ダンサーで振付家、そして教師、ステージは広がってシルク・ド・ソレイユの登録ダンサーでもある金田あゆ子。その八面六臂の活躍で多くの人を魅了する。彼女のパワーの源はどこにあるのだろうか。
Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa
撮影協力 : GALLERY YUNOR / TOOP design works 門脇万莉奈
本当に金田さんが、幅広くご活躍なさっているのは、うれしいです。
一番、呼吸が楽にできる時が、自分がダンサーでやっている時なんです。
他の人が振り付けた作品を踊ると発見もあるし。踊れることはすごい幸せで、できるだけ多くの振付家に出会うことが今の自分には大切かなと思っています。
教えは自分にとっては勉強です。人との関わりのなかで、人の前に立って何を言うか、言えばそれを自分に跳ね返さなきゃいけないし反映させなきゃいけないから。
振付は挑戦ですね。新しいものをつくるのに自分の過去にとらわれていたり、そのときの状況が出てきたり、前に進みたいと思うけど案外進んでいなかったり。けっこう自分自身が表に出てくるものだと思います。
金田さんの作品では、昨年、日本バレエ協会のヤングバレエ・フェスティバルで上演した「完璧なお城」がおもしろかった。「ジゼル」の第2幕をもとにして、女性たちはロマンティック・チュチュでバレエシューズ。でも、静かなウィリではなくて裏切られた怒りとか悲しみといった感情をもっと露わにしていました。天井から吊された1着の男物の上着が恋人アルブレヒトを象徴している、という衣裳の使い方も独特で振付も意欲的で。ああいうテーマでつくろうという発想は、どこからきているのでしょうか。
「完璧なお城」は2009年の12月に初演して、そこからヤングに向けていく機会があって、そのあとまた再演して全部で3回やっています。インスピレーションがパッと浮かんで、振付は、中身を深めていく段階でやっぱり男女の関係についての考え方とか自分の過去とかを恥ずかしいぐらい全部出していくことだと思いました。
2009.12/23 こどもの城・青山劇場
劇的舞踊集団kyuの「竜馬と幕末サラリーマン」では金田さんは竜馬役で中性的な魅力を発揮しましたね。ベテランの男性舞踊家に囲まれて紅一点、おもしろい企画でした。
こういう作品に出会えて幸せです。リハーサルもおもしろかった。幕末には興味なかったんですが、横浜であれを上演できたことで、日本でもうちょっと頑張りたいなという意欲が上がった。
いいものは世界にあるけど日本には少し遅れて入ってきて、今、日本でいいとされているものは海外ではもう古いとされたりする。だから海外には時々行ってみたいけど、日本でなにかやりたいなとますます思いました。
そういえばハンブルクのバレエ学校に留学したんですね。そこを選んだのはなぜ?
ノイマイヤーの「椿姫」が好きで。行く前からあそこしか考えていなかった。ローザンヌ・コンクールで少しうまくいかなくて、でもそのまま留学するつもりでいたので、学校に直接オーディション受けに行きました。横関雄一郎君も一緒で、ひとつ上に服部有吉君がいました。その時にはあまりわからなかったけど、離れてみてからハンブルクにいてよかったな、と。自分の振付の原点もあそこにあるんじゃないかと思いますね。創作のクラスで考え方とかつくり方を少し学べたんじゃないか、と。
金田さんはご両親が舞踊家で、バレエは確か3歳から始めたとか。
覚えてないんです。
それに4歳の時、一回やめたらしいですよ。舞台に出た瞬間に笑われたみたいで、それがいやだったらしいんです(笑)。だから5歳で再スタートです。
小さい子が出てくると可愛くて客席はつい笑っちゃうんですよね(笑)。それを感じちゃう子もいるわけですよね。
ご両親はなんと言ってらしたんですか?
