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Interview
インタビュー

冨田実里 Garden vol.30

早くから将来を嘱望されていた冨田実里。
昨年、英国イングリッシュ・ナショナル・バレエで「ロミオとジュリエット」「くるみ割り人形」を指揮して英国デビューを果たしたことは、私たちにとって大きな快挙となった。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

イングリッシュ・ナショナル・バレエ(以下ENB)での初仕事はいかがでしたか?

すごくいい経験でした。海外のバレエ団の例にもれずENBも公演数が沢山あって一人の指揮者ではやりきれないからと、ゲストで呼んでいただきました。
バレエ団とオーケストラの間ではもちろんリハーサルもゲネプロもありますが、私を呼んでくださった音楽監督のギャビン・サザーランド氏がずっと振っていらして、はい、じゃ今日はトミッツィ(冨田さんの愛称)の番、と。つまり、自分がオーケストラと初めてコンタクトをとった時は本番だったんです。ああ、外国ではこんなふうに放り込まれてやるんだな、と思いました。(笑)

ENBに誘われた時、まず何を思われましたか?

ほんとに夢のようでした。新国立劇場の副指揮者をやっていた時に、イーグリング版「眠れる森の美女」の指揮で来日していたギャビンさんが、私に通し稽古を振るチャンスを与えてくださいました。それが終わると、うちに来ないかと言ってくださった。こうしたらみんながハッピーになるかもしれない、と模索しながらやってきた自分のやり方を認めてもらえたのがうれしかったですね。
ENBは日本人に親しみをもっていて、日本のダンサーも活躍しています。私が行った時はジュリエットは高橋絵里菜さん、マキューシオは猿橋賢さんが踊っていました。
あちらはオーケストラのプレーヤー、ダンサーの方々もタフで、ENBの場合は「くるみ割り人形」を1か月で35回、昼夜と続けて上演するほどでした。ともかく沢山の場数があってそこで振れるということは、私にはすごくいいことでした。逆にこちらに帰ってきて、日本はそもそも本番の回数が少ないですが、緻密に積み上げていって舞台をつくるという日本のやり方も嫌いじゃないんだと改めて思いましたね。

指揮のスタートは吹奏楽部

冨田さんはバレエも習っていたそうですね。

もともと姉が地元のバレエ教室でやっていたのでついて行って、やりたくなったんだと思います。

ピアノを習うより先に?

音楽は母のおなかの中にいる時から聞いていたような感じで。最初は母にピアノを習うところから始めて、4、5歳ごろからほかの先生にピアノもバレエも習い始めました。
身体は堅かったんですけど、やってみてよかったと思います。音楽と一緒に体を動かしているというのがたぶん好きだったんでしょうね。

音大ではピアノ科だったそうですが、バレエ指揮を選んだのは?

劇音楽や舞台音楽つまり総合芸術には物語があります。その物語を音楽で表現することに、元々興味があったんです。小さい時から、お話を考えながらピアノを弾いたりもしていました。
指揮自体は、中学・高校の吹奏楽部からスタートしました。指揮は一人ではあるけれど、みんなでひとつの音楽をつくっていくことが単純に楽しくて仕方がありませんでした。みんなで一緒に演奏していると、一人で演奏しているだけでは気づくことのできない「何か」に気づける、その「何か」を探すのが好きだったんでしょうね。
あと、指揮をしていればおもしろい人に出会えそうだというのが自分を鼓舞するきっかけになりました。高校の部活を引退した後、指揮をきちんと習いたいと、大勢の指揮者を生んでいる桐朋学園の指揮教室に飛び込んでいって堤俊作先生と出会ったんですね。あんな怖い先生だということを全く知らずに(笑)。先生がバレエをやっていらしたので、その現場によく行くようになりました。

堤先生が怖いことは有名でしたね(笑)。冨田さんを指導なさって先生も満足なさっていらっしゃることでしょう。

たぶん私は最後の弟子なんです。

富田美里

冨田 実里(とみた みさと)

