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Interview
インタビュー

堀内元・堀内充 Garden vol.25

米国から一時帰国した堀内元、日本を拠点に活動する堀内充の兄弟が久しぶりに顔を合わせた。
かつての“芸術の子どもたち”が今も変わらず示すのは、驚異の身体能力、少年のようなさわやかさ、そしてバレエに寄せる純粋な思いである。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
Photo : 長谷川 香子 Kyoko Hasegawa
バレエスタジオHORIUCHIのスタジオにて

バレエが好きだから学業の両立では悩まない

お二人が舞踊家のご両親のもとでバレエを始めたのは有名ですが、途中でレッスンがイヤになったことはなかったんですか?

元・充(顔を見合わせて)なかったよね。
充 昭和46年にここ(西麻布)に父がユニーク・バレエ・シアターを開いて。
元 最初はバレエ団の大人ばかりで、母が児童科を始めるので充と二人でのぞいてみて、やってみよう、と。姉がすでに習っていて、せっかくこんなスペースがあるんだから、と(二人、顔を見合わせて笑う)。すぐ近くに公園があって、よく野球をやっていたんですが、雨が降った時にはこのスタジオで動くのがいい。バレエはそんな感じで始めました。

発表会を含めて、初舞台はいつですか?

元 小1からはじめて、このスタジオで、初めての発表会。それから牧阿佐美先生の橘バレエ学校でジュニア・バレエの第1期生として毎週日曜日にレッスンに行って、その公演がNHKホールで小学校3年生のときにあって、それが初めての大きな舞台でした。
当時はとにかく男の子がいなかった。だから充と二人でいたのがよかったんだと思う。女の子はパワフルで30人ぐらいいるとビビッちゃうから(笑)。

学校の勉強との両立で悩んだことはありませんでしたか?

充 バレエが好きでした。今の男の子たちもそうだと思うけど、これだけ魅力がある習い事っていうのはなかなかない。確かに両親からは厳しく指導されたけど、それ以上に好きでやっていました。
元 バレエのできる子は学業とも両立できる。僕も指導者になってわかります。バイオリンもピアノもそうですが一生懸命練習すればうまくなる。100やって90は自分にかえってくるから、それでみんなはまりこむんです。ほかの人間関係なんかだと100費やしても30ぐらいしかかえってこなかったりするけれど、バレエは違う。それで僕たち、こんな歳まで踊っているんだよね(と二人、顔を見合わせて)。
充 子どもの頃、牧阿佐美先生、服部智恵子先生、清水哲太郎先生にやさしくしていただいたことが強く印象に残っています。学校の先生や大人は冷たいのに、なぜバレエの先生ってこんなに温かいんだろうって子どもながら不思議に思っていた。でも最近、ああ皆さん芸術家だったんだ、と。単なる教育者や社会の大人ではなく、先生方はバレエを愛し、芸術を愛しているから、僕ら子どもたちにも芸術家の道を歩んでもらいたいという気持ちをもっていらしたんだ、ということがわかりました。

自立心旺盛な兄、思春期真っただ中の弟

お二人はまさに“芸術の子どもたち”だったわけですが、双子ということで、知らないところで反応し合っていたなんていうことはありました?

元 ないです(笑)。何かについて、おまえもそう感じていたのっていうことはあるけど、僕は海外に暮らしていたしテレパシーなんてことはまずない。

よく聞かれることだと思いますが、比較されたことはおありでしょう?

元 一緒にされるのがイヤだった(笑)。年賀状でも姉は1人で1枚なのに、堀内元・堀内充って一緒に書いてある。特に好きな女の子から年賀状が届いたりすると、これは俺のだよって取り合いをして(笑)。
充 バレエでも二人の踊りというのは少なくて、子どもの頃から大人のなかで育てられて一人ひとり評価されているから、ふつうの生活でも一人の意識が強かったのかな。でもやっぱり偏見で双子を見ている社会とはギャップがあったかもしれない。

それで思春期に悩んだことは?

