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Interview
インタビュー

舘形比呂一 踊るように演じていきたい

太陽の輝きと月の陰り、少年の純粋さと大人の知性、木の幹の強靱さと花のはかなさ…。
その幾重もの魅力で常に観客の心を虜にしている舘形比呂一さん。
彼の語る”過去と今、ダンスと表現”には、温かくて優しくて誠実な言葉が散りばめられている。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima
撮影協力 : 山の上ホテル

内気な少年が初めて学んだコミュニケーションの仕方

源氏物語の千年紀にあたる昨年、主演なさった「ROKUJO」には思わず引き込まれました。舘形さんは、大学はあの有名な日大の芸術学部の映像のご出身で。

はい、映画科の演技コースです。ほんとうは役者を目指して大学に入ったんですけれども。それまで中学、高校とバレーボールやっていて全く違う方向に進んだはいいものの、演技コースではあんまり出来がよくありませんでした。その頃、クラブはミュージカル研究会に入っていまして、先輩に名倉加代子先生のスタジオにほぼ強引に連れていかれて、右も左もわからずレッスン受けたんです。そこでもう”目からうろこ”で。もちろん踊りなんかやったことないですから何もできないんですけれども、とにかく踊っているのがとても心地よかったんです。

もともとスポーツ少年でいらした。

中学の時は体育会系で、髪も五厘刈りの坊主で(笑)。大学進学を決める頃、小学校3年か4年の時、母方の祖母が確か劇団四季の子供ミュージカルでしたか、その舞台を見に連れて行ってくれたのが強烈に自分のなかに残っていまして。そのあと2週間ぐらい、友達と舞台ごっこをしていたのを覚えているんですよ。そこからずいぶん時は経っていたけど、ふとその時のことを思い出して、日大に入ったんです。でも授業に出れば出るほど先生に叱られて、萎縮していたんでしょうね。台詞を言うとか芝居をすることが怖くなっちゃって…。それが踊りのレッスンに行ったら、ものすごい解放感があった。自分を表現するのが怖いっていうそれまでのイメージが、こんなにも楽しいのかっていう感覚に切り替わったんですね。

きっと、舘形さんのなかで眠っていたものが目を覚ましたという感じでしょうね。

それも大学2年の夏だったので、ほんとに遅咲きですね、踊りをやるには。実をいうと僕、小学校の頃ものすごく内気で、それこそいじめにあった時期もありましたし、自分を表現することが思うようにできない子供だったんですよ。

シャイな少年は、どういうきっかけでバレーボールを始めたんですか。

平たく言うとすごく弱っちい少年で(笑)、小学校5年生の頃ちょっと病んじゃったことがあったんです。ものが食べられなくなって夜も眠れなくなって、一ヶ月ぐらい入院して。心身症ですよね。退院して、何かスポーツをやったほうがいいということになって。僕は、物語を読んで想像して絵を描くのが好きだったんですけど、中学の美術の先生がバレーボール部の顧問をしていらしたので、そこに入りました。

6年間続けていらっしゃったんですね。

バレーボールって団体競技だから、メンバーのなかで誰かが苦しい時に、みんなが声を掛け合って頑張る、誰かが頑張っているのを見て自分も頑張るという、汗をかいてのぶつかり合い。それまでどちらかというとコミュニケーションが下手な子供だった僕は、そこで初めて人とのコミュニケーションの仕方を学んだんですね。今でも中学時代のバレーボールの友達とは仲がいいんですよ。

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舘形比呂一
Hirokazu Tategata
舘形比呂一

