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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.48:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.48
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「タップダンスの世界の新しい動き
ーTAZUの活動と野心ー」
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●実はタップ大好き人間
このページにも前にも書いたとおり、7月は(といってもまだ終わっていませんが)、大変な舞踊ラッシュ、それもヴァラエティに富んでいました。そのなかで、実は私としてはきわめて珍しいダンスの会にも出かけたのです。
それはタップダンス、熊谷和徳(KAZU)さんの「TAP is ALIVE」という公演です。会場は世田谷パブリックシアター。彼は8月に金森穣さんと一緒に踊るので、その興味もありましたが、実は私はタップダンスが大好きなのです。50年以上も前、高校、大学時代に当時のミュージカル映画でタップに凝りました。フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャースさんたちはもう現役を過ぎていましたが、ジーン・ケリーさん、かれは自分で監督もしていましたが、有名な「雨に歌えば」、「パリのアメリカ人」、そして10回以上見た「踊る大紐育」、ここではミス・チンコロことヴェラ=エレンさんにしびれました。この作品は、ご存じのとおりマイクル・キッドさんの「ファンシー・フリー」をベースとした水兵の休日ものです。これらの作品のケリーさんはほんとにカッコよかった。それにつられて私もタップを習いました。大学生当時、自由が丘にあった中川三郎さんのスタジオです。三郎さんはわが国のタップダンスの草分けみたいな人で、子供の一郎さんや姿子さんたちも中川トゥルーパーズを編成、劇場や映画で活躍していました。
結局私はものにならなかったのですが、その後もサミー・ディヴィスJrさんの「ミスター ヴォージャングルス」や、グレゴリー・ハインズさんなどを映画やTVでときどき見ていました。外来のタップ・ショウやミュージカルもときどきのぞいていました。
バレエ界にもタッパーがいます。アダム・クーパーさんの「オン・ユア・トゥズ」も記憶に新しいところですし、国内でも貞松・浜田バレエ団が、一部分ですが全員がタップを踏む部分のある作品を上演しましたし、つい先週、谷桃子バレエ団の松島勇気さんもタップダンスを披露しました。
●タップダンスの芸術的価値を高め、社会的地位を高める
話を戻します。熊谷さんはニュー・ヨークでダンスを習い、ライブハウスやストリートなどで活動。98年には一時帰国、熊川哲也さんの「イエロウ・エンジェル」にも出演するなど日米をいったりきたりしているのですが、今年初めのNYCタップフェスティバルに日本人として参加した後は活動の場の主体を日本に移しています。
なぜ彼の会をここでとりあげるのか。それには理由があるのです。
それはこういうことです。彼は今年帰国後3月に全国ツアーを行ったのですが、それは東京、名古屋、大阪、広島各地のクラブクアトロでのクラブ仕様の公演で、各地満員、大変な好評だったようです。人気も急上昇で、CMにも起用されているのですが、彼の次の狙いは別のところにあるのです。それは、タップダンスをもっとメジャーなものにしたい、劇場芸術として定着させたいということです。いいかえればタップダンスの社会的地位を高めたいということでもあるようです。
そのために彼は仲間を募り、いろいろな機会をとらえてアートとしての認知度を上げようと努力しているというのです。
もちろん、彼個人はビッグな存在になっており、この日も多くのファンがつめかけていたのですが、かれの目的は自分だけでなくタップダンスそのものをもっと陽のあたるものにしたい、クラブやライブハウスだけでなくもっと劇場で公演できるようにしたい、ということのようです。この日の舞台を見ても、SUJIとTAKAという、2人のタップダンサー仲間、クリヤ・マコトさん、ドラムスのトミイ・キャンベルさん、ベースの早川哲也さんなど多くの優れたジャズミュージシャンと共演、大変充実したレベルの高い舞台を見せていました。それ以外に舞台から客席に話しかけたり、大変なサービスです。いくらアートといっても、お客が楽しんでくれなければ意味がないという信念をもって、彼は客席とのやりとりも真剣に行っています。もちろん、これ以外にも彼が先頭にたって経済界やマスコミ界にも積極的な支援を要請しているようです。
●アーティストによるアーティストのための活動
つまり、アーティストとして、客は満足させ、楽しませる舞台を提供するだけでなく、ファンに働きかけ、積極的、具体的に各界に支援、助成を要請しているということ。これは舞踊界、とくにバレエ界にとって非常に参考になるかと思うのです。
その彼が、ダンサーに安定して踊る機会を与えるために、といういことで新潟のりゅーとぴあの舞踊部門芸術監督になった金森穣さんと共演するという。そこには多くの内外の優れたダンサーも参加しています、舞台成果だけでなく、なんらかの新しい動きが生まれることを期待しています。
さらに、これとは形態も環境も違いますが、プロの集団をつくろう、いい舞台を各地に提供しようとしている野村一樹さんたちの活動(今年2月の第1回についにこのページで、取り上げました)にもつうじるものがあります。彼の「クラスーB」が提供する第2回目のツアー公演が今月に福岡、佐賀で行われており、27日に佐賀でその状況を見に行ってこようと思っています。
本当は国や県などの公的部門、あるいは大口の企業や個人のスポンサーをもったプロデューサーが条件を整えて、芸術家はその上でよいパフォーマンスと、観客サービスを提供するのが望ましいのですが、日本ではなかなかそのようにならない。もちろん、ロック、ポップス、あるいは商業演劇ではそういう形はあるのですが、いわゆる純舞台芸術ではなかなかそうなりません。
それでも、古くは阪急電鉄と宝塚、最近の熊川哲也さんのKバレエカンパニーとTBSは別格としても、山梨県清里の「萌木の村(株)」(企業名)が共催する、バレエシャンブルウエスト主催の「フィールドバレエ」のような成功例もでてきました。ここは毎年10回以上の公演を行い、最近では1万人に近い観客を集めているのです。継続は力、今年は第16回、7月から8月にかけて13回公演が予定されています。舞台は特設ですが、これが常設の劇場で年間を通して舞踊や音楽、あるいは演劇が上演されているようになると素晴らしいのですが。といっても欧米ではあたりまえのことー。
文化大国をめざす日本としては悲しい現実です。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。