元 かえって僕がローザンヌ賞とってアメリカに行っちゃったでしょう。それがよかったのかもしれない。まさかそのまま30何年こうやって離れて暮らすことになるとは思わなかったけれど。
充 元のほうが、双子から抜け出すためには自分が先にリードしていかなければと思ったんでしょう、早く一番になって。その時、私は準決選で落ちた。彼は大人になろうという自覚を持って自立心も強かった。元が先に立っていってインタビューを受けている時、私がレッスンをさぼっていたって彼は言う(笑)。元は中学受験でも玉川学園に主席で入った。学校からは、二人一緒に入学させたいから、もし一人が悪かったら二人とも落とすといわれていた。それで元が私に、おまえちゃんとできたんだろうなって(笑)。元があまりにもできたから二人一緒に入学できたのだと思う。

堀内 元

留学先にアメリカを選んだのは?

元 横井茂先生が文化庁在外研修員の1期生で、父が2期生で米国に行きました。それでニューヨーク・シティ・バレエ、バランシン、ロビンスの話を父からよく聞いていたので憧れたんですね。

元さんはその先駈けですが、やはり米国の水が合ったということですか?

元 バレエも好きだけど、アメリカという国は好きですね。高校、大学も向こうで卒業、アメリカ人とも結婚しました。

そのあとアメリカにいらした充さんにとっての発見は何ですか?

充 私はローザンヌ賞が1回ダメで、高校時代は学業とバレエとの新たな両立があったんですが、父のもとでやらせてもらった。その間、他のコンクールでも入賞させていただいて、そのあとニューヨークに遊びに行くと、双子の兄はニューヨーク・シティ・バレエで華々しく主役を踊っていた。やっぱり日本ではなく海外でしっかりと学ばなくてはいけないなと実感したんですね。それで18歳でローザンヌ賞を受賞し、高校3年の最後の年齢でニューヨーク留学を決心しました。バレエはアメリカだけじゃなくてヨーロッパにもあると思ったけど、ローザンヌの主催者の方がアメリカへ行きなさい、と。そこでアメリカのバレエは素晴らしいってわかりました。まだまだ当時の日本は、バレエに対する情報や正確な視野はなかったから、自己流でバレエを教えていた先生も多かったし、明確なクラシックのオリジナル作品も少なかった。そういう意味では、海外に出て芸術としてのバレエにしっかり向き合えたというのはいい経験でした。

堀内 充
堀内元

堀内元 Gen Horiuchi
堀内完を父とし、6歳からバレエを始める。1980年ローザンヌ国際バレエコンクールスカラシップ賞を受賞、スクール・オブ・アメリカン・バレエに留学。1982年、ジョージ・バランシンに認められ、ニューヨーク・シティ・バレエ団に日本人として初めて入団を許可される。その後アジア人として初めてのプリンシパルに昇格。バランシンの数々のレパートリーを踊る。ブロードウェイミュージカルにも出演。CATSでは、ブロードウェイ、ウエストエンド、東京と3都市に出演。長野オリンピックでは、開会式の振付も手掛ける。現在、米国セントルイスバレエ団の芸術監督兼プリンシパルとして、バレエ団及び付属のバレエ学校の運営にも携わっている。1993年より過去5回に渡りローザンヌ国際バレエコンクールの審査員も務めている。

堀内充

堀内充 Jyu Horiuchi
堀内完、牧阿佐美、スタンリー・ウイリアムス、アンドレイ・クラミフスキーに師事。モスクワ国際バレエコンクール銅賞、ローザンヌ国際バレエコンクールスカラシップ賞を受賞、スクール・オブ・アメリカン・バレエへ留学。帰国後、自らが結成したFootlight Dancersとして、また近年からは堀内充バレエプロジェクトと題して自身の公演を行っている。1994年には第9回青山バレエフェスティバル芸術監督を務めた他、新国立劇場バレエ団、佐多達枝バレエ公演などバレエ・オペラ・ミュージカルに出演。振付家としても作品を多数発表し、アメリカ・フランス・南米・韓国・中国に招かれている。また、大阪芸術大学舞踊コース順教授、玉川大学芸術学部非常勤講師、日本音楽高校バレエコース特別講師、京都バレエ専門学校講師の他、国内の主要なバレエ・ダンスコンクールの審査員も務めている。1990年村松賞、1994年グローバル森下洋子・清水哲太郎賞受賞。

