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Interview
インタビュー

西川箕乃助 Garden vol.35

八面六臂の活躍を続ける西川箕乃助氏が語る多彩なキャリア。
それは私たちに励ましと元気、満ち足りた読後感をもたらしてくれる。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

あれは10年以上前、劇的舞踊集団Kyuの立ち上げ公演から先生の舞台を拝見させていただき、洋舞の方々とご一緒に踊っていらしたお姿からは“どんな振付でも踊りは踊り”という先生の心意気が伝わって感じ入りました。日本舞踊家の箕乃助先生は、モダンダンスのラバン・センターでも学んでいらっしゃる。まずそのいきさつからお聞かせいただけますか。

日本舞踊は歌舞伎舞踊がベースになっています。歌舞伎は男性がやっているわけですが、明治以降、女性が踊れる新舞踊運動が始まりました。それまでは日本舞踊という言葉もなくて、踊りとか所作事とか言っていた。歌舞伎舞踊とは違った、女性が踊れる舞踊をと先駆者たちがずっと戦後を過ぎても続けているのですが、今でも結論は出ていません。父の扇藏の時代にはその活動がすごく盛んで、昭和30年から50年頃、日本舞踊のなかでも創作舞踊が沢山発表されました。たとえば日本舞踊には歌詞がありますが、歌詞のないものに振り付けて、抒情的な舞踊いわば現代舞踊に近いものが、具象的なものより抽象的なものが生まれました。

田中良先生という画家で歌舞伎の六代目菊五郎が踊った「保名」の舞台美術などをやっている方と、私の父たちが月に一回研究会をやっていました。それは父はじめお弟子さんたちが、舞踊家の目線をもたない評論家や研究者の方々にみていただきご意見や助言をいただく機会でもありました。そこで田中先生が「扇藏さん、この子を舞踊家にしたいんだったら花柳茂香先生のところに勉強にやるといいよ」と。私はちょうど大学に上がる頃、古典のベースがあって子どもの芸から大人の芸になる頃で、昭和40年代50年代に作品を沢山つくっていらした茂香先生に、八巻献吉先生がつないでくださった。
つくるとはどういうことなのか。日本舞踊の場合どうしても、あるボキャブラリーを順列組み合わせで替えたり、それのちょっとしたバリエーションであったりします。茂香先生の振付は単なる新しいもの好きではなく、ほんとに動きからつくったものでした。若い頃の私にはとても勉強になりましたが、なかなかそれが消化しきれず、古典をベースにした作品などを沢山踊らせていただきました。八巻先生のご紹介で西田堯先生のところへもうかがった。西田先生はモダンでもわりと日本的な作品をつくっていらして、基本的なレッスンを受けさせていただきました。

お父様は、日本舞踊の五大流派で一番古い西川流の十世宗家、西川扇藏先生。そのご子息としては珍しい経歴です。

親がこの日本舞踊の世界だけにいるとものの考え方が狭くなるから、ダンスとは関係なしに他の世界も見たほうがいい、と。それでロンドンへ留学しました。ロンドン大学では語学を学びながら本コースへ入った。すると、あなたダンスやってたのならロンドンにこういう学校があるからと勧められ、ラバン・センターに行ったんです。そこには、学校の先生はもちろん経験者からプロを目指す人、初級者までいろいろな人がいました。有名なラバノテーションの専門書も買わされ、全く覚えていないんだけれども(笑)、結局1年タイツをはいてやっていました。

それは本当に貴重なご経験で。

純粋に日本舞踊だけやってきた人とはちょっと違うかもしれません。平成元年に帰国しましたが、日本を外から俯瞰で見ざるを得なかった。日本の良さ、日本舞踊の良さも考える一方で、日本舞踊の環境のいやなところも見えたり、日本舞踊から離れるのかという不安も感じたり、いろいろな意味で勉強になりました。
日本の芸能は理屈じゃないところがあります。足の使い方、身体の使い方などモダンともバレエとも違います。西欧ではバレエは世界共通の言語ですが、日本舞踊の場合はバレエのように理論化してテキストにするということはなかなか難しい。許容量が広くて感覚的、個人の裁量が大きい。ところが現代人に対しては、特に大人に近くなってからは理屈から教えないとなかなか理解してくれない。でも父の時代には弟子や生徒は先生から言われるままにやって、なぜかなんて聞かなかったし先生も説明もしない。僕はそう教わったからそのように教えているだけ、長じてわかる、と父は言います。

西川箕乃助

西川 箕乃助(MINOSUKE NISHIKAWA)

1960年2月1日、日本舞踊西川流 十世宗家 西川扇藏の長男として東京都港区六本木に生まれる。3歳で「かつを売り」で初舞台(東横ホール)。

早稲田大学高等学院を経て1984年早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。

1987年から1989年までロンドンSOASにて語学研修、LABAN CENTERにてモダンダンス、舞踊理論など学ぶ。

1993年歌舞伎座に於ける西川会で五代目 西川箕乃助を襲名。
最も古い流派の一つである西川流の後継者として
西川流に伝わる古典作品の継承と父である十世宗家扇藏振付作品を上演している。
自身の振付作品も多数発表している。

