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Interview
インタビュー

逸見智彦 Garden vol.15

逸見智彦 悩みは、踊ることで忘れてきた

王子役といえばこの人といわれるほど、逸見智彦は日本では数少ないノーブル・ダンサーだ。
気品ある踊りと相手役を大切にする優れたパートナリングは、常に高く評価されてきた。
率直な彼の話には、穏やかで温かみのある人柄がそのままにじみ出ている。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa

舞台で動いていない時こそ、いかに王子に見えるかが大事

逸見さんは、ベテランなのにお若いからそう見えませんね。

もう、年は大ベテランですよ(笑)。

牧阿佐美バレヱ団でのデビューは「三銃士」のアラミス役、そのあと「くるみ割り人形」の王子を踊って。

自分では「ラ・フィーユ・マル・ガルデ」の、村の青年コーラスのほうが好きかもしれません。
やっぱり王子は地じゃないですから。「くるみ割り人形」の場合はクララの夢の中の王子だから王子像としてはつくりやすい、というか踊りやすかったというのはありますね。「白鳥の湖」とか「ジゼル」とか”眠り”の王子とは違って。

逸見さんの師でもある今村博明先生や三谷恭三先生が、王子であり続けるのはほんとに大変だと以前におっしゃっていました。

スキがあっちゃいけないですからね、王子をやっている時っていうのは。ふだんの生活からそうやっていたらおかしな人に見えるかもしれないけど(笑)、王子らしくっていうのは、歩き方、振る舞い方ですよね。踊っている時は決められたパとか動きがあるけど、舞台で何もしていない時こそいかに王子に見えるかが大事かなと思う。つまりたたずまいとか。

振付家のテリー・ウェストモーランド氏が王子は振りむき方ひとつでも他の役とは違う、と。
それを一から教わったと今村先生が言ってらしたことがありました。そういう意味では逸見さんは、先輩にもあたる今村、三谷の両先生がいらっしゃるから。

そうですね、ラッキーだと思います。先輩を見て、勉強して、役をイメージしやすい。自分の中の王子のイメージは先生方の影響を受けています。外国のダンサーの方も見ていますけど、ロシア系だと若々しく見えるし、英国のウェストモーランド版だとどこか重厚な感じで。新国立劇場で初めて「白鳥の湖」の王子をやった時は、意識して若々しくやった。道化がいたりして、雰囲気が違うので。うぶな王子が若々しく明るい感じで、だんだん成長していくっていうところは気をつけましたけど。ただ、牧阿佐美バレヱ団でやる時にはウェストモーランド版だから、あんまりそれをやると浮いちゃうんですね。同じ”白鳥湖”の王子でも少し違う。


逸見智彦(牧阿佐美バレヱ団「白鳥の湖」より)
撮影:鹿摩隆司

「白鳥の湖」は王子の成長の物語でもあるんですね。

僕はウェストモーランド版の4幕仕立ての悲劇が一番好きなんです。昔、牧バレヱ団でまだ役がそんなにつかない頃、男性陣は3幕で出番が終わっちゃうんで、女性陣のために舞台のそでで片付けをするために待機しているんです。その第4幕の音楽を聞きながら、舞台を見られなくても曲だけで盛り上がってくるのが感じられるんですね。