林 愛子 (インタビュー、文)
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、’80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
長谷川 香子 (フォトグラファー)
ステージフォトグラファー 日本写真芸術専門学校 広告・肖像科卒業後株式会社エー・アイに入社。飯島篤氏のもとで舞台写真を学ぶ。幼少時より習っていたクラシックバレエを中心にコンテンポラリー等多くの公演の撮影を経験。現在フリーで活躍中。

(2013.5.1 update)

堀内元・堀内充 Garden vol.25

米国から一時帰国した堀内元、日本を拠点に活動する堀内充の兄弟が久しぶりに顔を合わせた。
かつての“芸術の子どもたち”が今も変わらず示すのは、驚異の身体能力、少年のようなさわやかさ、そしてバレエに寄せる純粋な思いである。

早くから始めた振付

ダンサーであると同時に、振付についても早くから興味をお持ちでしたか?

元 僕は最初に振り付けたのは20代半ばぐらい。踊っている20代の頃から振付をしたほうがいいと父からも言われていたけど、ロビンスもバランシンも20代で振り付けていたから、そういった意味では平行してやるように心がけていました。
充 私は21から始めました。私の場合は、日本に戻って日本を活動の場としてやっていく決心をしたんですけど、それなら振付も自分でしっかりと学んで、振付をやりながら踊っていこう、と。父のすすめもあって早々と始めましたね。

お二人は違うけれども、名将名監督ならず、ということもいわれますね。ダンサーだった方が振り付けする場合には別の回路が必要になるんじゃないでしょうか?

元 ダンスの場合はテクニックを教えてくれるということがありますよね、ただ、その舞台でどうやって自分を表現していくかという部分については、自分で学んでいかなければならなかったことがすごくある。振付とはこういうものだというコースもなかったし、振付家は何も教えてくれなかったし、ある意味では自分たちで勉強していかなければならかったというのはあります。
だから充は、ニューヨークではオペラをはじめいろんなことを毎日のように見て勉強していました。そうやって目で見たものを生かす人もいます。逆に僕は踊っているのが忙しくて、実際にロビンスやバランシンの作品を踊ってきたからそれを身体が覚えて、あ、この音が来た時にまたこの振りが戻ってくるなとか、パターンを学べたんですね。そういう実践の経験を活用した。自分が振り付ける時に、三つ子の魂百までじゃないけど、一回学んだものは離れないんだなと思う。今だにバランシンのような振付をしているってこともありますね。野球の長島監督もなんだかんだいっても最終的には功績を残していますし、あいつはいいダンサーだったけど振付はなに?とは言われたくないですね。

野球は現役を引退して監督になることが多い。一方、年をとったからそろそろ振付を始めましょうというのは、創造活動としての振付のあり方からするとちょっと違うかもしれませんね。

元 そうですね。振付の場合、踊っていただけの時とは違って、いきなり照明や衣装、音楽も考えなければならないし、管轄が一気に広がる。カウントもとっていかなければいけない。もし音楽の素養知識やデザインを勉強しなければならないのなら、振付を始めるならば若いほうがいいと思う。

西洋人のために西洋人の骨格で振り付けられたバレエ、それを自覚して踊りこむ

カウントについてですが、以前に、踊る時には半拍先にいくということを元さんが話していらした。外国の人が振り移しすると、日本人ダンサーは遅れがちだといわれるんですね。もちろん日本でご活躍の充さんの舞台にも、それがない。お二人とも生まれつき高い身体能力を維持されていて、異様に若い(笑)。

充 その半拍先にいっているという話は興味深いですね。20代30代の頃、よく元が日本に帰ってきて一緒にレッスンして公演に出たんですが、必ず彼の踊りはジャスト、あるいは前に行っている。私は教えている大学でよく言うんですが、双子の兄を見ていていつも自分を直された。踊っていると気づかないうちに遅れてしまっているのを、元によって気づかされたんです。だから日本人が遅いというのはあたっていると思う。

