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Interview
インタビュー

金森穣 Garden vol.18

金森穣 舞踊専門家集団Noismを率いて

りゅーとぴあ新潟市民文化会館を拠点に活動するNoismは2004年に創設されて以来、高い成果をあげている。日本のみならず世界が注目する舞踊団の芸術監督は金森穣。彼は揺るぎない信念をもって、発足時から舞踊団を最も先鋭的で群を抜いて優れた表現者の集団に導いた。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima
撮影協力 : MARUGO MARUNOUCHI

否定され、耐えられないと思ってもここに呼吸している身体がある

金森さんは海外まで作品を発信して、今、日本の他のホールが金森さんの作品を買い上げています。これは本当に素晴らしいことですね。

誰かが買いたいと思うほどの作品ができるかどうかの保証はどこにもないけれど、ただNoismとして一番の意義を集約しなきゃいけないのは作品の質よりも舞踊家の質なんです。朝から晩まで活動する舞踊専門集団の価値みたいなものは、作品とはまた全然別の次元にあって。この5月公演のようにゲストを呼んだりするのも、Noismのメンバーだから一定ラインのプロの舞踊は提供できるし、プロの舞踊家だからこそ市民に対してのワークショップみたいな社会活動もできる。そういう集団活動を通しておのずと立ち上がってくるのが作品で、活動が高度な精神性を備えて行われていれば、作品もそれに見合ったものが生まれるとは考えています。

”はじめに身体ありき”ということですね。
それからダンサーの自立性についても、早くから言っていらした。

自立性でいうとNoism2の研修生の子たちを見ていてすごく矛盾を感じるのは、頭は自立していて、大人びた情報があふれているから言うことはみんな達者なんだけど、それに見合った心と身体を持ち合わせていないんです。



朝日舞台芸術賞受賞記念
キリンダンスサポート公演
Noism1『Nameless Hands~人形の家』(再演)より
撮影:村井勇

情報過多の時代にインプットすることがうまいのは、学校の教育システムのせいもある。踊りを目指す人たちは、ある程度の身体性をもっていて少し違うと思えますが。

逆にやっかいですよね、身体を通してくるから。非言語芸術である舞踊では、素晴らしい踊り手が、話してみるとまるで何も考えてなかったりする。しかし表現の多様性が生まれた現代では、今や表現者として一流の人たちはそれなりの言語と精神性みたいなことは踏まえているのが当たり前になってきています。ただ、情報のほうが言語で理解できる分入ってきやすい。でも身体は時間がかかります。頭で10分でわかることを、身体は5~6年かけて養わなきゃいけないということをわからないと。結局うちに来るNoism2の子たちは身体ができてないけれども、頭はできているつもりになっているから、まず我慢ができないし、本当の意味で謙虚になれない。
だから、Noism2に入って来た子たちは、まずだいたい鼻をへし折るところから始めることになります。こっちが腹を立ててとかじゃなく、意識的に。単純に一回否定するところから始めて、それでも這い上がってくる子はくるし、やめていく子はやめていく。やっぱり自分もそうでしたけど、どこかで否定されてそれでも這い上がってくる時に自分を見いだすものだから。でも、ちょっとでも否定されると、すぐ頭で考え始める。

金森さんご自身は、やっぱりヨーロッパにいらした時の体験は大きいでしょう?

大きいですね、なにしろ全否定されて。鼻折られたじゃなくて、鼻がなくなりましたから(笑)。

そこでいかに自分を維持して、自分を出していくか。

それでも立ってる、それでも居る。それでも在るこの身体が自分なんだってことに気づく、その重要性ですね。どれだけ否定され、どれだけ耐えられないと思っていても、ここに呼吸している身体があるってことだと。そのことにやっぱり出会わないと自分の身体と向き合うってできないことですね。

恵まれた環境からできてしまった現象

日本では踊りを習う人は恵まれてきたといえますね。舞踊家が社会的に恵まれてきたか、というとまた別ですが。

日本に帰ってきた当初、外国と違って日本人は恵まれてないって思っていたんですが、ずっと日本にいると、日本のほうが恵まれているんじゃないかとも思える。
給料もらえなかったり生活保障がなかったりしても続けていける。親のすねかじって続けている子たちが大勢いるし。Noism2のオーディションを受けに来て、受け入れる時に聞いてみるとだいたい90%以上が親の援助で、それを当たり前のように言える。すごく恵まれています。もし恵まれていないとしたら、それだけ恵まれている状況だからこそ注げるエネルギーを、注ぐ場所がないっていうこと。
ヨーロッパでは、たとえばコンセルヴァトワールに入れなかったらダンサーになれないとか、その時点でふるいにかけられて、好きでも続けられないという環境がある。

