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Interview
インタビュー

酒井はな Garden vol.24

たぐいまれな表現力と並外れたダンステクニックで、ドラマから抽象作品までの世界を自在に行き来する酒井はな。
彼女の舞台には観客、演出家、振付家の誰もが引き込まれずにはいられない。今、最も輝いている酒井はなは現代の舞姫であり女優である。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima

初めて行ったバレエ教室でレオタードを借りて

去年、アーキタンツの10周年記念公演で、ウヴェ・ショルツ振付の「ラフマニノフ・ピアノ・コンチェルト第3番」が初演されました。この画期的な舞台でリード・ダンサーだったはなさんは表現もテクニックもひときわ輝いていて本当に素晴らしかった。それから出演していた大勢のダンサーたちがひとつになって、あの難しい作品を完成度の高いものにするんだという心意気が感じられて胸を打たれました。
メインのダンサー以外はオーディションで決めたそうですね。皆さん、本当に頑張ったんですね。

大変でしたけど、稽古すればするほどどんどん楽しくなっていってリズムも新しいし、あ、こうやって音をとるんだとか、踊っていくとたくさんの発見がありましたね。

ショルツは不思議な振付家ですね。音楽に合わせるというような感覚じゃなくて、もう踊りが音楽そのものでしょう。

そうなんです、だから自分も音楽そのものになれればいいいな、と。本当に不思議な作品で、身体の使い方はクラシックなのにそれとは違う、またコンテンポラリーとも違う。でも基本はすごいビシッとクラシックなんですね。稽古は約2か月ぐらい、ジョバンニ・デ・パルマさんという指導してくださる方がいらしてる時に合わせて。出演者の皆さんは自分自身のお稽古や舞台がある中でやるので、時には歯抜けになってしまったりと現実には大変だったけど、一人一人がいきいきして、おっしゃる通りみんながひとつになって踊れた。
すごい素敵な作品に出会えたねって、みんなで感謝しました。

はなさんの幅広い活躍は見ている側にとってうれしい限りです。そもそもバレエと出会うきっかけは、お母様だったとか。

5歳の頃、母がバレエが好きで近所の先生のところに連れていってくれました。初めてその教室に見学に行った時に、踊りたくて忘れ物のレオタードを借りて(笑)、ストレッチも一緒にやらせてもらって。すぐ好きになりました。

やめようと思ったことはありましたか?

小学校2年生ぐらいでしたか、一度だけ。トウシューズを履いた時、あまりに痛くて、血は出るし脂汗は出るし。だめかなと思ったんですけど、母がだまされたと思ってもう一度履いてごらん、それで痛かったらやめれば、と。おもしろいですね、履いてみると痛くなかった。もうそれからは踊りが楽しくて。そこにたまたま出稽古でいらしていた畑佐俊明先生にお会いしてすぐに先生に習うようになりました。畑佐先生は現役の時に牧阿佐美先生や森下洋子先生のパートナーを踊っていた方で、たくさんのアドバイスを頂き、そしてどんどん吸収していきました。先生は私の尊敬する永遠の師匠です。今でも畑佐先生のところで稽古を受けています。私がぶれないでいられるのは先生のおかげだと思います。特に私、いろんな作品を踊るから。


なかでもクラシックバレエは、はなさんにとっては、戻るっていう感じですか。

そうです、今の私にとってはすごく大事なパートで基本なんです。そこに戻る、ベースがあるっていう感じですね。

牧阿佐美バレエ団から新国立劇場へと活躍の場が移って、新国ではトップで主役を全部踊りましたね。

新国立劇場にはオープニングからずっといさせていただいて、古典だけでなくたくさんの作品を踊らせていただいて感謝しています。コンテンポラリーはナチョ・デュアトさんだったり金森穣さんだったり、新国でもけっこう踊る機会が多くなっていったんですね。そこで身体の動かし方なんかが勉強できて、だんだん好きになっていきまして、わりと筋肉の感じがコンテンポラリーに向いていたのかもしれないですね。

