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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.26:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.26
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このページでも前に書いたことがありますが、わが国の舞踊(洋舞)の歴史はいわゆる現代舞踊がリードしました。これは、まずバレエの型式が確立し、それに対抗するものとしてフリー(モダン)ダンスが生まれた世界の舞踊史とは大分異なっています。といっても、これは結果論で、最初はバレエを教えるために当時(1912年)出来たばかりの本格的なオペラハウス、帝国劇場にイタリアから先生(G・V・ローシーさん)を招いたのです。生徒たちが端的にいえばバレエ向きでなく、また考え方も違っていて、純粋のクラシックバレエを日本に根付かせることはできなかったのです。その生徒の中心だったのが歌劇部員だった石井漠さん。ご存じの人なら、十分理解することが出来るでしょうが、彼らがタイツをはいて王子をやるというのは、大変失礼ですがちょっと(大分?)無理な話です。もちろんこれは石井さんの日本の舞踊界への貢献を否定するものではありません。一方ローシーさんは母国できちんとクラシックを学んだ人ですから、それだけを厳しく教え込もうとしたようで、生徒たちとの摩擦が絶えず、彼も4年ほどで帝劇を去ってしまいます(といっても、彼は日本にとどまって私財を投じてオペラ劇場を作り、活動を行ったのです)。
石井漠さんは、バレエのような形にこだわるものよりも、自分の心のなかから生まれたものを自由に形にしたいと、創作舞踊詩のようなものに傾斜していきます。そしてヨーロッパにいた山田耕作さんなどから、モダンダンスの話を聞き、帝劇時代の同僚高田雅夫、せい子さん夫妻が外遊(1922年からアメリカ、ヨーロッパ)したのを追って、義妹の石井小波さんとともにヨーロッパに出かけるのです。その他、帝劇同期の小森敏さん、それ以前からの岩村和雄さん、伊藤道郎さん、河上鈴子さん、その後の江口隆哉、宮操子さん夫妻、さらに山田五郎さん、執行正俊さんなど、1920年代から30年代の前半まで、多くの現代舞踊家がヨーロッパ、そしてアメリカで、モダンダンスを学ぶだけでなく、作品を発表し、好評をうるなど、堂々と活躍していたのです。そして帰国後も、日本でも活発な指導、創作活動を行っていました。
一方、クラシック・バレエの方は、日本で初めてのトウ・ダンサーといわれた高木徳子さんが帝劇から独立して各地で踊りましたが、1919年に若くして亡くなります。その後はエリアナ・パヴロバさんが来日、22年にアンナ・パヴロワ一行が来日し、大きな衝撃を与えたとはいえ、真のクラシック・バレエがわが国に根付くのはその20年以上後のことになります(1946年、東京バレエ団の「白鳥の湖」全幕本邦初演)。もちろん、この公演を成功させたのは、エリアナさん、そして日劇にきたオリガ・サファイアさんなどの、地道なダンサーの育成活動があったことを忘れてはなりませんが。
さて、わが国の現代舞踊(モダンダンス)界は、戦後(1945年以降)しばらくは、石井漠さん、江口隆哉さんはじめ、先にあげたような方々が健在で、創作に、若手の育成に指導力を発揮してきました。現在はそのほとんどの方は世を去りましたが、その次の世代が中心となって今日に至り、さらに次へと世代の交代が行われようとしています。
それは、たとえば社団法人現代舞踊協会の幹部の顔ぶれからも判断することができます。この協会は、1948年に洋舞すべてを網羅する日本芸術舞踊家協会が発足、56年には全日本芸術舞踊協会が設立され、72年に社団法人現代舞踊協会となるのです。