王子がオデットを探しに来て見つけて、ごめんなさいと許しを請うところですね。

そうです。自分では悲劇のほうがいいと思っていたんですが、新国立劇場へ行ったら、悪魔をワーッとやっつけてハッピーエンドになるんでびっくりしました(笑)。

同じ王子役でも違う解釈、演出版に出るという経験をできる人はあまりいませんね。

それはありがたいことだと思います。

逸見智彦
Tomohiko Henmi
逸見智彦

●出身地/東京都
●出身スクール
川口ゆり子バレエスクール
第14期AMステューデンツ、橘バレヱ学校卒業
●おもな出演作品
牧阿佐美バレヱ団
「白鳥の湖」ジークフリード王子、「眠れる森の美女」フロリモンド王子
「くるみ割り人形」王子、「ドン・キホーテ」バジル、「ジゼル」アルブレヒト、
「ライモンダ」ジャン・ド・ブリエンヌ、「ロメオとジュリエット」ロメオ、
R.プティ「ノートルダム・ド・パリ」 カジモド、
F.アシュトン「リーズの結婚 ~ラ・フィーユ・マル・ガルテ~」 コーラス、
「三銃士」ダルタニヤン、「ア・ビアント」リヤム
など主演
R.プティ「デューク・エリントン・バレエ」、
R.プティ「ピンク・フロイド・バレエ」、G.バランシン「セレナーデ」
など多数の作品でソリストとして出演
新国立劇場バレエ団
牧阿佐美振付「ラ・バヤデール」主演 ソロル役
F.アシュトン「シンデレラ」王子役ほか多数主演
●その他おもな経歴
東京新聞全国舞踊コンクール・シニアの部第2位(’90)
第32回橘秋子賞優秀賞(’06)
第24回服部智恵子賞(’08)

林 愛子 (インタビュー、文)
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
川島浩之 (フォトグラファー)
ステージフォトグラファー 東京都出身。海外旅行会社勤務の後、舞台写真の道を志す。(株)ビデオ、(株)エー・アイを経て現在フリー。学生時代に出会ったフラメンコに魅了され現在も追い続けている。写真展「FLAMENCO曽根崎心中~聖地に捧げる」(アエラに特集記事)他。

逸見智彦 Garden vol.15

逸見智彦 悩みは、踊ることで忘れてきた

王子役といえばこの人といわれるほど、逸見智彦は日本では数少ないノーブル・ダンサーだ。
気品ある踊りと相手役を大切にする優れたパートナリングは、常に高く評価されてきた。
率直な彼の話には、穏やかで温かみのある人柄がそのままにじみ出ている。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa

発表会では楽しんじゃおうかな、と思う自分もいる

バレエ団や発表会などいろいろなところでお仕事なさっていますが、どんな舞台で踊っても逸見さんは変わらないといわれています。とても誠実なダンサーだと。

発表会だから手を抜くっていう考えは僕の中にはなくて、見に来る人は関係ないですから。
逆に、バレエ団で主役を踊っているのにこの程度?って思われるのはバレエ団に泥塗っちゃうことになる。だからよけいプレッシャーはあるんですけど。でも考えてみると、確かにバレエ団で踊っている時よりは発表会ではちょっと自分も楽しんじゃうかな、っていうところはあります。

それは共演の人たちにとっても楽しいことでしょうね。
逸見さんがそもそもバレエを始めたのは確かお姉様がきっかけで。

はい、小学生の時、姉が二人ともバレエを習っていたので、迎えに行っているうちに誘われて。そこには吉本泰久君がいたんで、それで続けられたんだと思います。

そのあとは、バレエを中心にして学校なんかも選んだりなさったんですか。

そうですね、最初はバレエを続けるために私立を受験して明星学園に入りました。ここは牧阿佐美先生、大原永子先生、川口ゆり子先生も勉強したところで、わりと自由な校風で。それでバレエ以外にもいろいろ目がいってちょっと集中できなくなった時に、親が学習塾をやっていたもので、高校受験をして八王子の都立に行きました。

バレエをやっていることで、からかわれたりとか、好奇の目で見られたりしたことはありましたか?

なかったですね。小学校の時には多少からかわれて、バレリーナをもじって「リーナちゃん」と呼ばれたりしたことはありましたけど(笑)、発表会にクラスの子が来てくれたり、中学はおもしろい子たちばかりで「すごいな」って言われたり。そういえば高校では僕、放送部だったんですが、卒業の祝賀会でヴァリエーションを2曲踊りましたね、「白鳥の湖」と「ラ・シルフィード」の。

それは素敵なことですね。
ダンサーになりたいと、高校の時には決めていましたか?