踊りもしないでこんなこと言うのは簡単ですが(笑)、日本人は演歌もそうですが手拍子を打つ時にでも頭打ちで打ちますね。そういうリズム感がDNAの中にあったりして。最近は違ってきて小学校でもアフター・ビートのリズムがとれるようになっているみたいですが、まだどこかで、音をひきずるっていうことはありますね。

充 それは気をつけるようにしています。ただ、意識しないと、民族性なのか遅くなりますよね。

明治から100年以上たってもまだ、ヒール履いて膝まげて足をひきずっている若い人たちもいる。かつての生活様式からくるものはなかなか変わらないのでしょうかね。

元 それはあると思います。やっぱり生活様式は、筋肉の使い方がそのままついてくるでしょう。たとえば椅子からスッとそのまま立てばいいのに、日本人は下の方からよいしょって立つ。そういうところから違ってくる。
充 以前、元が言ったことがありました。私なんかのほうが元より沢山振付していますが、彼はセントルイス・バレエの芸術監督になって本格的に振付を始めて、一気に才能を開花させた。それはなぜかなと思っていたら、彼が、バレエはもともと西洋人のために、西洋人の骨格によって創られたもの。西洋人の骨格で振り付けた時に初めてバレエっていうものがわかる、と。
その時、日本人はバレエをやっている気になっているけど、本来のルーツをもっと感じなきゃいけないと私は思った。今、私は体型もよくなったダンサーに振付していますが、パッセにしても向こうの人のパッセはもっと高いわけだし。いくら日本人の身体が良くなったからといって、自分がそういう気になっちゃいけないということを彼から学びました。我々のかかとは太いけれど、向こうの人たちのかかとはない。メソッドを踊るにしてもどうやっても近づけない日本人の肉体は今後も50年、100年続くだろうと思います。
元 だから、我々はもっと自覚してからバレエを踊りこまないと。

大切なのは努力、礼儀。

元さんはアメリカの生活が長くていらっしゃるけど、日本とアメリカの違いは何でしょうか?

元 もっとバレエが身近にありますよね。いい作品をつくらなければ切符が売れないし、寄付金も集まらない。自分の給料も生活と密着しているから真剣味が違う部分もあると思う。僕の場合はダメな作品つくって売れなかったら、あとがないんですよ。だからどうやったらお客さんに来てもらえるか、中西部のセントルイスという都市でお客さんが何を求めているか。NYとは違うけど、いいものはいいという作品。選び方にもあって全幕ものが多いんですけど、コンテンポラリーをつくる時も幅広い観客に受け入れられるような音楽を選び、電子音楽でキンキンいうのは難しいとか、もっと親しみやすいメロディで身近な題材を選んで、良い作品をつくっていかなきゃならない。
日本では現実とあまりにかけ離れた作品をつくる時があるでしょう。やはり日本はほとんど給料制でもないし、そういう土壌の違いがある。セントルイスで「くるみ割り人形」やって今年で12年目ですが、来年もお客さんに入ってもらいたいので毎年手を加えています。その意味でテストの結果はすぐわかる。最初は3000から4000人しか見にきてくれなかった。今は13回公演ですが、今年は1万2000人くらい入りました。そうやって少しずつお客さんが増えてくれると、向上心につながっていくと思う。

日本の若いダンサーにとって、お二人は、作品や舞台に対していかに誠実であるかということのお手本です。だから充さんを佐多先生が信頼しているのがよくわかります。

元 「カルミナ・ブラーナ」に11月また声かけてくれたという話を今日、聞きました。こうなると還暦まで踊るんじゃないのって(笑)。

舞台には充さんのようなダンサーがいることで、周りも自然に頑張ろうと引っ張られていくんですね。踊りも振付も含めてこれだけはゆずれない、ご自分がいやだということはありますか?