確かに欧米では選ばれた人が踊る、日本では踊りたい人が踊るということも言われてきました。
またそういう人々が支えてきた面もあります。見る側からすれば、作品がおもしろくてもダンサーが下手だったら作品は生きないということもいえます。

でも昨今の作品至上主義というか、「コンテンポラリー・ダンス」になってしまってからは、素人の身体とか、それこそ日本のへたうまダンスとかがあるように、欧米で突き詰められてきた舞踊の専門性から表現の新たな模索として始まった非専門的身体志向みたいなものが、日本のもともと専門性のないところにちょうどうまい具合に合わさっちゃった。
舞踏はまた全然違う身体論があって強烈な身体性をもっているから自分はリスペクトしているんだけど、オーバーなコンテンポラリー・ダンスみたいなものはファッションになっている。
だから踊れない人が踊らないことと、踊れる人が踊らないということには大きく隔たりがあるわけです。

それが一つの現象としてあるということはいえます。いずれわかってくることですが。

もうすでに冷めていますからね。

金森穣

金森穣 Jo Kanamori演出振付家、舞踊家。
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督/Noism 芸術監督。
ルードラ・ベジャール・ローザンヌにて、モーリス・ベジャールらに師事。ネザーランド・ダンス・シアターⅡ、リヨン・オペラ座バレエ、ヨーテボリ・バレエを経て2002 年帰国。2003 年初のセルフ・プロデュース公演『no・mad・ic project~7 fragments in memory』で朝日舞台芸術賞を受賞し、一躍注目を集める。
2004 年4 月、新潟りゅーとぴあ舞踊部門芸術監督に就任し、劇場専属舞踊団Noism を立ち上げる。自らの豊富な海外経験を活かし、革新的なクリエイティビティに満ちたカンパニー活動を次々に打ち出し、そのハイクオリティな企画力に対する評価も高い。平成19 年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20 年度新潟日報文化賞ほか受賞歴多数。
www.jokanamori.com

林 愛子 (インタビュー、文)
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
川島浩之 (フォトグラファー)
ステージフォトグラファー 東京都出身。海外旅行会社勤務の後、舞台写真の道を志す。(株)ビデオ、(株)エー・アイを経て現在フリー。学生時代に出会ったフラメンコに魅了され現在も追い続けている。写真展「FLAMENCO曽根崎心中~聖地に捧げる」(アエラに特集記事)他。

金森穣 Garden vol.18

金森穣 舞踊専門家集団Noismを率いて

りゅーとぴあ新潟市民文化会館を拠点に活動するNoismは2004年に創設されて以来、高い成果をあげている。日本のみならず世界が注目する舞踊団の芸術監督は金森穣。彼は揺るぎない信念をもって、発足時から舞踊団を最も先鋭的で群を抜いて優れた表現者の集団に導いた。

もう一度独自に劇場文化や舞踊集団のあり方を模索し、21世紀の新たな扉を開ける

そういう中で金森さんは徹底的な身体性というものを打ち出してきて、ますますそれが深まっているという感じです。

そうですね。日本がそもそも踏まえてこなかった歴史の穴があって、要するに外来ものとしての洋舞踊があり、ある種の進化を経て日本のなかでのクラシカル、モダン、ポストモダン、コンテンポラリーときたわけではないんです。いきなりコンテンポラリーになっちゃっている。劇場も建てたはいいけど存在意義は問われなくて中はからっぽだから、歴史的に抜けた穴を埋める作業をNoismとしてはしなきゃいけない。
逆にそのことが今、世界的には日本独自の発展になると思うんです。
なぜかというとヨーロッパでは劇場はもう使い古され、劇場文化みたいなものはやり尽くしたということでいろんなことが個人化して、舞踊はどんどん非物語化する、あるいは個人的な物語になって集団性はどんどん希薄になっている。そういう時代に日本で劇場専属の舞踊団ができて、独自に劇場文化や舞踊集団のあり方をもう一度模索することで、21世紀の劇場文化の新たな扉を開けるというのが、我々の信念である、と。

Noism1&Noism2合同公演
劇的舞踊『ホフマン物語』より
撮影:篠山紀信

金森さんは横浜生まれで東京の育ちで。言葉を必要としないダンスはどこからでも発信できることを示している。若い人たちをずっと引っ張ってきたその行動力には強い父性も感じます。