牧先生が主宰されてるAMステューデンツも僕は入ったのが遅いんです。そもそも、うちはそんなにバレエに熱心じゃなかったので、どうするの、やりたいならやればというぐらいで。
だから、ほんとなら卒業したら自分の生活費ぐらい自分で稼がなきゃいけないんだろうけど、25歳ぐらいまではすっかり親がかりになっていましたね。

焦らなかったのは、踊っていれば幸せだったから

舞踊も演劇も舞台芸術の方たちは、ご本人はもちろんたいへんですが、ご家族の理解と応援が必要になりますものね。

親がダンサーで稽古場があったりすれば、そこで自分も教えたりとかできるけど、うちはまったく違ったので。

ある程度の年齢になると、お友達は社会人になって仕事を覚え始めたりしますね。

結婚する友達もいたりする。焦ったりはしませんでしたが、自分には全然そんなことは考えられないくらい生活が不安定で。
でもとにかく踊っていられることが幸せだった。
先生にもバレエ団の仲間にも恵まれていましたし。姉たちもバレエはやめたけど、友達を連れて見に来てくれたり、僕のホームページを作ってくれたり、家族ぐるみで応援してくれています。

ご自身は、悩んでバレエをやめようと思ったことはありましたか。

バレエで失敗して悩んでということはありませんでしたね。
とりあえず言われたことが出来てからのことかな、と、わりと早い時から、そう思っていた。
結局、何かいろんなことを選ぶのは自分を作ることになるから、最初から否定しないでやってみようと。だから、ほかのことで悩んだりしても逆にバレエに集中して、踊ることで忘れてきた、ということはありますね。

怪我で苦労なさったことは?

わりと怪我しない体質で30過ぎまではなにもなく、35歳ぐらいまではたいしたこともなくやってきたんです。つい最近に膝を手術したことはあるんですが、それも良性の腫瘍が腱のなかにできたので、とったほうが楽かな、と。
手術を決めたあとに、新国立で「白鳥の湖」を妻と組んで踊るように牧先生からすすめられて。手術が12月の年末で舞台が翌年の5月の末で、半年はリハビリ期間が必要だからどうしようかなと考えていたら、妻に押し切られて(笑)。失敗したらバレエ界から去るぐらいの覚悟でおやりなさい、と、そこは牧先生も厳しいんで(笑)。急ピッチでリハビリをやって、今は完治したみたいで膝の調子もいいんです。

逸見智彦 Garden vol.15

逸見智彦 悩みは、踊ることで忘れてきた

王子役といえばこの人といわれるほど、逸見智彦は日本では数少ないノーブル・ダンサーだ。
気品ある踊りと相手役を大切にする優れたパートナリングは、常に高く評価されてきた。
率直な彼の話には、穏やかで温かみのある人柄がそのままにじみ出ている。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 長谷川香子 Kyoko Hasegawa

初めて夫婦で踊った「白鳥の湖」

奥様の厚木三杏さんとの共演は話題になりました。
新国立劇場では珍しいことですけど、海外でも日本でもカップルで踊るのはよくあることですよね。

夫婦だからお互いダメ出しもしました。
ただ、些細なことが気になった時にも言いたいことが言えるから、いざ本番2週間前ぐらいに2幕のアダージョの稽古をしたら、2時間たっても2幕が終わらない(笑)。

いろいろな方と踊っていますが相手役に対して気をつけていることはありますか。

相手が若い時は気をつけないと、先生と生徒みたいになったり、お父さんと子どもみたいになっちゃったりするから(笑)。

そうは見えませんけど(笑)。

川口先生と踊る時には、先生!ってならないようにしなきゃいけないし(笑)。若いダンサーと踊る時にはあまりかばい過ぎないようにもしています。
昔の強い先輩女性ダンサーたちは全部自分でやっているから。リフトも自分で登ってきて、自分で回って、止めるのも自分で止まる、みたいな(笑)。
やっぱりカンパニーまで入ったらある程度女性もしっかりしなきゃ、とは思いますね。