日本大学芸術学部卒。在学中より名倉加代子氏にジャズダンス、鈴木江美子氏にバレエを師事。
1990年に渡米し、ニューヨークのSteps.B.D.Cのスタジオで学ぶ。帰国後、バレエ、モダン、ミュージカル等の数々の舞台に出演。
1994年より「THE CONVOY SHOW」にメンバーの一員として参加。
1998年より、ジャンルを問わず精力的に活動を行う傍ら、内在する自身の世界観を模索する実験的作品「TRYOUT」シリーズを開始。舞踊家の長嶺ヤス子氏との二人舞台「朱色の細胞」、舞踏集団大駱駝艦との「風(FUU)~背反の寓話~」を発表する。
2001年より寺山修司作品に多数参加。
2006年、2007年の上田遙氏演出・振付の舞台「鳳凰伝説」では雅楽奏者東儀秀樹氏と共演。
2004年「ハムレット」では振付を手掛け、その独創的な発想に高い評価を得た。また横浜トリエンナーレ大野一雄フェスティバルに招聘され、2008年「棘」、2009年「MORIO」を発表。ストレートプレイとしては、2004年「ビリーとヘレン」、2007年「カスパー」、2008年には、つかこうへい氏演出による「幕末純情伝」に西郷隆盛役として参加し話題となる。
2009年、「地球に落ちてきた男 カスパー」「ROKUJO~源氏物語より~」に主演の他、「シルクロード音楽の旅」では、初のナビゲーターに挑戦するなど活躍の場を広げる。2010年2月には、再びつかこうへい氏作品「飛龍伝」に出演し、本名の役名で好評を博する。今後も、「TRYOUT」シリーズを始め、複数の舞台出演を予定している。

舘形比呂一 踊るように演じていきたい

太陽の輝きと月の陰り、少年の純粋さと大人の知性、木の幹の強靱さと花のはかなさ…。
その幾重もの魅力で常に観客の心を虜にしている舘形比呂一さん。
彼の語る”過去と今、ダンスと表現”には、温かくて優しくて誠実な言葉が散りばめられている。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima
撮影協力 : 山の上ホテル

不器用がいつか武器になる

ダンスもとても19や20歳で始めたとは思えないくらい、とてもしなやかで。筋肉の組成が生まれつきよろしかったんですね。

いやいや、師匠の名倉先生はよくわかっていらっしゃるんですけど、僕は踊るにはほんとに条件が悪いんです。身体も硬いしテクニシャンのダンサーではない。若い時、先生とお話した時に、僕なんかから見たらそんなことないけれど、先生も不器用な人でほんとうに努力、努力でレッスンを人一倍やってここまできたって。今でも心に残っているのが「不器用がいつか武器になる」って言ってくださったことでした。僕も、踊りに真剣に向き合っていくなかで、いつか何か得るものがあって武器になるのかなぁって、どこかで思ってはいましたよね。

舘形さんはクラシックの鈴木恵美子先生のところにもいらしたんですね。

名倉先生がクラシックからジャズにいらした方で、クラシックは基礎だから絶対におやりなさいって。でも最初はバレエがいやでいやで。身体も固いし、単調だし。バレエはパの世界ですから、形がきれいにできないとだめ。そこに行き着くまでにとても時間がかかるから根気がいりますよね。それでも一生懸命やると、バレエで学んだことがジャズに生きてくる。そういう通り道が一回できると、いろんな応用がきいてバレエがおもしろくなるっていうことはありましたね。

スポーツも踊りも芝居も肉体が武器ですね。すべてに対応できる舘形さんの舞台は、だから奥行きが深い。ベジャールもパトリック・デュポンも「ダンサーは踊る俳優である」とよく言っていましたが、舘形さんの舞台を拝見するとそれを感じます。

僕は踊って演じること、踊るように演じるっていうことがすごく好きなんです。それがダンスだったりミュージカルだったり、ストレートプレイだったり。そういった意味では、昔、役者になりたいって思ったことが踊りをとおしてひとつかたちになっているのかな、とは思いますね。

それに、いい声で。

いえいえ、そんなことないんですけどね。ただ、僕思うんですけど、一つ自己表現の手段を知ると、たぶんそこから応用がどんどん広がっていくんじゃないかって。

一つのことを深く追求すると、その深いところから、ほかのことが見えてくる、とよくいわれますね。

そう思います。僕は踊りとの出会いが大きかった。二十代の頃は踊りバカっていう感じでしたし(笑)。

渡米なさったのもその延長で?