2009年に同世代の日本舞踊家 花柳寿楽、花柳基、藤間蘭黄、山村友五郎と共に五耀會を結成し、
舞台芸術としての日本舞踊を標榜し活動している日本舞踊家としての活動の他、
NHK大河ドラマの所作指導として2001年以来、多くの作品に携わっている。

宝塚歌劇団、OSK日本歌劇団にも振付として参加。

2018年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

 

(2020.1.27 update)

西川箕乃助 Garden vol.33

八面六臂の活躍を続ける西川箕乃助氏が語る多彩なキャリア。
それは私たちに励ましと元気、満ち足りた読後感をもたらしてくれる。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi


日本舞踊ではいきなりレパートリーから入りますね。

そうです。そして、しぐさと純舞踊的な動きが混在している。技術的なことではなく理屈で考えるのでもない。ロンドンに行って良かったのは、そういうことが見えたことですね。

逆にロンドンで感じられた日本のいやなところとは何ですか。

戦後の日本では欧米に倣えということで、たとえば学校でも三味線の曲を聞かせるのはたまに音楽の時間にレコードをかけてくれるくらい。日常生活では着物を着なくなり学校の入学式でも着物姿がどんどん減っていく。ロンドンにいた頃はバブルですから日本はそれが加速した時代でした。あの頃NHKのロンドン支局で、BBCニュースのテロップのサブタイトルをつけるのを日本語訳するアルバイトをしていたんですが、取り上げるのは天皇崩御とか経済ぐらいで、イギリス人は日本文化に対する興味はなかったと思う。でも日本の向いている方向は欧米化で、それは便利さを追求すること。日本的なことは排除されていく。その排除されていく側のことを自分の家はやっているわけですから、これでいいのだろうかと当時はよく思いましたね。

お父様に敬意を払い、その姿を見ながら長い伝統と歴史を継承していかれることをご子息が運命づけられているのは皇室や伝統芸能、もの作りのお家などで他にはなかなかありません。

僕には姉が2人いて、二番目は三味線をやって僕まで年子なんです。一番上の姉が家元だっていいわけですが、僕はかつての皇太子と同い年でしてね、自分の意志とは関係なく、男の子が後継ぎだとお弟子さんたちにも見られていました。大学卒業する時に、あなたはどうするつもりだと、覚悟をもたせて自分から言わせるために母親が聞いた。思春期には遊びたい盛りでしたが、他にやりたいものがないのか就職もせずこの道に入りました。ほんとの意味で覚悟ができたのは、イギリスから帰ってからですね。

舞踊で、この世界でやっていこう、と。

やっぱり根っこは踊りが好きだから。じゃなければやっていなかったかもしれない。芸事でイヤイヤやることほど不幸なことはありませんから。父である西川扇藏は親であって親でない。半分師匠ですから、甘えるとかけんかするとか普通の親子とはちょっと違います。うちでは母親がいろんな意味で見守り役、父親役でもあった。扇藏も母親が九代目の舞踊家でした。僕の祖母でもあり宗家でしたが、父が8歳の時に急逝したんです。その後、実質はその頃の高弟の方々が西川流と父を支えてくださった。

今だったら、お家騒動とかあっても不思議じゃありません。

跡取りが子どもなので、言いくるめられて乗っ取られたり。でもあの時代、日本人の意識がきちんとしていましたから。私の場合、母親がとても厳しい人でした。一昨年亡くなったんですが、しょっちゅう母とは口喧嘩。父が言いました。それができるおまえがうらやましい、と。苦労して育った父は自己主張なんかしたことなかったんでしょうね。私は、父に対して口答えしたことはありませんでした。

扇藏先生は、失礼を承知で言わせていただくととてもかわいらしい方で。舞台も洒脱でひょうひょうとして魅力的な先生です。西川会では会場のほんわかと和気あいあいとした雰囲気を感じます。

それは父の存在が大きいのでしょう。芸事の家はだいたい芸事をやってりゃいい、という場合が多いが、社会との関りを持つ以上勉強もきちんとしなきゃいけない、という考えでした。僕はなまけて大学5年行ったんですね、それで中退したいと言ったら、それなら踊りもやらないでいい、と。(笑)踊りを続けてKyuに参加したおかげで他ジャンルの現代舞踊の方々とも出会えました。

お年の近い方が集まった五耀會も画期的です。音楽でいう人気ユニットですね。

50代で五耀會を立ち上げてもう10年が過ぎました。私が一番年上で次が藤間蘭黄さん、花柳基さん、山村友五郎さん、花柳寿楽さんの5人です。流派が違うと利害もぶつかったりすることもありますが、それは脇へ置いといて、純粋に日本舞踊を世間に見てもらうにはどうしたらいいかと、さまざまな活動ができて本当に良かったと思います。間近で互いを見ながら舞台を作って、自分の足りない部分をこの人はもっているから素直にいいなと敬ったり、逆に自分の良さを再発見できたり、今のラグビーチームみたいです。(笑)今、五耀會には独自のお客様もいらっしゃるようです。

