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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.68:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)
Vol.68
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舞台作品に幼な児は禁じ手?
-うまく使って感動を高めた3作品-
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舞台作品に幼な児は禁じ手?
-うまく使って感動を高めた3作品-
●赤ちゃんは天使
「赤ちゃんは3歳までに一生分の親孝行をする」、といった人がいます。だれのことばか、正確な表現かどうかも知りませんが、まさに至言です。幼いお子さんはもうそこにいるだけで愛らしいし、ちょっとにっこりしたり、仕草でもしたら、親御さんはそれそだけでメロメロでしょう。ほんとうに天使ですね。私も見ているだけで心が暖かくなります。でも、あまりじろじろ見ていて怪しまれるといけませんので、残念ながら自分を抑えています。
いずれにしても、幼い子は人の目をひき、楽しみ、場合によっては感動さえ与えます。
発表会などで、まだおむつをしているような幼児がでてくると、一般観客の目はそこに集中します。ちょっとおしゃましたり、まごまごしたり、ころぴそうになったりしたら、まるでわがことのように感情移入し、一喜一憂します。
したがって舞台芸術にとっては、安易に幼い子どもを登場させるのは禁じ手だと私は思っています。子役の存在が、そこに観客の目がひきつけられ、たとえば悲劇性を強調することによって観客の涙を誘い、作品の真の意味が隠されてしまうおそれがあるからです。こう思うのは私だけなのでしょうか。もちろん、それによって作品の意味がきちんと伝えられ、その価値を高められるのであれば、子役を登場させることは当然です。
最近、このような舞踊作晶にいくつかであいました。それは奇しくも、現代舞踊、フラメンコ、そしてバレエの分野の作品、しかもすべて東京の団体ではないというのも面白いことです。
●平和を祈って感動を呼ぶ『火垂るの基』
まず第一は、北九州の黒田呆子さんの作品『火垂るの墓』です。これは7月の未から8月の始めにかけて山口、北九州で行われた「黒田呆子舞踊生活60周年記念公演」で上演されたものです。黒田さんは幼い頃ご両親を亡くし、以後独学で舞踊を研究、今日まで多くの作品を作り、舞踊家を育て、また国際コンクールを主催するなど、地元にとどまらず、国際的な活動をつづIナています。
『火垂るの墓』は、ご存じのとおり、野坂昭如さんの直木賞授賞作品で、戦中戦後の混乱に翻弄された家族の悲劇と肉親愛を赤裸々に描いた作品です。黒田さんはこれを独特の解釈で舞踊化しました。空襲によって一家は離散、母も死に、中学生の兄と4歳の妹の杜絶な生活を描きます。親類からも追い出され、野宿、兄は食べ物や着物を盗み、回りから迫害されながら必死になって妹を守りますが、彼女はついに帰らぬ人になります。兄はやせ憂えた妹の死体を行李に納めて火をつけます。回りには蛍が飛び回り、兄は妹も螢と一緒に天国に行けるようにと心に折るのです。タイトルはここからきています。
話だけでも悲しいのですが、黒田さんの演出、振付、そして兄を演じるナナクロダさん、そして妹を分担して演じた2人のジュニアダンサーが好演、やせ衰えていく妹を懸命に守る兄、そしてそれを感謝しながら死を迎える妹のシーンは涙なくして見られませんでした。たしかに舞踊には言葉がありません。しかし、しっかりと作られ、しっかりと演じられれば、かえって言葉が邪魔なほど、見るもののイマジネーションを刺激し、強く心に訴えるのです。ここの子役はまさに主役の一人ですが、決して達者に演じるのでなく、素直にやっているだけに、かえってリアリティが感じられて、深い感動を受けました。
野坂さんの、そしてこれを舞踊化した黒田さんの戦争の酷さにたいする思い、そして平和への顧いも同時に強く伝わって、今年の大きな収穫であったと思います。
●父親の喜びと悲しみに共感の『海女』
次はフラメンコ作品です。これは10月7日に行われた、名古屋の依田由利子さんのフラメンコ舞踊団公演における『海女』です。依田さんは日本舞踊や舞踏を学んでからフラメンコに進んだという珍しい経歴。スペインで研修したあと帰国、『カルメン』や『赤と黒』などの文学による、そして自作のドラマティックなフラメンコ作品を創作し続け、音楽にはジャズや和太鼓を取り入れるなど、積極的な活動をしています。
『海女』は真珠採りのはなし。能や地唄に『珠採り』という名作がありますが、依田さんはそれとは別に自分で台本を書き、振付けたものです。ある真珠採り(依田)が真珠に魅せられ、また龍宮を求めて海に深く潜り、龍王の怒りにあって海底に引き込まれてしまいます。彼女には夫と幼い女の子がおり、残された夫は娘を一身に育てるのです。成長した娘は父親の反対を押し切って海の男と結婚、海女となり、ついには母親と同じ運命をたどります。亡霊となって海をさまよっていた母親は、娘の悲劇をどうすることもできず見守るだけだったのです。
ここでは幼児、少女と2人の子役が娘の成長を演じます。とくに感動的なのは父親の娘への献身的な愛です。しかし、その娘も父をはなれて若い男のもとへ走ってしまうのです。
全体としては、いろいろと手直しが必要だとは思いますが、男手一つで娘を育て、やがて手放すことを余儀なくされる男の心情を表現するのに子役がうまく使われていました。
●父親のために身を犠牲にする娘『沈清』
もう一つは、実は日本の団体ではありません。韓国ユニバーサルバレエ日本公演の『沈清(シム・チョン)』です。私が見たのは9月4日、川口公演です。
この作品はユニバーサルバレエ団の代表的なレパートリー、もう20年も世界各地で上演されつづけています。もとは韓国民話「沈清伝」をエイドリアン・ダラスさんが振付け、現芸術監督のオレグ・ピノグラドフさんが改訂しています。音楽はケビン・ピッカードさん。 体の弱い母親は赤ちゃんを生むとすぐに他界、赤ちゃん(沈清)は盲目の父に育てられます。美しい娘に成長した沈清は、父の目を治すために荒海の人身御供になるのです。そこで龍宮に連れて行かれますが、彼女を愛する王子に懇願して地上に戻ります。地上では国王に見初められますが、沈清は父に会いたいといろいろと苦労したあと、父親と再会します。そこで奇跡が起こって父親の目が治り、沈清は国王と結婚、みなで幸せに暮らすことができたのです。
ストーリーは単純ですが、踊りは見事だし、あちこちに感動を呼ぶ工夫がされ、全体として見応えのある作品になっています。ここでも子役は2人、沈清の幼児と少女時代です。韓国の衣裳を着けた子どもは可愛く、最後のカーテンコールでも、舞台に正座して最敬礼する姿は、多くの観客を魅了しました。
たしかにこの作品では、子役はそれはど重要な存在ではないかもしれません。子役なしでも赤子から娘への成長は表現できたと思います。ただ、物語に関係なく子どもを登場させたわけではなく、その存在は、作品の本質を変えることなく見る楽しみを増したとはいえるでしょう。それはカーテンコール以外は、この2人をあまり強調せず、物語の進行上さらりと扱ったためといえます。
いずれにしても、3つの分野、2つの国の団体で、子どもが重要な役割を果たす注目すべき作品が上演されたのはとても珍しいことです。
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うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家
本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。