踊りが好き、でもだんだん好きなだけでは続かなくなってくる。過渡期でもあったと思うんですけど悶々としてるなかで、本場に行けば何か答えがみつけられるんじゃないかって25歳ぐらいの時ニューヨークへ行きました。でも、ものすごい劣等感をもって帰ってきました。あちらではジャズが生活のなかにある。毛穴に音楽がしみこんでいてみんな呼吸するように踊っている。身体のつくりも筋肉の質も感性も違う。自分が身体が硬いけど一生懸命努力して踊っているっていう次元じゃないんですよ。やっぱりショックでした。
ただ、僕には踊りに助けられたみたいな思いがあったので、簡単にあきらめられなかったんですね。ある日友人のすすめで、大野一雄さんの舞台を見たんです。その時、踊るって、存在することなんだと知りました。決して足を上げるとか高く跳ぶとか粋に踊るとかじゃない。大野さんがカーテンコールにふつうのシンプルなワイシャツにメイクを落として、スーツ姿で踊られるのを見て、もう泣けて泣けてしょうがなかったんです。

もっと肉体を鍛えるには、もっと感性を鍛えなければ表現はできない

大野一雄さんはいろんな人々に影響を与えている舞踏家ですね。

踊りを踊るってことの概念を大きく変えてくれた方だったんですよね。僕もそれまで悪い意味の踊りバカで、とにかく稽古さえしていればダンサーの気分でいられた。大野さんの踊りを教えてくれた友達は今でもいろんなアドバイスをくれるんですが、彼がある時、花見をやってる?って言うんですよ。僕、スタジオのなかで稽古してるから、四季の移り変わりなんて意識したことなかったんです。そうしたら、日本人として桜の美しさを知らないなんて恥ずかしいって。桜の一つ一つは薄い白なのに、あれだけ集まるとなんともいえないピンクになる、それが風でフワーッと落ちていく風景は美しいけど、なんとなく怖さもある。そういう日本人独特の世界観、美意識、表と裏が共存するってことを教えてくれて。ああそうか、表現するためには、レッスンばかり朝から晩まで汗流しているだけではいけないんだ。もっと肉体を鍛えるためには、もっと感性を鍛えていかないと表現はできないんだって思いました。

ソロのリサイタルはどのような経緯で始めることになったんですか。

コンボイショウは僕、大好きなんです。歌もタップもお芝居もやって踊るという…。ただ、踊りとの出会いがあまりにも衝撃的だったので、365日コンボイ漬けの日が続くなかで踊りと自分の関係性みたいなものが見えなくなっちゃって。苦しくて、なんか嘘ついているみたいな気がして、こんな気持で人前に出て拍手をもらっていいんだろうか、って。それでうちのリーダーと社長のところに行きました。その時はコンボイもグループで活動していますから、1人が勝手にやりたいことをやるのはなかなか難しいし周りにも迷惑かける、ましてや僕、気が弱いし(笑)。
でもずっと踊り続けられるわけではないし、その時にしか踊れないその人の踊りがあるって思うと、ああやっぱり今を逃せない、と。悩んで、勇気を出して言ったんです。踊りだけで深い精神世界みたいなものを表現したい、と。20代後半のことで、コンボイをクビになると思っていました。でも、うちの事務所のコンボイハウスでバックアップするからやってみろと言ってくれて、それが初めてのソロ・プレイになったんです。

そうして舞台から舞台へと広がって。

そうですね、エンターテイメントのコンボイから、全く違う世界へ。成功したい、ということじゃなくて、その時に思ったことを正直にぶつけただけだったんですが、それでよかったなって思いましたね。他から仕事をいただくようにもなり、そこでの経験をまたコンボイに転換できるようになりました。