酒井はな

酒井はな Hana Sakaiアメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ。日本に帰国後に鎌倉で育つ。
5歳からバレエを始め、畑佐俊明に師事。橘バレエ学校、牧阿佐美バレエ団出身。
14歳で牧阿佐美バレエ団公演でキューピット役に抜擢され一躍注目を浴びる。18歳で主役デビュー。以後主な主役を務める。新国立劇場バレエ団設立と同時に移籍。柿落としにより、主役を務める。クラシック・バレエを中心に活動しているがコンテンポラリー・ダンスやミュージカルにも積極的に挑戦、 新境地を拓く。進歩し続ける技術・表現力、品格ある舞台で観客を魅了する日本を代表するバレエダンサーの一人といわれている。
現在新国立劇場バレエ団名誉ダンサー、シニア・ソリスト。
村松賞新人賞、舞踊評論家協会新人賞、中川鋭之助賞、芸術選奨文部大臣賞新人賞、服部智恵子賞など受賞歴多数。
2007年舞踊評論家協会賞受賞。2008年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

林 愛子 (インタビュー、文)
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
川島浩之 (フォトグラファー)
ステージフォトグラファー 東京都出身。海外旅行会社勤務の後、舞台写真の道を志す。(株)ビデオ、(株)エー・アイを経て現在フリー。学生時代に出会ったフラメンコに魅了され現在も追い続けている。写真展「FLAMENCO曽根崎心中~聖地に捧げる」(アエラに特集記事)他。

(2012.9/24 update)

酒井はな Garden vol.24

たぐいまれな表現力と並外れたダンステクニックで、ドラマから抽象作品までの世界を自在に行き来する酒井はな。
彼女の舞台には観客、演出家、振付家の誰もが引き込まれずにはいられない。今、最も輝いている酒井はなは現代の舞姫であり女優である。

ミュージカルのおもしろさを知って

劇団四季のミュージカル「コンタクト」にも出演しましたね。

それもまた人生がひらけたというか、劇団四季の皆さんには大変お世話になりました。
私はぼんやりしているところがあって、どちらかというと、あの作品のあれをやりたいから、あの国に行くというのではなく、いただいたものを精一杯やるというタイプだと思う。
出会いに恵まれて、いただいた一つ一つを一生懸命やるという積み重ねで。

「コンタクト」での黄色いドレスの女という役はクラシック・バレエの素養がかなりないとできません。
どういう経緯であれを踊ることになったんですか?

プロデューサーの方を知っていて、はなにぴったりの役だからと言ってくださって。浅利慶太先生にはお会いしたことがなかったので、オーディションでバレエを見ていただき、全然できない台詞も読ませていただきました。そうやって来た私を先生は喜んでくださって、じゃやってみるかい、と。

踊りから芝居に場を拡げた人は大勢います。徹底的に基礎から身体を鍛えているから、芝居や歌に行っても強いんですね。
その逆は大変だと思います。

浅利先生もそう言ってらした。バレリーナは腹筋があるから、トレーニングすれば声も出るし演技もできる。でも歌手が踊るのはつらいんだよって。

はなさんはその時点ですでにプリマだった。テクニックもあり特に演劇的な作品も評価されていました。古典からコンテンポラリー、ミュージカルまでこなす人は、そういないでしょう。

ありがとうございます。でも根本は同じなんだなと、そこにクラシックの土台があるということは強いことだといつも踊っていて思います。台詞を習う時にも感じたんですが、私たちダンサーは身体を使いますが、持っている声を使う時、声は見えないものだけど五感を使って表現する、それが言葉になるというのがすごく新しくておもしろかった。

四季ではツアーにも行ったんでしょう?

東京で4週間、そのあと京都で3週間公演があって、初めて一人で生活をして舞台をやったんですね。カンパニーの雰囲気もよくて皆さん本当に親切にしてくださって、とても楽しかったです。素晴らしい経験でした。舞台が続くというのはバレエではなかなかないことですから。


追い込まれたからこそ踊れたマノン

これまでの豊かな舞台経験のなかで、本当につらいことや苦しいこと、ネガティブな思いを抱いたりしたことがありましたか?あったとしたら、はなさんはどうやって乗り越えましたか?