いやだったらやめればいいと常に言われていました。
それがやっぱり、あるとき一生懸命やろうとコンクールを目指すようになった。コンクールの入賞歴はすごいですね。やっぱりきっかけがあったんですか。
一回すごく悔しい思いをしたことがありました。小学校高学年の時、舞台のために子役の踊りのオーディションがあって、背が高くなり始めていたから、ソリストのオーディションも誘われて。でも子供の頃だから大きい小さいとか子供か大人の違いもわからず対等だと思っていて、落ちた時、私に実力がないから選ばれなかったんだ、と。それがバネになったかも。それまで稽古も感性のおもむくまま踊っていただけだったのに、その時負けたという恥ずかしさを感じたんです。
長女ってわりと引っ込み思案なところがありますよね。
そう、それでもわかってもらえるというのがあったんだと思います。でもこの世界でやっていくのなら、自分からやりたいです、やらせてくださいっていう姿勢がないと。私やりたいんですけど…って遠くから見ていてもなにもならないことが、その頃にわかった。
おうちは何もおっしゃらなかった。
両親からはよく叱られて。どちらかというと父かな?コンクールで賞をとっても、いい気になるなといつも言われていました。おめでとうと言ったのはおばあちゃんぐらい。高飛車になるのを防止していたんだと思いますが(笑)。その時は誰もほめてくれない、と思って。
我が子をもてはやすご両親でなくてお幸せですね。
落ちた子が隣りにいる時に、はしゃがない、とか。うちは、いまだに入賞者の名前をはり出したりしないし、コンクールの結果は結果でしかない、と。その過程で頑張ることができて成長したらそれが結果であり、人からの評価で自分を測るなみたいなことはずっと言われていたので、逆に結果が出ない時には助かったこともありましたね。
金田あゆ子 Ayuko Kaneta金田和洋・こうの恭子に師事。
国内外のバレエコンクールにおいて、最優秀賞第一位、審査員特別賞等、数々の賞を受賞。
ジョン・ノイマイヤー率いるドイツ・ハンブルグバレエ学校に留学。
翌年、香港バレエ団へ入団。ロミオ&ジュリエット、白鳥の湖、くるみ割り人形等に出演。
帰国後、島崎徹、上田遙、加賀谷香、キム・ソンヨン、Rebeck Raimondoなどの振付作品で主演。また、日東書院出版「ボディシェイプ・バレエ」、主婦の友社出版「初めてのヨガ」、ダンス雑誌[DDD]等でモデルとしても活動している。
2007年シルク・ド・ソレイユの登録ダンサーとして契約、[ZED]に出演。ダンス雑誌「DDD]の登録ダンサーとなる。
日韓ダンスフェスティバルにゲスト出演。翌年、韓国(ソウル)にて「NO COLOR」を振付、出演。韓国映画にダンサーとして客演、CM振付、国際映画祭オープニングの振付、出演、ヘアーショー、ファッションショーの振付、出演。
日本バレエ協会公演では、古典作品、創作でも主演やソリストを務め、今年のヤングバレエフェスティバルで若手振付家として「完璧なお城」を発表。2005年、第1位作品振付者として指導者賞を受賞し、2009年アメリカNYで行われた国際コンクールで振付作品「SHADOW」が第一位を受賞するなど、次世代を担う振付家として期待されている。
2004年、自らの活動拠点として森田真希と結成した「UNIT SEEK」も第三回の公演を行い、NPO法人芸術文化育成センターに所属しながら国内外で芸術の発展、育成の為の活動に力を入れている。
NHK文化センター主催アンデルセン生誕200年イタリア(コモ、フィレンツェ)にて“マッチ売りの少女“演出・振付・主演。
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
ステージフォトグラファー 日本写真芸術専門学校 広告・肖像科卒業後株式会社エー・アイに入社。飯島篤氏のもとで舞台写真を学ぶ。幼少時より習っていたクラシックバレエを中心にコンテンポラリー等多くの公演の撮影を経験。現在フリーで活躍中。
ダンサーで振付家、そして教師、ステージは広がってシルク・ド・ソレイユの登録ダンサーでもある金田あゆ子。その八面六臂の活躍で多くの人を魅了する。彼女のパワーの源はどこにあるのだろうか。
小さいときに一回やめて、それからやめようと思ったことはない?