Noism設立当初のメンバーには年上もいましたけど(笑)、偉そうにやってきましたから、戸惑う人もいたと思います。
リーダーでしか、リーダーしか成し得ないこと、それを突き詰めるとヒエラルキーが生まれる。
Noismでは明確なヒエラルキーをつくっていますが、言い換えればそれは責任であり、目標なんです。今、自分はここにいるけどもう一歩上に上がりたい、この情念、怨念みたいなもの(笑)。それがあることでしか向き合えないぐらい、毎朝毎朝同じ鍛練をするとか、舞踊が好きだからということだけでは消化できないものに向き合うわけです。身体の痛みに耐えて人前に立って自らの身体をさらすとか、振付家の要求に応えていくとか。
特に若い子たちに対しては遠くて見えない目標じゃなくて、それこそNoism2の子たちにとってはNoism1に入るということであったり、1の子たちも入ってからは頑張れば契約ランクが上がったり、作品で重要なパートを踊れたりすることを示していかないと。
最終的には定年を迎えた時にはヨーロッパ並みに保障があるとか。まだそこまでいってないですけど。
少なからずのヒエラルキーは絶対必要で、そのトップに自分はいると認識しているし、その責任を背負えないんだったらリーダーじゃないですよね。

舞踊家と振付家、互いを必要とする愛憎入り乱れたエネルギーが生み出すもの

話は変わりますが、草食系男子と言われる今、企業では女子社員が勢いあると聞きます。ダンサーの世界でも女性が強そうですね。

そうかもしれませんね。女性のほうが我慢強かったりとか。ただ、舞踊の場合、女性の数が圧倒的に多いので女性のほうが生え抜きなんです。
コンテンポラリー・ダンスの場合、男の子は一流の舞踊家になることじゃなくて、カンパニーを作りたいとかが最初の目標になっていたりする。それはそれでいいのかもしれないけど、本当に生粋の舞踊家が少ない。女の子のほうが、自分で作ることには興味ないけど、舞台に立つこと、振付家と仕事するのがすごく好きとか、一直線でぶれない精神の強さみたいなものがある子が多い。男のほうがどうしてもぶれちゃう。最初は我慢しているんだけど、ある程度のことを覚えると俺もできるんじゃないかと思い始めてだいたいやめていきいますよね、うちでも。

徹底したダンサーでいる人は少ない。

徹底した舞踊家。そういう舞踊家に対する愛情が振付家にはなければいけないし、その関係性でなければ生み出せないものがある。舞踊家も「自分でも創るけど今日は踊り手に徹するよ」とか振付家も「お前のために創りたい」とか。
お互いにお互いを必要としているという愛憎入り乱れたエネルギーが必要ですね。

やめていく人も、Noismで経験したことはどこかで必ず役に立つはずです。

そうですね。実際男の子の方がやめてからも、「穣さん穣さん」て言って来るんですよね。みんな可愛いです。
女の子は耐えて耐えて、だけどやめるときはポンと。みんな元気にしていてくれればそれでいいんですが。

カンパニーの宿命でもありますね。

でも、集団の芸術であるってことを考えた時に、ある種の集団が少なからず10年ぐらいものごとを共有したからこそ生み出せるものって絶対にある。それをつくりたいと思っているから。新しいメンバーが来るとこいつと10年とか思うわけですよ(笑)。
井関佐和子には、「またそうやって入れこみすぎると、2~3年後に傷つくことになるのはあなただよ」と言われるんですけど。
でもその盲信というか、その愛情がないと逆にできないんですよね。そこで、どうせ2年後にはなんて思っていたらつくれない。

favorite

思い出の品

シューメイカースツール
北欧の家具は実によくできていて、これは靴職人が座る椅子でデンマーク製なんです。
シンプルなデザインですが人間の身体のことがよく考えられていて、長い時間座っていても疲れない。身体がまっすぐの姿勢を保って座れるんです。そんなわけでNoismの稽古場でいつも使っています。

dream

Q. 子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
有名になる事。

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
劇場専属舞踊団が増え、劇場に足を運ぶ人々が増える事。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima
撮影協力 : MARUGO MARUNOUCHI

金森穣 Garden vol.18

金森穣 舞踊専門家集団Noismを率いて

りゅーとぴあ新潟市民文化会館を拠点に活動するNoismは2004年に創設されて以来、高い成果をあげている。日本のみならず世界が注目する舞踊団の芸術監督は金森穣。彼は揺るぎない信念をもって、発足時から舞踊団を最も先鋭的で群を抜いて優れた表現者の集団に導いた。

