影協力:日本女子体育大学 |
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女性が社会進出をするようになってまだ何十年という言い方しかできませんが、そういう時代に先生はきっとお好きなことを仕事としてずっと続けていらしたと思います。
そうですね、踊りしかやっていないんです。とにかく身体を動かすのが好きで。当時は小学校からすぐ高等女学校に入るんですが、その頃から踊りたかった。私は昭和6年生まれで家がそれほど裕福じゃなかったことと周りに踊りを教える人がいなかったこともあって、踊りを習ってはいませんでした。でも、誰も教えてはくれないんだけど、運動会で私がマスゲームを作ってみたいっていうと音楽に詳しいクラスメートがレコードをもってきて、それに振り付けたらクラスのみんなが踊ってくれて。そこで初めて踊りを作ったんです。高等女学校の3年生くらいで、終戦後すぐの頃ですね。
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ご両親はダンスに進まれることに賛成なさったんですか?当時は女性の進学も珍しいことだったようですが。
仕方なしに、ですね。すぐやめるだろうと思っていたんじゃないですか。上級学校に進学するのも反対されちゃったんですから。それで、国立であまりお金もかからないし、奨学金ももらえる状態で受かったから、まあいいや、と。
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先生ご自身で行動なさった。
勝手に行っちゃった(笑)。それで入った時は女子高等師範学校、卒業する時はお茶の水女子大学になって免状に両方書いてあるの。高校卒業の時に江口隆哉先生の門をたたいて、その時、お茶の水女子大にまだ戸倉ハル先生がいらして授業では戸倉ダンスを、江口先生の稽古場には行かれる時に行っていました。モダンダンスは卒業してから本格的に始めたっていう感じですから、私、遅いんです。
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舞踊以外のことに携わることは、、、。
もう夢にも思っていないの、だからまったくつまらない人間です(笑)。
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舞踊家としてはもちろんですが早くから振付家で指導者、教育者。先生の生き方に同世代の方も含めて共感とうらやましさを感じている女性はほんとうに多いでしょう。
私は江口先生の助手を長くやっていて日本女子体育短期大学に講師として正式に勤めるようになったのは昭和38年からですが、その10年前、まだ助手の頃、ある時、江口先生が基本運動を作りたいとおっしゃった。その運動には基本的なすべての動きが網羅されていて、それをやっただけで身体がよくなる、という内容にしたいから、と。関節のありかたや筋肉の動きとかを研究して第一課程というのを作ってビクターから売り出しました。
今日は、特に動きの話をさせていただきたいんですが、昭和28年頃、日本女子体育短期大学で生徒がものすごく増えて、1クラス100人ぐらいを一度に教えなきゃいけなくなった。この基本運動というのは、大勢の学生にダンスの基本を能率的に教える方法として考案したものなんです。 |
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江口先生と私は、各地の講習会でこの第一課程を教え、全国の学校の先生がたが、この基本運動を生徒に教え、あっという間に広まりました。そして中学、高校の生徒たちのダンスの実力がアップしました。
それは毎年日本女子体育大学で中学・高校ダンスコンクールを主催していたので、手にとるようにわかったのです。第一課程が好評だったので第二課程も作りました。 第二課程では、ちょっと感情表現も入れて技術もむずかしくした。それも売れてビクターのベストセラーになりました。でも江口先生としては、創作では基本運動のかたちをそのまま作品に使っちゃいけない、表現の動きは自分でゼロから考えなさいと教えているのに、生徒は、毎日練習している基本運動の動きをつい利用して創作作品に使ってしまうこともあったわけです。 |
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かたちにしばられてしまうわけですね。
昔の話ですけどね。
江口先生も亡くなられて昨年は33回忌をしました。私は70歳で定年になって今10年目なんです。10年もたっているのに、今日もこうして大学を使わせていただいているんですけどね(笑)。 |
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アーティストとして数多くの名作を生みだして見る者を魅了し、教育者・指導者として大勢の逸材を世に送り出してきた金井芙三枝先生。奇跡といわれるその若さ、立ち居振る舞いの美しさ、語りの明快さは、身体を鍛えつつ年齢を重ねることの素晴らしさを改めて私たちに教えてくれる。
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Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa 撮影協力:日本女子体育大学 |
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現代舞踊の舞台を拝見していると、日本人ならではの気質っていうか、皆さん、生真面目で誠実、真摯な作品づくりをしているのをすごく感じます。
練習を一生懸命して出てくるとそうなるんじゃないですか。生真面目が表面に出てくるのは、あまり感心しないけど。
日本人の特徴というのは、風土から来るものじゃないかしら。ちょっと湿り気があって、四季があってというような。だから動きのなかに情緒があるの。アメリカなんかのダンサーっていうのは、動きのなかに情緒がないのね、それを外国に行ってしみじみ感じました。水もしたたるような手の動きをしたり、これが日本人のいいところだと思うの。それを大事にしないでただ外国の真似をするのはもったいないなと思って。今の若い人に感じることはそれなんですよ。 |
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舞踊家はソロも踊るけど群舞もやらなきゃならない、横のつながりもわかるし、縦もわかる、個としても自立していなければならない。そういう多様性を自分のなかにもっています。だからあらゆる表現のなかで、ダンスは素敵だと思うんです。
ダンサー達はそれを意識してやってないと思うんですけどね。練習しているうちになにか出てきたりするんですよね。二十代よりも、二十代の終わり頃か三十、四十くらいかな。社会経験も重ねて、人の作品も見たり、いろんなことも人生経験して。ちょっと動きに深みと潤いが出てくるみたいな感じね。ただ何回もまわれるとか、足がすごく上がるとかいうだけじゃなくて。それとクラシックと違って何やってもいいからモダンはいいですよ(笑)。私もモダンやっていてほんとによかったと思います。
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健康維持のために、ほかに何かなさっていらっしゃるんですか。
医者に注意されて、コレステロールとか中性脂肪とか多いので、近頃は油物をあまり食べないようにしています。ちょっと前までイタリアンが好きでしょっちゅう食べていました。和食がいいみたいなので、それを心がけているぐらいで、量は食べているんです。
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これまでの思い出の品、こだわりの品はおありですか。
私はね、こだわらないことにしているの。こだわりがないっていうのが健康の秘訣っていうか、ストレスをためない秘訣。これでなきゃいけないとか、何時に起きないといけないとか、そういうことはないの。昔から自我ができてからわりとそういう性質だったんですね、楽天的で、融通無碍に生きる。もうどうにでもなれ、みたいな(笑)。
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だからお若いんですねえ。先生は大勢のお弟子さん、孫弟子、ひ孫弟子の方々が全国にいらっしゃる。これからダンスを学ぼうという若い人たちもいます。最後にそういう方々に向けてメッセージをお願いします。
外見より中身を大事にしなさいということ。先ほども言いましたが背骨に近いところの筋肉、深層筋を鍛えないとダメ。そこには細かい筋肉がいっぱいありますけど、それが重力に刃向かっていくから立っていられるの。その刃向かい方が足りなくなると、まずまっすぐ立って居られなくなるんですよね。
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撮影協力:日本女子体育大学 |
今のはやりの言葉でいうと、刃向かう力みたいなことですね。
そう、重力にね。あと、脳の中をいつも、好奇心旺盛にしておくこと。それは勉強したい心、新しいことに立ち向かう心でもあるでしょうね。それが大事です。
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