この協会の功績はきわめて大きいものがあります。江口隆哉賞、スペイン舞踊の河上鈴子賞はじめ、新人や作品に対する賞も数多いですし、会員(個人参加)への情報提供も重要ですが、一番はやはりさまざまの合同公演を主催することではないでしょうか。内部の人間ではないので正確なことは分かりませんが、アンデパンダン公演、選抜新人公演、五月の祭典、新鋭・中堅、各支部が集まる現代舞踊フェスティバル、文化庁の現代舞踊公演、都民芸術フェスティバル、これ以外にもジュニアのためのもの、そして全国8支部がそれぞれ主催するものもあります。また、文化庁の本物の舞台芸術体験事業にも協会として応募、これまで毎年参加しています。
この9月8、9日の2日間、選抜新人公演が行われました。2日にわたって42作品が上演されました。その9割がソロ。これを見て感じたのは、まず、皆上手いなということです。選抜のせいもあるでしょうが、興味ある作品、ダンサーが多数ありました。つい先日までは、衣装も、動きも、音楽も、そしてテーマも、いわゆる現代舞踊スタイルのものが多かったのですが、明らかに多彩になり、個性的になってきています。ソロや小グループによる、日常的なテーマや動きをとりあげた、いわゆるコンテンポラリーとはまた違った、練り上げられた味があります。ダンサーも美しく、スタイルが良く、微妙な表現も巧み、もちろん技術も高いレベルにあります。見ていて飽きません。
さて、ここからが今回の要点なのです。つまり、見ていて飽きないといっても、見応えという点ではまだ軽い、物足りないものがあるのです。なぜか、それはソロ作品がほとんどで、時間も短い(数分前後)ことが大きな理由でしょう。これはつまりはこのタイプの公演の限界ということになるのです。
これらの作品のうち、実は前に見ているものがたくさんあります。それはコンクールであり、他の合同公演であったりして、3~4回見たことのある作品も少なくありません。これはなにを意味するか、端的にいうと、協会主催の公演でしか踊る機会がないというダンサーが数多いということです。みな見応えある作品ですから、見ることに不満があるわけではないのですが。
もちろん、ここで踊られた作品は、コンクールや合同公演のために作られたものでしょうから、それは別としても、優れた若手ダンサーがじっくりとその能力、特性を発揮する場というのは本当に少ないのです。これはいいかえれば、舞踊団単位の現代舞踊公演がきわめて少ないことでもあります。男性はもう少しするといろいろなところにゲスト出演をすることができるようになります。しかし、それを含めても、とくに女性ダンサーは、年間に何回舞台に立てるでしょうか。率直にいってコンクールや合同公演を除くとほとんどないといってよいものがたくさんいると思います。
この事実をもって協会を責めるわけではありませんが、合同公演などあまりに手厚いサービス(ここでは舞台の設定)をすると、かえって各舞踊団体やアーティストが自前の公演や売り公演をしなくなってしまう恐れがあることです。たしかに、現代舞踊系カンパニーのダンス公演は、一時より随分少なくなったような気がします。
これに対して。コンテンポラリー系のアーティストやカンパニーはさかんに自主公演や売り公演を行っています。彼、彼女らは生徒はほとんどもっていないでしょうから、そこを売ろうとしてのチケット販売も難しいなかで、さまざまな営業活動によって観客を集め、また助成などの収入増をはかっているのです。ワークショップもその一つです。
現代舞踊協会が舞踊団体やダンサーを突き放せとか、サービスしなくていいというのではありませんが、一方で営業活動の必要性、観客に支持される重要性、そのための方法をぜひ会員に強く伝えて欲しいと思います。出演者や生徒たちをとおして売る以外のチケット販売数を増やすにはどうするか、つまり開かれた現代舞踊界になるにはどうするかも極めて重要な課題です。
現代舞踊は、今や日本独自の手法として大きな力をもっていますし、ダンサーも個性的で美しい。コンテンポラリーダンスにはない魅力と見所があります。これで一般の人気がでないのはなぜか、あまり評価されないのはなぜか、これを協会では考え、対策をとっていただきたいと思います。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。