国立音楽大学器楽学科ピアノ専攻卒業。桐朋学園大学音楽学部指揮教室にて指揮の研鑽を積む。
2007~2008、2010~2013年度ロームミュージックファンデーション音楽セミナー指揮者クラスに参加。2011年8月、ハンガリーの指揮マスターコースにてドナウ交響楽団を指揮して、オーケストラより特別賞を贈られる。
2012年シエナウィンドオーケストラアンサンブル<シエナ・スピリッツ>を指揮。

2013年1月、日本バレエ協会関東支部神奈川ブロックの公演にて「ドン・キホーテ」全幕を指揮してバレエ指揮者としてのデビューを飾る。同年、日本バレエ協会関東支部より発売された「バレエコンクールIN横浜 課題曲集」CD録音の指揮を全曲担当。また新国立劇場バレエ団において数々の公演の副指揮者を務め、2015年秋には英国のイングリッシュ・ナショナル・バレエより客演指揮者として招聘された。今後の活躍が注目される新進気鋭の指揮者の一人である。

指揮者の活動以外にもバレエのリハーサルピアニストを務める等、ピアニストとしてオペラ・室内楽・現代音楽等様々な分野で活動の場を広げている。

第9回日本クラシック音楽コンクールピアノ部門全国大会審査員特別賞受賞。サントリーホール20周年記念公演デビューコンサート<レインボウ21>、国立音楽大学卒業演奏会、第77回読売新聞社主催新人演奏会等に出演。

これまでに指揮を堤俊作、湯浅勇治、松沼俊彦、ピアノを木下まさみ、草野明子、ソルフェージュを三ッ石潤司の各氏に師事。

 

(2016.9.23 update)

冨田実里 Garden vol.27

早くから将来を嘱望されていた冨田実里。
昨年、英国イングリッシュ・ナショナル・バレエで「ロミオとジュリエット」「くるみ割り人形」を指揮して英国デビューを果たしたことは、私たちにとって大きな快挙となった。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

演奏で人を楽しませることを母が教えてくれた

バレエの指揮は、オーケストラ、舞台上にいる踊り手とのコミュニケーション、いわば三位一体を目指さなきゃいけない。小さい時からいろいろなことにふれていらした冨田さんにとって、なによりご家族との生活はコミュニケーション力を培った場なのではないかと思いますが。

私の母は早く結婚して、24歳で姉を生むまではエレクトーンの演奏活動をしていました。私を生んだあとは、母は自宅で音楽教室を開き、エレクトーンやピアノを教えて定期的に発表会をやっていました。
それがふつうの発表会と少し違って、ステージ上にピアノとエレクトーンの両方があって、同じくらいの年の子たちのアンサンブルの曲をやったり、小学生はなぜか将来の夢についてしゃべってからピアノを弾いたり(笑)、いろんなイベントとかテーマがありました。昔からそんなふうに音楽で楽しませるということをやっていた一番身近な存在が、母でした。
覚えているのは、「私の背中を見てほしい」と言うんです。そしてすごく楽しそうにエレクトーンを弾くんですね。
母を見て、人を楽しませるという演奏を私は最初に知ったのだと思います。

お姉さまもお仕事を?

テレビのディレクターをしています。小さい頃から喧嘩もほとんどしたことがないほど仲良しで、今ではよく仕事の相談もし合っています。

表現で人を楽しませるというお母様の意思を、お二人とも継いでいるなんてほんとに素敵ですね。その若さですでにご活躍ですが、これまで迷ったり壁にぶつかったりということはありましたか?

ENBに行く前がそうでしたね。このまま指揮を続けられるかなと思っていました。ちょうど30歳手前でしたのでいろいろ考えてしまって。(笑)

すべての仕事にいえるかもしれませんが、家族とか理解者が身近にいてくださるというのは大事ですよね。

ほんとにそうですね。イギリスには両親も姉も見に来てくれて。うれしかったですね。

舞台づくりに必要なのは妥協ではなく共存、いいものを目指したお互いの駆け引き

さて、指揮者はいったん指揮台に立ったら孤独なうえに、みんなを引っ張っていかなきゃならないのでたいへんと言われますが。

そうですね、指揮台に立つまでの間にそれだけ準備をしておかなきゃいけないということは常に思っています。
堤先生のところからバレエの現場をのぞかせていただけることになって、他の現場にも時々お手伝いに行っていたこともありました。そこである指揮者の先生がおっしゃったんです。純音楽をやる前に舞台音楽をやりなさい、自分がやっている後ろにどれだけの人々がいるか、キューを待っている照明の方やダンサーの方々がいることがわかるから、と。
私のなかでは、バレエの指揮をする時には、自分の指揮がどう見えるかということより、音楽そのものから作品の魅力を伝えるにはどうしたらよいか、ということを意識しています。