素敵なことですね。現代では日本舞踊を見たり習ったりすることは贅沢なことだとみなされています。

dream


4歳のとき「羽根の禿(はねのかむろ)」の稽古を
父につけてもらう


3歳のとき「かつを売り」で初舞台

(2020.1.27 update)

西川箕乃助 Garden vol.35

八面六臂の活躍を続ける西川箕乃助氏が語る多彩なキャリア。
それは私たちに励ましと元気、満ち足りた読後感をもたらしてくれる。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

昔はお嬢さんがお行儀を習うために日本舞踊の稽古をしました。今はそれがバレエやピアノにとって代わられて。バレエは世界的なものだから、たとえばローザンヌの賞があって、世界のバレエ団で踊りたい、アメリカでチャンスがあるかもしれないとかビジョンが描きやすいかもしれませんね。
僕の場合、こうなるようになんとなく仕向けられたということはあります。洋舞の方々は後ろ盾のない分、明確な意志を持って踊ってこられた方が多いのではないかと思う。日本舞踊は息の長い舞台なので僕なんか、なかなか結果が出なくて悶々とした時期もありました、五耀會の仲間と比べても。自分で言うのも変ですが大器晩成と言われてましたし。とにかく日本舞踊の音楽を使った舞台がどうやって現代に受け入れられるか、それが僕にとっては重要なことなんです。でも時代でしょうか、今は宝塚でも再演ものの舞台の時間が短くなって、そうしないと客席が眠くなるんだそうです。

海外でも日本でもたとえば「白鳥の湖」は以前より短くなっています。現代は時間の長いものが敬遠され、若い人は早く結果を出したがる傾向がありますね。

花柳茂香先生に30年ぐらいお世話になっていたんですけど、先生がおっしゃってらしたことがあります。結果や賞が今、欲しいならしょうがないわね、それでもいいんじゃない。でも近道ってのはもったいないわね。すぐ答えが出るなんて浅はかなものなのよ、と。ああそういうものなのかなと思ったけど、若い頃にはなかなかわからない。遠回りして寄り道していろいろなことをした結果が表現に結びつくってことが。

箕乃助先生は創作も一つの柱になさっていらっしゃいます。10月の西川箕乃助の会でも新作を発表されました。

よく言われるんですけど、創作をすることで古典が見えてくることがある。古典だって最初は創作だったわけで、それが良かったから残ってきた。その何千倍というものが生まれて消えていった。今は、若い世代が古典回帰しているんです、創作ものを発表してもあまり評価されなくなってきたからですが。

それは見る側に余裕がないのかもしれませんね。

昔は評論家の先生が、昭和30年代から続いている創作の流れを一緒に生きて善導してくださった。今はそういう先生方がいらっしゃらなくなった。古典というのはベースがちゃんとしていて振りもあるので、うまくトレースすればある程度の結果も見えてくる。でも創作はゼロから作る。曲も自分で探したり、作曲を依頼したり。
10月の会では新作を清元栄吉君に頼みました。彼は芸大の作曲科ですが副科でとっていた三味線にはまって、作曲科卒業してから邦楽へと進んだ。僕も聞きに行きました。それで栄吉君に、音楽的におもしろいものを作ってみないか、と。経験からいうと成功している作品というのは曲が必ずいいんです。

バレエ、ミュージカル、なんでも同じことがいえますね。

「白鳥の湖」だってそうですよね、名作に名曲あり。僕は常々思っているんですが、人間の五感のなかで耳のほうが目より強いのではないか。音楽がいいものなら、それに引っ張られて見る。それで10分ぐらいの曲なんだけど男女の感情のもつれをテーマに彼にお願いしただけで、あとは自由に、と。7月末ぐらいには曲ができていて、自分のができたのは会の一週間前。自分の振付がなかなかできない。だんだん不安になったり逃げたくなったり(笑)、でもなにかポンと一つきっかけができると自分の中で広がっていく。そういう作業をいとわないでやらないとダメで、あえて自分に課しているんです。出来上がったものがどうかは別の話で、そういうことをしないと守りのほうに行ってしまう。肉はつかなくてどんどんそげていってしまう。年齢的にも今の時期、いろんなことができないと。どこまで肉付けできるかを考えると、この10年で決まるかなと思いますね。

日本舞踊協会公演

・会場: 国立劇場大劇場

・日程:2020年 2月22日 (土)~2月23日 (日)

・演目:
2月22日昼の部 23日昼の部
「令和薫風」の振付

23日夜の部
「賎機帯(しずはたおび)」の舟長

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こだわりの品

平成5年11月26日(金)歌舞伎座での五代目西川箕乃助襲名披露公演のプログラム。(写真上)

 

イギリスのラバンセンターに留学した際にもらった教科書。解剖学的な見地からダンスを学んだ。(写真下)

 

林 愛子 (インタビュー、文)
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
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