元 さっきの誠実っておっしゃってくれたことにも関わるんですけど、とにかく努力しない人は嫌いです。まず努力するのはあたりまえの世界だから。次は礼儀。バレエは礼儀で始まって礼儀で終わる。最初におじぎして始めておじぎで終わる。僕のバレエ学校に300人の生徒がいてアメリカにいながらにしてというとへんだけど、必ず先生にハロー、グッドモーニングの挨拶をして、終わってみんなで拍手をします。生徒一人一人が先生のところにサンキューって言いにいくし、廊下ですれ違ったらハロー、ハーイって言っています。

セントルイス・バレエ団のほうでは、最初から最後までクラスを全部受けなきゃいけない。足が痛ければ、最後まで残って先生にありがとうを言いましょう、と。驚いたのは、日本人こそみんなそうしていると思っていたら、最近は日本の人たちが最後までクラスを受けないんでしょう?

充 そう、プロフェッショナルだから最後まで受けなくてもいいって、バットマンタンジュが終わったらしゃべったり、無目的でやめたりする。みんな海外経験があるから、自由でいいと思って海外のそういうところだけ真似る。やっぱりちゃんとしたカンパニーなら最後までクラス受けるのが当たり前だと思う。
元 それが自由だと判断しちゃいけないね。最近、海外に行って就職できないで帰ってくるダンサーがすごく多いから、そういうところだけ真似する。

それはほんとに問題ですね。ところで、カンパニーでは元と呼ばれているんですか?

元 バレエ団員は元とよんで、学校ではミスター堀内とかミス何々。柔道じゃないけどバレエ学校ではレオタードの色が違うんですよ。最初はピンク、次に薄いブルーからブルーになって、ちょっと赤系に入ってワインカラーから紺になって一番上が黒。11階級あって、もちろんレオタード一枚。ワガノワ式のロシアンバレエを見習い、ニューヨーク・シティ・バレエをはじめアメリカのバレエ学校はやっています。とにかくバレエでは徹底して教育をやっていくべきで、そこで礼儀正しくやっていく者が選ばれる、と。海外に出るとだぼだぼのを着てレッスンやって、帰ってきてもだぼだぼのでやる、それはちょっと間違っている。
充 バレエも芸事ですから、フランスのような本家でもしつけを身につけさせるためにやらせていると言う。日本は、マナーがあとまわしというのか、スポーツクラブでもバレエがストリートダンスと同じように踊られているのが残念ですよね。

dream

Q. あなたが子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
元 海外に出て(私の場合はアメリカのニューヨーク)活躍すること。そしてそこに残りつつ、アメリカと日本を行ったり来たりして生活の場を広げるということでした。

充 「世界で踊ること」でした。

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
元 自分の次の世代にも日本だけにとどまらず、どんどん海外へ活躍の場を広げて行くことの素晴らしさを伝えること。

充 ”バレエと共に歩み続けること”です。

(2013.5.1 update)

堀内元・堀内充 Garden vol.25

米国から一時帰国した堀内元、日本を拠点に活動する堀内充の兄弟が久しぶりに顔を合わせた。
かつての“芸術の子どもたち”が今も変わらず示すのは、驚異の身体能力、少年のようなさわやかさ、そしてバレエに寄せる純粋な思いである。

舞台人としての誇りと自覚を

もともとフランスの王様と貴族のマナーから生まれたわけですものね。新国立劇場ができて15年ですけど、日本は民間の先達の努力があって今がある。でもダンサーの置かれている状況はなかなかたいへんです。アドバイスをいただけますか。

充 日本でやっている立場から言わせてもらうと、まず舞台人としての誇りを持ってほしいですね。経済的にはなかなか一人前にはなれないこともあるかもしれないけど、ミュージカルだって演劇だって、やっている人たちの条件は同じ。彼らは一つ一つの公演に輝きを自分たちでつくり出す、そして次の舞台の時には必ずステイタスが上がっている。私自身、日本でダンサーとしてやれたのも、いろいろな先生方との舞台を評価されるように一生懸命やったから次の舞台につながるということがあった。カンパニーに頼らずに、一つ一つの舞台を成功させようという舞台人としての自覚を持つこと。そうしたらおのずと呼ばれたりとか招かれたりというふうになれると思うんです。

