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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.14:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.14
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「日本の文化特性と舞踊作品 |
ーマシュー・ボーン「くるみ割り人形」の盛況に思うー」
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日本文化、すなわち日本人の価値観と行動スタイルの特徴は集団主義といわれています。これは端的には、集団の一員であるという意識が強く(価値をそこにおき)、そこで自分を主張するより皆とうまくやることを第一に考えて行動するというスタイルです。この文化は、集団(たとえば会社)の目的に対して全員が一致団結して取り組むという特徴がある一方で、自分を殺して周囲に合わせる、つまり主体性がない、個人が見えないという反面もあります。さらに、個人ではシャイで消極的だが、仲間と一緒だとすごい力を発揮するともいわれています。戦争に負けて半世紀、わが国の示した驚くべき経済成長には、まず平和、そして教育程度の高さとともに、この文化特性が大きな役割をはたしました。
この文化特性は現在変化を見せています。周囲のことより自分を大事にする人が増えてきました。ただし、集団からはなれること、つまり仲間外れにされることへの恐怖は若者のなかにも根強く残っているようです。さらに、他人がどう考えるかでなく、自分の考えをしっかり持ってそれをきちんと主張し、行動できる人、つまり主体性を持った人がどれだけいるかも疑問です。たとえば、内閣にもイラク戦争反対の人がいると思うのですが、そういう人も口をぬぐっています。
お説教じみたことを書いてしまいました。実は私の専門はこちらなのです。会社も個人も、とくに会社に対して、周りがどうかでなく自分としてしっかりした姿勢を示してほしい、これが現在のテーマです。メセナといわれる芸術支援もこのひとつの形であり、これも文化のありかたにかかわります。
といっても、ここは舞踊のページですから、この文化の視点と舞踊現象をどう結びつけるかを考えなければなりません。
これにはいろいろな事例がありますが、そのひとつに「マシュー・ボーン現象」があります。この言葉は私が作ったのですが、要は英国の演出・振付家、マシュー・ボーンさんにまつわる現象のことです。
もちろん、かれの名声は世界に轟いているわけですから、世界的な現象、たとえば多くの賞が与えられていたり、彼に関する書物が出版されたりということはあります。しかし、とくに日本では、つい2年前(2002年)に紹介されたばかりなのに、今年は東京で3月に20回を超える公演が決まっているのにすぐに4月に追加、さらに大阪、名古屋、仙台、広島でも複数公演が決まっているというフィーバーぶりです。
これに加えて特筆すべきは、観客の多くが中年の女性ということ。この現象はトロカデロやグランディーバという男性バレエ団にもみられるのですが、こちらは男性は男性、女性は女性の役ですから少し性格が違います。ただ、昨年の「白鳥の湖」では白鳥を男性が踊りましたから、その点は似ているともいえますが、女性の役をやっているわけではありません。もちろん、これまでも中年女性のアイドル現象はありました。ただ、それはたとえば杉良太郎さんのようなタレント個人、とくに日本的な役者や演歌歌手に対するもので、舞踊の(とくに女装軍団でもない)団体や作品に対しては、きわめて珍しい現象だと思います。
このマシュー・ボーン現象をどう考えたらいいのかということが、このページの要点です。それはまず、なぜこんなに人気があるのか、そしてこれが日本の舞踊界の隆盛につながるのかどうかで、そこに文化論的な視点を入れてみたいのです。
それには、彼の作品を分析評価する必要があります。日本における彼の上演作品は、まず「ザ・カーマン(カルメン)」、「白鳥の湖」そして今年の「くるみ割り人形」です。ここには、古典、ポピュラーな作品についてのボーンさん独特の解釈と構成
、そしてダンスがあることはたしかです。「白鳥~」もそうですが「くるみ~」でもまずチャイコフスキーの音楽を基本的に尊重していること、これは私は評価できます。日本では古典の改作では音楽を入れ替えることがよくありますが、それはまず成功しません。ヨーロッパではマッツ・エックさんの「ジゼル」でも、この点は忠実です。ベジャールさんの「くるみ~」が再演されないのも、シャンソンなどを挿入したからだと、私は勝手に思い込んでいます。
では、演出・振付はどうでしょうか。この「くるみ~」は、くるみ割り人形が重要な役割を果たすという点では、そして基本的な幕の構成、1幕が主人公たちの住居、2幕が賑やかな踊りの場という点も原作に添っています。この原作によりながら、しかもそれを独自の解釈で組み立てるところが才能だと思います。ここでは1幕は孤児院でのくるみ割り人形を巡ってのさやあて、2幕はクララのライバルとくるみ割りの王子の結婚式のパーティの場、そこに彼を追ってクララが侵入するという設定で、物語の流れにもディヴェルティスマンにもきわめて説得力があります。
ダンスはクラシックとモダン、コンテンポラリー、ジャズをうまくミックスさせた、明るく楽しいもの、さらに自然で非常に分かりやすいマイム、舞台装置もそうお金をかけたものではありませんが、1930年代のアメリカのミュージカルを思わせるなかなかこった派手なもので、たしかにテンポは速いですが、全体としてはレトロなレビューの雰囲気があります。これに対して昨年の「白鳥の湖」のほうが前衛的で、バレエの可能性を広げたといえるものでした。いいかえればバレエ人にとって衝撃的だったのです。
それに比べて「くるみ割り人形」は、レビュー版であって、そのアイディアには感心しますし、丁寧に作られていてたしかに面白いのですが、革新的というよりも娯楽性の強いものです。つまり、一見高尚にみえますが、実際には楽しいダンスレビューなのです。これはこの作品の作られたのが「白鳥~」より前の1992年ということもあると思います(「白鳥の湖」は95年)。
もうひとつ考慮すべき要素としては、圧倒的な宣伝活動です。私の知る限り、一般のバレエ公演と同じ宣伝に加えて、テレビCMやJRの電車内のビデオ広告も大変な量でした。
話を戻します。中年の女性は実は日本の文化をもっともよく体現している存在といえるのです。つまり、一人一人はおとなしいのですが、グループになると非常に積極的になり、好奇心も旺盛に。さらに権威や周囲の動向に影響されやすく、ブランドやハイソなものにあこがれる。くちコミにも弱い(敏感?)。しかも、この層が比較的時間も経済的にも余裕のあるものが多いのです。
このニュー・アドヴェンチャーズの「くるみ割り人形」は、彼女たちのこのような意識や行動特性にうまくマッチしたといえると思います。
では、わが国の舞踊界ではどう受け取られるでしょうか。革新的と考える人はいないでしょうが、一方で芸術ではないとか、商業主義だというのは簡単です。しかし、それではあなたがたの作品を支持し、見に集まってくれるのは一体どんな人たちであるかということを認識し、そして実際にその人たちが満足する舞台を提供するために努力しているといえるでしょうか。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。