踊った経験がおありというのは大きいのでは。

そうですね、あとはバレエ音楽に携わる指揮者やピアニストの方々に出会って、踊りとのシンクロによってその音楽をよりイキイキ聴かせられると知ったことも大きいです。
例えば、踊っていて爪先を伸ばす時の音と、ジャンプで出す時の音の出し方は違います。踊りの内容に意識を向けると、そこにも良い音楽をつくるためのエッセンスがたくさん詰まっているんです。それをまとめる大変さはありますが、周りから一杯のエネルギーをもらっていますので、リハーサルまで不安ですけど、本番はいつもとても楽しいですね(笑)。

客席にいても、音楽と舞台の生み出す一体感を感じるとほんとにうれしいです。

こちらも呼吸が合っているのがわかる時は、とても嬉しくなります。
でもその裏では、現場にいるナマの人間たちが本気でぶつかり合っているんです。新国立をはじめ、様々な場所でアシスタントから仕事をしてきた経験を通して、指揮者だけではなく、衣装さん、音響さん、いろいろな方が集まってそれぞれがアイデアを打ち出していくことが、素敵な舞台を作り出すのに不可欠だと思うようになりました。
そこで必要なのは妥協ではなくて共存すること、駆け引きなんですね。いい舞台をつくりあげるために、そういう駆け引きももっとできるようになっていきたいです。指揮者は音楽をリスペクトし、その曲にどういう振付がされているかを理解し受け止めたうえでどれだけ素晴らしい音づくりができるか、それがこの仕事のおもしろいところじゃないかと思っています。

dream

Q. 子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
「漫画家!」「パン屋さん!」「ケーキ屋さん!」と毎日日替わりで将来の夢が変わっていたのが、幼少の頃。
小学生の頃は、漠然と、音楽に携わる仕事につきたいな、と思っていました。
その後、ピアノの先生でもなく、学校の音楽の先生でもなく、その他の方法で「社会で役に立つ音楽の職業」にはどんなものがあるだろう、と中学生の頃から思うようになりました。
指揮者になりたい、と初めて思ったのは高校生の頃です。

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
バレエファンの方々に音楽の魅力をもっと知ってもらうようになること。
音楽ファンの方々にバレエの魅力をもっと知ってもらうようになること。
お互いの架け橋になれるような活動をしていきたいです。

(2016.9.23 update)

冨田実里 Garden vol.30

早くから将来を嘱望されていた冨田実里。
昨年、英国イングリッシュ・ナショナル・バレエで「ロミオとジュリエット」「くるみ割り人形」を指揮して英国デビューを果たしたことは、私たちにとって大きな快挙となった。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

原点は「ドン・キホーテ」と「シンデレラ」

ダンサーという仕事についてはどう思いますか?

印象に残っている方々は大勢いますね。自分を常に磨き続けること、その努力を重ねている方々と一緒に仕事をしていると、私も頑張らなくてはと思います。それから、たとえば地方のバレエの大きな発表会で地元のオケと共演する場合でも、なかなか手足の伸びないお子さんたちを教えている先生方って素晴らしいと思います。

2014年、山梨の若尾バレエの「シンデレラ」では山梨交響楽団で振っていらっしゃいましたね。振付は石井竜一氏で。

あれは心が温まる公演でした。プロコフィエフの全幕バレエですから、山梨交響楽団とは何回もリハーサルに通いました。若尾バレエの先生や石井竜一先生は小さいお子さんたちをていねいに指導して、ほんとうに愛情を注いでいらした。その前の13年には日本バレエ協会神奈川ブロックで「ドン・キホーテ」を振りました。これは石井先生の師である横瀬三郎先生の演出・振付ですが、私にとってバレエを初めて指揮した本番でした。「シンデレラ」とあわせてまさに私の原点なんです。

音楽ファンとバレエファンの架け橋になれれば

指揮者として、本番に向けて心がけていることはありますか?