香港バレエ団をやめて帰ってきた時に一度、踊りをやる自分に意味を感じなくなったことがあって。舞台って神聖な場だと思い込んでいたのに、向こうでは舞台の上でちゃらちゃらしているだけの人もいるし、単なる仕事だからってすぐ帰る。そういうふうにやっていかなかったらもたないよ、みたいな感じの人たちが多くて。派閥じゃないけどうまくやらないと蹴落とされるような世界だから、踊りに純粋であればあるだけ傷ついていく。やっぱりバレエは日本人のものじゃないのかもしれないって思ったんですね。
つらいですね。
そうですね、それに耐えられないのと、一回日本に帰りたいというのがあって。結局、帰ってコンクールに出るんですが、妹はその時すべてのコンクールで1位をとり続けていた。そこで比べられて、妹みたいにうまくはできないって思って。それまでは私はうまくいっていて逆に妹が大変だったみたいで。今はすごく仲がいいけど、お互いライバル視していたんですね。妹の精神力は強かったし、私も海外に行って少し強くはなったけど、親にも気をつかっていたし、自分のなかで孤独感がしばらく続いていて。
それが解放されるきっかけとなったのは、島崎徹さんとの出会いだったですね。ダンサーとしても人間としても素晴らしい人で、奥様や佐々木想美さんみたいな方たちとも出会えたことが大きかった。
島崎さんとは、どんなお仕事をしたんですか。
こんなにダンサーを信じてくれるんだと初めて思いました。海外だとダンサーは大勢いるので、あなたじゃなくたっていいって言われるんですよ(笑)。でも島崎さんは、海外に行きたいならそこに行くチャンスをどうにか作ってあげたいけど、今、自分の初めてのリサイタルだからあなたにぜひ踊ってもらいたいと言ってくださって「カレッジ」という作品を、デュエットで韓国の人と踊らせてもらったんです。私が日本で初めて踊ったコンテンポラリーでした。
それはいいチャンスでしたね。
20歳か21歳くらいの時で、島田衣子ちゃん、佐々木想美さんと、高部尚子さんとかすごいメンバーでした。島崎さんとしばらく一緒に仕事をして、ミストレスみたいな感じで振り移しとか補助をしたりして勉強させてもらっていたと思う。そしてそのうちにまた踊りたくなったんですよ。上田遙さんの作品に出るようになったのはその頃。日本の方との出会いがおもしろいようにつながっていったのが、二十代中盤ぐらいでした。それからジャズダンスを習ったり、劇団で演劇の勉強をしたり。
どんな経験も決して無駄にはならない、とよくいわれますが、金田さんのお話はまさにその証明ですね。
本当にそう思います。芝居の練習では台詞は覚えられないし、自分でも言っててもヘンなんです。
一番合う役がヤクザの役(笑)。最初は女性っぽい感じかなっていわれたけど、男の人の汚い言葉のほうがスラスラって出た(笑)。
でも人を観察するということに、もともと興味があって、たとえば相手に完全に気を許していない時には正面は向かないで斜に構えているとか。そういうのが、今は自分の作品のなかに出てきてますね。
シルク・ド・ソレイユでは登録ダンサーとして活躍なさって。オーディションはどんなことをするんですか。
ほんとになんでもできないとダメでした。シルクはアートとして見せようとしていますから、だからジャズもやったし、即興、バレエもパ・ド・ドゥもやったし、芝居みたいなのももちろん、それから顔の表現。とにかく8時間ぐらいずっとし続けるんです。昨日は「ZED」の本番で踊ってきました。
ほんとにお忙しいですね。これからの予定は?