欧米ではバレエをやめたら何をやろうと考えて、そこにいる間に料理学校に行ったりなどいろいろなことをしている人もいるそうですが。

元 バレエをやめた人がさっきの学業との両立と同じように、弁護士になったり、フィジカル・セラピーのドクターになったりということは多いですよ。バレエは、毎日のトレーニングで自分を厳しく鍛えていく。その習慣を、ほかの分野に生かして次の職業に行かれると思うんです。結局、ただバレエをやっていることだけが自分の夢や希望を達成させることではないということですよね。
充 アメリカでは一つ達成すると次のステップがあって弁護士になる、パイロットになるという生き方がある。我々の場合はバレエがすべてというかたちで取りこんじゃっているから、逆に言えば人間関係がすべてですよね。だから先生方、仲間、先輩後輩とのコミュニケーションすべてがうまくいかないと。私は子ども達に言っているのは、舞台は人間関係がすべて。それがなくなったらあなたたち舞台を去らなきゃだめだ、だからたとえば一つの舞台が終わったらお礼の手紙を書きなさい、メールでもいいから挨拶をしなさい、と。終身雇用の世界もあるけど踊りにはそれがない。だから礼儀は大切ですね。
元 彼はそういう意味では僕みたいに大きな団体に所属していたわけじゃないから、人間関係だけでここまで来たのはすごいことだと思う。

テクニックと身体が追いかけっこするバレエにはゴールがない

ほんとに充さんは幅広い舞台に立っていますね。最後にお二人に改めてバレエの魅力を語っていただきたいのですが。

元 僕の場合は、結局、若い頃はテクニックを身体が追って、ものにして勉強していた。今、自分の身体が落ちてくるから、それに負けないようにテクニックが追っている。そういう意味でゴールがない。常にその年齢でできる範囲のベストを尽くして、この筋肉使えないやと思った時にどこでカバーするか。ああもう跳べないな、跳べなかったらどういうふうに着地をきれいにしようか、もう少し爪先を伸ばして落ちていこうとかいろいろ考えるんです(笑)。だからこそおもしろくてやめられないというのがある。
今、ニューヨークのメトロポリタンハウスで踊ろうというのは僕にはない。お客さんは世界一の旬のダンサーを見るべきだから。セントルイスの本拠地では年に一回コンテンポラリー作品があります。そこで工夫した作品のなかで踊れたらいいかな、と。つい3年くらい前にバリシニコフの舞台を見ました。彼はセントルイスにも来て、素晴らしいのは跳ぼうとも回ろうともしないけど爪先がすごくきれいなんです。僕は彼を間近に見てきたんだけど、そんな今の彼の舞台を見ることで昔の彼の姿が見えてきた。そこで見せてくれている50のものが僕の頭の中で100に、1000にふくらんでくる。そういうふうなダンサーでありたい。自分は今、50しかできないけど、だけどもっと広がるあなたたちが、広げてくださいっていう、そういうことができるのがバレエだと思う。

観客のイマジネーションを刺激するということは素敵なことですね。充さんはいかがですか?

充 楽しくて好きで続けてきたバレエですが、考えてみると西洋舞踊の美しさに魅せられてやってきた。こうして年齢も重ねて体力的に違っても、西洋舞踊の美しさだけは踊り続けたいっていう思いだけは今もまだ変わらない。追い求めるものがあるのかな。今は、コマーシャルだって、ダンスなのかムーブメントなのかわからないのがあって、ダンスでくくられているけど。我々が好きなのはモダンダンス、ミュージカルも含めた西洋舞踊。ただしコンテンポラリーでも靴をはいてやったりしているのはイベントでやっていればいい。舞台人だから舞台の上で表現できるのがほんもののダンスではないかなと。演劇、音楽、舞踊っていわれるものの本質は残していくべきだ、というのがやっぱり自分を支えている一つの信念かなと思っています。

セントルイス・バレエ団芸術監督である堀内元とダンサー・振付家の堀内充による
4作品の同時上演

公演予告映像

[曲目・演目]
堀内元『Little Diamonds』『Wake Up』
堀内充『Vogue』『Paraphrase』

[日時]
2013年5月31日(金)
開場:18:30 開演19:00

[会場]
めぐろパーシモンホール 大ホール(東京都)

[問い合わせ先]
バレエスタジオ HORIUCHI
Tel:03-3407-4704

 

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