とにかく作品を知ることですね。物語の内容や楽譜をよく読むこと。これは私の師匠の湯浅勇治先生がおっしゃったことなんですが、古いものから勉強しなさい、と。その作品ができた歴史や、どういう背景やどういう風習があるか、名作は古いものから新しいものが創られた結果ですから、そこでは何が革新的なのか考え方がどういうふうに変遷したか、古いものから順番に見ていくとわかるよと言われたことが、私はすごく心に残っているんですね。
たとえばチャイコフスキーにしても、彼がバレエを書いた経緯や、彼が音楽史の中でどういう位置づけでどういう作曲をしてきたかを知ることは大切だと思います。プティパとチャイコフスキーが「眠り」をつくった時、音楽と振付の関係について細かく手紙のやり取りをしています。王様が登場する場面には変ホ長調という調性が使われていますが、変ホ長調を見ていくと、その前にベートーヴェンの「皇帝」や「英雄」という曲があって、それは威厳を示す調なんです。そのことをわかってチャイコフスキーはこの場面に変ホ長調を選んでいる。こういう経緯を知れば、それは演奏する時に大きく活かせる事だと思うんです。
そうして音楽家としてのアプローチの方向が見えたら、次に振付家がどういうやり方で振付けたかを考えます。その振付も過去から見ていくと、長いものだったのが時代に合わせてだんだん変わっていったとか、今はこういう流れでやってきている、とか。あとは稽古場に行って、ダンサーの稽古の仕方、踊り方の癖などを見ます。ピアノで弾けてリハーサルができたら最高なんですけど。

なかなかそうもいかない場合もあるでしょうね。

そうですね、新国ではピアノを弾いていますが、皆さんが踊れる方々なので音楽をだいじにしてついてきてくれます。今日はこう弾いてみたらどうなるだろうとやってみる時もあります。
もちろん相手の状況を見ながら。音楽と舞踊が合う、呼吸が合うということはタイムで測れるものではなくて、緊張すればダンサーも音楽家も心拍数が上がるし、その時その時の出会いなんですね。お互いに自由に掛け合いができる関係がつくれたら、今日の本番を楽しみに臨むことができる。
そういうふうになれるのが一番おもしろいですよね。

これから振りたい作品は?

ずっと「ロミオとジュリエット」をやりたかったから夢がかなってうれしかったです。あとはもちろんチャイコフスキーの三大バレエはやりたいですね。堤先生の下振りは何度も経験しましたけど「眠れる森の美女」の本番をまだ振ったことがありません。それからバレエ・リュスの作品は興味がありますね。コンサートでよく演奏されていますが、舞台でなかなか見られないのでそこに立ち会えたらいいなと思います。
新国では「火の鳥」をやりましたが、私は音楽ファンがもうちょっとバレエを見てくれたらと思うことがあります。それがこれから自分のやりたいことにもつながるので、そういう架け橋になれたらいいな、と。逆にバレエファンの方にも音楽についてもっと知ってほしいと思います。

本当におっしゃる通り。今日は音楽がさらに身近になるお話をありがとうございます。最後に今後の予定について教えていただけますか?

来年、新国が富山オーバード・ホールとびわ湖ホールで上演する「シンデレラ」、NBAバレエ団の「ロミオとジュリエット」があります。それからENBからも呼んでいただいています。ENBが日本人に好感をもっているのは、それまでの日本人がきちんとやってきたおかげなんですね。多国籍の人たちのバレエ団ですが、ありがとう、と日本語で言ってくれたり、とてもフレンドリーなんです。前人が築いてきた信頼関係に恥じないようにしなければいけないと思っています。

こだわりの品

私はこだわりがあまりないので、ほんとにつまらない人間なんですけれど(笑)。楽譜に書き込みをするのにちょうどいいよ、と私の先生(湯浅勇治先生)が勧めてくださったのが3Bの鉛筆なんです。2Bでもなく4Bでもなく3B。実は今回これしか浮かばなかったんです。濃すぎず堅すぎずというので、よく使うようになりました。今ではすっかり愛用して、持ち歩いています。

林 愛子 (インタビュー、文)
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
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