これまで踊りづくめで、ご自身で変わったと感じていることはありますか。

体力的には全幕物はペース配分がうまくできるようになったせいか、楽になりましたね。
踊ってウン十年になります(笑)が、師匠の今村先生、川口先生がまだ踊っているものですから。シャンブルウェストが清里フィールド・バレエを始めたのが今の僕の年で、この前21回目を迎えました。だからまだあと二十年くらい踊らなきゃいけないみたいで(笑)。
先生方に教わったのは、踊りはみんなの力がなければできないもので、一人でも欠けたらできない。その一人になったらどうしようと、今でも思います。

緊張するタイプですか。

今でも舞台が始まる前には緊張しますが、出ちゃったらやるしかない、と。
誰かのせいにしたくなったり(笑)。直前なんかは、俺を選んだ人が悪い、とか(笑)。
だから、舞台前になると、早く出てしまいたい、って思いますね。

次はこうしよう、っていう思いが自分を踊らせてくれる

逸見智彦
(牧阿佐美バレヱ団
「ジゼル」より)
撮影:鹿摩隆司

舞台には魔力がありますよね、見る側も取り憑かれたように通ってしまう。

それは踊る側にとっても同じでしょうね。
舞台はなまものですから同じ作品、同じ相手役でも毎回違います。次はこうしよう、っていう思いが踊らせるんです。
自分一人じゃないけど特に初演の時には成功させられるだろうかという緊張は特別で、それを経験して、再演を迎える時の違いは大きい。

これから踊りたい役はありますか。

声かけられれば何でもやりますよ。悪役もやってみたいかな。
ロットバルトは清里でも踊りましたが、おもしろかった。

バレエを習っている人へのアドバイスをいただけましたら、お願いします。

バレエをやってると背筋が伸びるとか、集中力が増すとかいろいろありますが、まず音楽と触れ合う時間が増えるのがいいことだと思います。コミュニケーションもとらなきゃいけないけれど、舞台に立つ喜びがある。発表会でも日常とは違う経験ができるんですね。
習い事で大事なのは、やっぱりあきらめないことだと思いますよ。

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思い出の品

9年前、八王子にドナルド会というダーツのクラブで始めたのがきっかけでダーツ好きになりました。それで僕のハンドルネームはドナルド。今は、住んでいる家の近くにあるダーツ・バーに妻と一緒に行って地元の人たちと楽しんでいます。ダンサーは日によって筋肉痛があって腕が上がらない時があったりします。気分転換にもなるけど、気をつけないとかたよるので、練習して両方の腕で投げるようにしています。使っているのは6本目ぐらいで、先がプラスティックのソフト・ダーツを普及させたいねとみんなで話していますが、まだそれほど広まっていません。

ダーツの発祥はスコットランドで、先が鉄のダーツの世界大会では賞金が何千万にもなります。バレエ界にもダーツ好きはいますが、今のところでゲームを始めてから老若男女、まったく違う職種の人たちと出会えるのがすごく楽しい。サラリーマン、エンジニア系の人が多いなかで、僕の職業は一番珍しがられて、ダーツ仲間で一度もバレエを見たことがない、という人が舞台を見にきてくれるのがうれしいですね。

dream

Q. 子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
何となく始めたバレエでしたが、子どもの時に最初に出会う先生も、そこから関係が広がって関わっていく先生もとても大事だと思います。そういう意味で僕はとても恵まれていたので、自分が子どもたちを教える時には、やはり先生たちのように一人一人の生徒に目を配って人間関係を大切にしていきたい。

バレエ界には、師匠である今村先生・川口先生、牧先生・三谷先生ご夫妻のように、お子さんのいないご夫妻は多くいらっしゃるのですが、稽古場では、先生方はご自分のお子さんのように生徒さんたちに愛情を注いでおられます。まるで家族のようになっているのです。僕も来年か再来年あたりに妻と一緒に稽古場を持ちたいと考えているのですが、自分の師匠たちのように家族を増やしていけたらいいな、と思っています。これが僕の夢なんです。

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