踊っていれば、時には悩んだり壁にあたったりしたけど、やっぱりそれがあったから強くなったと思います。ネガティブでいえば、マノンをやった時、ものすごくたたかれたんですね。指導の先生がイギリスの方ですごくシニカルで人間としての尊厳をキズつけることを言う人で、たまにつらくてお稽古を休んでいました(笑)。身体も細くなってしまって。でも、あとで納得したのは、あそこまで追い込んでもらえなければ私はできなかったな、と。

あれは2003年の日本初演、難役でしたからご苦労があったことでしょう。

マノンは天使で娼婦で男の人を破滅させる、でも彼女はそれをわかっていない。自分はわからずにやってしまうという女性を踊り演じなければならないのは、とても重くてものすごく難しかったです。

相手役はデ・グリューがドミニク・ウォルシュさん、兄がロバート・テューズリーさんでしたね。

お二人とも「マノン」という作品をすごく愛していたから演技の厚味があっていろんな感情のひだを表現して、ただ私を見ているだけでも何かが起きる。彼らの集中力はすごくて全身で当たってきてくれて、私の内にあるものを引き出してくれたので、私も最後まで役を生ききることができました。

favorite

思い出の品

こだわりというか、私にとって大切なものはやっぱり主人からもらった指輪です。
もともと指輪は好きで、珊瑚は一番最初に私の誕生日に島地から婚約指輪としてもらったもの。金の指輪は結婚指輪で、夫もおそろいをはめています。そしてダイヤは結婚する前の島地からのプレゼント。母が父に和光で買ってもらったので、私も同じところに行きたいと言って、島地さんに頑張って買ってもらいました(笑)。
どれも今はお守りみたいになっていまして、 舞台のある時は、はずさないでいい場合にはつけています。

dream

Q. 子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
バレリーナになる。森下洋子先生に憧れて。

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
家族みんなが幸せで健康で過ごしてゆくこと。Babyを授かること。
いい作品、作家に出会って、踊ってゆけること。出来る限り体が頑張れるところまで踊れること。
島地さんとカンパニーをつくること。自分の経験したことを、若いダンサーに伝えられたら嬉しい。

(2012.9/24 update)

酒井はな Garden vol.24

たぐいまれな表現力と並外れたダンステクニックで、ドラマから抽象作品までの世界を自在に行き来する酒井はな。
彼女の舞台には観客、演出家、振付家の誰もが引き込まれずにはいられない。今、最も輝いている酒井はなは現代の舞姫であり女優である。

妄想からどれだけ役のイメージを広げられるか

ところで、はなさんは私生活では2010年に結婚もなさった。ご主人はフォーサイス・カンパニーのダンサー、島地保武さん。

島地とも話すんですけど、私は私生活が波瀾万丈ではないので、役の中に入ってイメージをふくらますのが好きです。妄想ちゃんなので(笑)。でもそれがダンサーには必要なことなんだね、と。

本当にそうですね、失恋体験がたくさんあるからといってその悲しみや怒りを簡単に表現できるものではないでしょうから。

だからどれだけイメージを広げていけるか、お客様が私を見た時に、何かを感じていただけるようなダンサーというか役者というか、そういうふうにもっとなりたいなと思う。

結婚してから、ご自身が変わったと思いますか?

なにより視野が広くなりました。自分の世界だけでなくパートナーの世界も一緒に見ようとするのはいいことだと思う。
でも私、昔は結婚するならダンサーじゃない人がいいと思っていたんです(笑)。彼はすごく自然体で変わり者で(笑)。
出会ってすぐに波長が合って、この人と一緒に生きて行こう、大丈夫って感じました。

出会いはどちらで?