大野一雄フェスティバル2008
「棘」
2008.10.05.(日)BankART1929 / 1929ホール

インタビュー、文
林 愛子
Aiko Hayashi

舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。

フォトグラファー
川島浩之
Hiroyuki Kawashima

ステージフォトグラファー 東京都出身。海外旅行会社勤務の後、舞台写真の道を志す。(株)ビデオ、(株)エー・アイを経て現在フリー。学生時代に出会ったフラメンコに魅了され現在も追い続けている。写真展「FLAMENCO曽根崎心中~聖地に捧げる」(アエラに特集記事)他。

舘形比呂一 踊るように演じていきたい

太陽の輝きと月の陰り、少年の純粋さと大人の知性、木の幹の強靱さと花のはかなさ…。
その幾重もの魅力で常に観客の心を虜にしている舘形比呂一さん。
彼の語る”過去と今、ダンスと表現”には、温かくて優しくて誠実な言葉が散りばめられている。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima
撮影協力 : 山の上ホテル

日本ならではの美しさをかたちに

「ROKUJO」に戻りますが、舘形さんの舞台には、日本の題材を洋舞で、男性でありながら六条御息所という女性の怖さと可愛らしさ、妖しさと純粋さというふうに相反する要素が何重にも重なったおもしろさがあって、しかもそれが押しつけがましくなくて不思議な魅力にあふれていました。

バレエのアン・ドゥオールもそうだけど、悲しいという感情も海外の人だと身体全体をぐっと使って表現しますね。でももし日本人だったら同じような感情を表情ひとつ変えずにスーッと涙が流れていくだけの引いた表現をするでしょう。その引いているエネルギーが、出していくエネルギーと同じ力をもった表現になるっていうのかな、それが日本人ならではの美しさだと思うんですね。歌舞伎や能、お茶や華道に通じる世界観ですね。僕なんかまだまだですけど、そういうことの良さとか説得力というものも、自分なりの表現で少しずつ、少しずつかたちにできたらいいかな、と思います。

劇場では、観客と交流している感覚を何度も経験なさっていることでしょう。

お客さんからいただくエネルギーもあるし、それを大きな鏡で反射して劇場中に散らしていく感覚っていうのがすごくありますね。やっぱり劇場っていう空間は日常じゃない、虚構の世界。ものすごい魔物も一杯巣くっていますしね、だから舞台っておもしろいし怖いんだと思います。

だから、魔物に魅入られてしまった観客が何度もコンボイに通ったり。

そうですね、ありがたいことに(笑)。ほんとにライブって大切だと思います。映画も大好きだけど、これだけデジタルな世界で、その時その場所に行かないと見られない、味わえない、体感できない。その時間というのはとても貴重だなって思いますね。

このインタビューはダンサーを目指す方が大勢読んでいます。最後に、ダンサーにとって何が一番大切かお話しいただけますか。

とにかく肉体が勝負の表現ですから、がむしゃらにレッスンできる時期ってそんなにないので、若いうちはできるだけ稽古はやったほうがいいと思います。そしてとにかく楽しむこと。いやなことも辛いことも落ち込むこともあって当然だけど、そういうなかにもユーモアがあると違うと思うんです。僕は究極の楽観主義っていう言葉が大好きなんですけど、それはどうでもいいってことじゃなくてポジティブに考えることで、いかに踊りを自分のものにしていけるかってことだと思います。他人からは大変に見えることでも、本人がそれをどうとらえるかによって、とてもいい武器になるしチャンスになる。特に踊りは肉体労働なので大変ですが(笑)、だからこそ、楽しむってことは長く続けていくうえで大切だと思います。

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dream

Q. 子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
小学校5年生の時に病気になって、1ヶ月半程入院したことがあるんです。子供の頃はとても内気で、いじめられっ子だった時期もあり、いわば心身症のような感じです。
そのとき、とてもお世話になった先生が居て、それ以来、先生のようなお医者さんになりたいという夢を描いていた時期がありましたね。現実的に自分の能力を考えれば、かなり無謀な夢でしたね…。

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
国境を越えて、人種を越えて、宗教を越えて、より多くの自己表現の場をこれからも求め続けて行きたい。そして、多くの方々と、感動を共有出来たらと思います。

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