毎年スタジオの公演をやっているんですが、今年の8月にも五反田ゆうぽうとで上演する新作を考えています。和的なものをテーマにつくりたいと、それで何が和的なのかをちょっと考えているところです。
出会いがあって、一泊二日で高野山に行って、お坊さんの宿坊に泊めていただきました。東京から行くとシステムも違うし、自分のなかに入って来るものも違う。空海の話をやるわけにはいきませんが、今、家のなかは資料だらけになっています。和的な要素としてはいろいろなものを入れていくんだけど、外見的なものじゃないものを出したくて。
つまり精神性ということ。
はい。それで見ていくと、けっこう世の中と似てるような気がしました。日本人は、外からの文化を取り入れることを躊躇しない。自分はこうだというよりはこれもあり、これもありでしょと融合的なことを感覚としてとらえているんじゃないかと思うんです。だからなにか新しいものが入って来たら、それもいいんじゃないってなる。日本以外の国は、外からのものを日本ほど簡単には受け入れないのかもしれない。
善し悪しは別として日本はいろんなものに影響されやすいのかな、と思いますね。
それは一番の日本の特徴といえるでしょうね。
だからバレエでなにで勝てるか、勝負するか。そのために自分のなかになにを入れていくか。
そのことを考えると、今の瞬間、たぶん来年違うものになっているかもしれないものを出し続けることでしかできないような気がする。
だから自分の拠点がユニットで欲しかった。踊っていられて幸せ、と思いますね。
それであのSEEKっていうのを作って。
それを続けることが必要なんだってことに気づいて、それをやってから、空いた穴がふさがったんですよ。なんかずっと不安感があったのが、自分の拠点があるというだけで、スッとなくなってものすごいポジティブに前向きになっていったんです。
撮影協力 : GALLERY YUNOR / TOOP design works 門脇万莉奈
ダンサーで振付家、そして教師、ステージは広がってシルク・ド・ソレイユの登録ダンサーでもある金田あゆ子。その八面六臂の活躍で多くの人を魅了する。彼女のパワーの源はどこにあるのだろうか。
身体で表現できるというのは本当に素敵なこと。
金田さんのように、いろいろなフィールドで仕事をしている人はなかなかいませんね。
たぶんそれが自分でいちばんやりやすいかたちだったんだろうなって思う。今はそれですごく満足してるけど、これから先ですよね、どうやってそれを返していくかってことを考えたいな。
中村恩恵さんが青山劇場でのローザンヌ・ガラの時に、アーティストは世の中の汚いものを浄化する役割がある、と。その舞台をやることによって、お客様が空間のなかに入った時に、感覚が浄われる仕事ができたらいいな、みたいな話をなさってました。
私もそういうことを目指せたらいいなって思えた。
うまく言えないんですけど、舞台をやりながら、そのなかだけで収めるというよりは、ほんとにふつうの人たちに見てもらえるように、踊りを身近なものにしていくためにどういう活動を起こしていこうかなとワクワクしています。
観客の方からいただいた手紙とかも持っているんですが、これはヤング・バレエフェスティバルで「完璧なお城」を上演した時に、出演したみんなが作ってくれた色紙です。出演者は中学生、高校生とかもうちょっと上の人たち。私が、呼吸でもう少し動いてと言っていたものだから、チーム呼吸と名付けたらしい。後輩であり教え子でもありますが、私にとっては大切なダンサーたちでもあります。
色紙の裏は、彼女たちが私がいろいろなところで踊っていた写真を切り取ってくっつけてつくってくれました。こういうのをもらうと、また頑張ろうかなっていう気になるんです。
両親は仕事でほとんど家に居なかったので家に帰るといつもおばあちゃんがいました。
大らかで、本当に強くて優しい人。
そんなおばあちゃんが亡くなったのはUNIT SEEK リサイタルのほぼ2週間前でした。今でも私の守り神。どんなときでも見守ってくれている、そんな気がします。
Q. 子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
小さい頃から両親の舞台をよく観に行っていたので、自分も舞台で踊る仕事につけることが「夢」でした。人と話すこと、一緒に何かをやることが苦手だった私にとってバレエだけが自分を素直に表現できる方法だったように思います。
踊りで人と人が思いを共有することができる、そんな世界への憧れが自分を支えてくれたんじゃないかと。
Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
これからの「夢」。
少しでも世の中に役に立てること。
私が踊ることで誰かが幸せになれたら。
私が創ることで誰かに希望を与えられたら。
私が何かできること、それが少しでも誰かの為になること。
それが夢であり、目標です。
撮影協力 : GALLERY YUNOR / TOOP design works 門脇万莉奈