「ひかり肖像」という作品を森優貴君にお願いしたんですが、彼はビスバーデンにいて動けない。それで津村禮次郎先生と私はあちらで稽古するために合宿に行って、島地とはそこで出会いました。彼は現在もフランクフルトにいますが、未来は一緒に暮らして行くと決めて、今はできることをお互いにやろうとしています。

ウォルシュ振付の「カミーユ・クローデル」

アーティスト同士の素敵な結婚ですね。最近の新しい舞台は?

「マノン」で出会ったドミニク・ウォルシュがその後「オルフェオとエウリディーチェ」、「ウォルフガング・フォー・ウェブ」をつくってくれて、この2つは最近もアメリカで踊ってきました。
そしてドミニクがカミーユ・クローデルをはなで描きたいと60分の作品をつくってくれました。彼のカンパニーでこの「カミーユの生涯」を5月にヒューストンで踊って、そのあと標高の高いアスペンのフェスティバルでも踊ってきました。11月にもまたこれを踊ります。
彼は私が表わすものを楽しんでくれるので、私もやりやすくて舞台を楽しんでいます。

カミーユは彫刻家ロダンの弟子で愛人、自我との戦いのなかで苦しみます。はなさんにはぴったりの役。はなさんはドミニクのミューズなんですね。

彼もそう言ってくれるのでうれしいです。カミーユの弟ポール・クローデルは外交官で日本にも来ました。カミーユが北斎の版画の波のイメージで作っためのうの彫刻があるの、舞台では北斎の絵をスクリーンに映して出しています。美術も美しい作品です。

「カミーユの生涯」はベスト振付賞を獲得しているんですね。アメリカのお客様の反応はいかがでしたか。

すごく喜んでくださった。あなたは能の香りがするなんて言われて、ああ、そうなんだって自分でも感慨が深かったですね。

さらに活動の場をひろげて

お能といえば能楽師の津村禮次郎先生がはなさんを高く評価していらして、共演も多いですね。

津村先生とご一緒の舞台はほんとうに刺激的で楽しくていろいろ勉強させていただいています。先生とは9月もさいたま芸術劇場で和太鼓の佐藤健作さんとの「ハレの祭典」で、共演させていただくんです。

古事記の編纂1300年と「春の祭典」作曲100年を記念したコラボレーションだとか。
笛には一噌幸弘さんが参加して、豪華なメンバーですねぇ。

まさに男太鼓でおもしろいと思います。今回はテーマがしっかりあるので自分のパートを自分で振り付けてみようかと思うんですけど、島地と小尻健太さんにアドバイザーで入ってもらいました。

ダンサーとして、やはり長く踊っていきたいと思いますか?

はい。チャンスもあっていろいろ踊ることができましたが、若い時から毎回、この作品を踊れるのはこの機会だけしかない!!という気持ちで取り組んでいます。お客様に最高のものをお見せするためにベストを尽くして全身全霊をかけてやっていく。
それには自分が納得するまでの準備をして、そうすることで自信がもてて、結局、いい舞台をお見せしたいということだけに焦点をあててきたかもしれないですね。
そのためにこれからも身体のメンテナンスをきちんとするのを心がけて、どう身体をどう維持していくか、しっかり研究したいと思います。

佐藤健作和太鼓公演
ハレの祭典 「古事記」編纂1300年×「春の祭典」作曲100年記念

[日時]2012年9月29日(開演19時)、30日(開演18時)
[会場]彩の国さいたま芸術劇場大ホール
[チケット料金]S席7800円 A席5800円 *全席指定・税込み *未就学児入場不可
[出演]
和太鼓:佐藤健作 98年サッカーw杯大太鼓演奏・文化庁芸術祭賞受賞
バレエ:酒井はな 新国立劇場名誉ダンサー・文部科学大臣賞受賞
能:津村禮次郎 重要無形文化財能楽総合指定・10年文化庁文化交流使
笛:一噌(いっそう)幸弘 重要無形文化財能楽総合指定・創造する伝統賞受賞
ほか、和太鼓助演者
*舞踊アドバイザー:小尻健太(元NDTⅠ所属、ローザンヌ国際コンクールプロ研修賞受賞)
島地保武(フォーサイス・カンパニー所属)

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