学校で子供にダンスを教える難しさ

今は、ワークショップ等も行って、小さい子供さんたちも教えていらっしゃいますね。

我々のワークショップで子供向けも大人向けも一貫しているのは、踊りを教えないということなんです。やっぱり舞踊家になることには専門性があるというのが一番最初の立ち位置なので、踊りの片鱗を見せて、よかったですね、では意味がない。だから、身体感覚を目覚めさせる、相手の身体がわかる、そういうカリキュラムを組んで毎回工夫しながらやっています。
小・中学校ではダンスが必修になったので、学校の先生たちに向けてのワークショップもしました。先生たちがどういうエクササイズをすれば子供たちが舞踊を嫌がらずに受け入れられるかとか、創作舞踊の授業で生かせるシンプルなアイデアとかをお伝えすると、皆さん喜んでくれます。
これは専門的知識がないとできないことで、学校の先生たちを集めて、舞踊家が自分の振付を教えたところで、先生たちはなかなかできないんです。

えてして日本の舞踊教育はそういうかたちできましたから。

でも学校の保健体育の先生たちは舞踊が好きでもないし、しかも採点をしなきゃならない。
その先生方を指導する方は、「子供たちを見ればわかります」と言われるそうで、現場との乖離がある。舞踊に関しては素人である現場の先生には、別の方法論を組んで教えなきゃいけないんです。嫌々やってる先生に教えられたら、舞踊嫌いの子供になっちゃうと思う。

本当におっしゃるとおりです。ところで金森さんはどんなお子さんだったんですか。

両親とも働いていたので0歳の時から保育園に預けられて、泣いたりわがまま言ったりすることがあまりなくて、寝てばかりいたらしいです(笑)。

ヨーロッパで知った有名になることの意味



子供の頃の夢は有名になることだったそうですけど、ピンポンパン体操で有名だったお父様を見ていらしたからですか。

いや、父親が有名だからって思ったことは1回もないです。それがいやだった記憶も嬉しかった記憶もないですし。そういう意味で有名になりたいというよりも、なにかこう、ことを起こすためにはある程度のところまでいかなきゃいけないと。そのある程度というのが、子供の頃は有名になるってことだと漠然と思っていたんでしょう。

それは小学校の時ですか?

そうですね。ダンス雑誌なんか見ると美しい人たちが出ていて、この人たちが舞踊の世界を変えていっているんだな、と思っていました。
それがヨーロッパに行ったら有名無名関係なく、実力勝負で。できるかできないか、ほんとに技術的な専門的なことだったり、振付家の目を引くか引かないかだったり。いわゆる日本でいう知名度があるとか、テレビ出たことがあるとかいうのとは全然違うものでした。

金森さんは大変優れたダンサーでもあるわけで、金森さんのダンスを見たいっていう人も大勢います。もちろん私もその一人です。

でも身体が一つしかないから(笑)。
いや、踊りたいんですけどね、踊りたいんですけど、全部はできないですね。

そういう意味では井関佐和子さんは超・スーパー・ダンサーだから、違う感覚で活動ができるのでは。彼女とのユニットは、化学反応が起きておもしろそうですね。

unit Cyan(ユニット シアン)としてやりたかったのは金森穣としての可能性ですね。そもそもシアンは高知県立美術館に二人の作品をつくってくれないかと依頼されて。
自分自身に振り付けるっていうこと自体をやってみたかったんですけど、ずっと避けていて、Noismではそれはもうやらないことにしていたので。

もちろんご自分も毎日トレーニングを。

しています。振り付ける時も自分で身体を動かさなきゃいけないですし、自分の身体が鋭敏でないと、舞踊家の身体を見た時に何が抜けてるかっていうのがわからないですからね。
ストイックだとよく言われますけど、それが当たり前なんです。
もし当たり前だと思っていないことがあるとすれば行政とのやり取りで。
だから稽古はストレスの発散になる(笑)。無心になれますから。

Noism1『OTHERLAND』

外部振付家招聘企画第4弾
2組のゲスト振付家による新作と、芸術監督・金森穣振付レパートリーからの3作品を上演
――極めて異なる身体性と世界観をもった振付家達と共にNoismが切り拓く新たな地平『OTHERLAND』

[日時]2011年5月27日(金)19:00・28日(土)17:00・29日(日)17:00
[会場]りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場
[チケット料金]一般5,000円 学生2,500円(全席指定)

http://www.noism.jp/

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima
撮影協力 : MARUGO MARUNOUCHI
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