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コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.69:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)

うらわまこと 2012年8月11日


Vol.69

2006.11/4
 
舞踊用語うらわよみ辞典
衣裳・衣装、コスチューム: 身にまとって装うもの。

 
 
●いろいろな目的、意味をもつ衣装
 一般に衣服といわれるものには、いろいろな意味、目的があります。歴史的?には楽園を追われたアダムとイヴのイチジクの葉がその起源といわれます。
 まず衣服の目的を考えてみましょう。衣服は素材と、色彩や製法を含めた広義のデザインからなり、その組み合わせを含めて、機能的意味と文化的意味をもっています。機能的意味とは、物理的、心理的に身体を守る、暑さ寒さを防ぐ、が基本です。さらに、この上に動きやすい、見分けやすいも大切になります。ここまでくると文化的な意味にも通じてきます。文化的意味とはいわばじょじょに生まれてきた後天的な意味で、さまざまな内容、形式をもっています。これを大別すると、民族的・歴史的側面、社会的側面、装飾的側面があります。もちろん、履物、被り物(帽子類)も同じです。
 民族的・歴史的とは、民俗が歴史的に築き上げてきた衣服のスタイルいわゆる民族衣装、社会的とはまず職業、所属、階級を意識的に、また無意識的に示すものです。装飾的とは、着飾る、自分を飾り美しく見せる、あるいは個性、場合によっては信条(生き方)を主張するための衣服です・
 もちろん、現実にはこれらが組み合わされており、さらにファッション、流行があります。これはクールビズを考えるとよく分かります。涼しいという機能、省エネという社会性、時代性、さらにそこにファッションの意識が込められています。
 衣服はそれを着ている人を現し、また場合によっては人を変えることがあります。いささか職業侮辱的な表現ですが、「馬子にも衣裳」。最近は「孫には衣裳」、衣裳が歩いているような…これはじいさん、ばあさん馬鹿、でも気持ちは分かります。

●舞踊だけにある衣裳の特性
 では、舞台衣裳はどうでしょうか。もちろん、日常の衣服とは異なるところも多いのですが、基本的には、上記のどれか(いくつか)に相当しています。ただ、それぞれのウエイト(重要度)が変わってくるのです。これは、舞踊と演劇、音楽でも異なりますし、舞踊のなかでもダンススタイルや作品の意図によっても違ってきます。
 舞踊(とくに洋舞)では「動き」に対応できることが重要です。ダンスできない衣裳、動きの妨げになる衣裳では意味がありません。そのために衣裳デザイナーたちは、素材、デザインに心を配ってきました。
 といってもこれだけでは十分ではありません。動きやすいだけを考えたらみな同じような衣裳になってしまいます。大切なのは、作品の意図を実現するための衣裳、出演者の役割を明確にする衣裳です。
 ここで確認しておきたいのは、多分他の舞台芸術にはない、舞踊芸術だけにある、シンボル的なスタイルです。これはとくにダンス・クラシック、いわゆるバレエにみられる独特の非日常的な衣裳です。いうまでもなくそれは女性のチュチュ(広がったスカート)と男性のタイツです。もちろん、これもその発生をみれば、もとは宮廷衣裳であり、それが踊りやすいようにということで、スカートは段々短くなり、男性のタイツもうわ穿きなしになってきたのです。
 とくにクラシックチュチュといわれる短くパッと広がったスカートとトウシューズは,女の子の憧れです。ただ、最近のチュチュはますます短く、上にまき上がるほどで、<パン2○見え>すぎるきらいがありますが。男性ではタイツを穿きたいという子はほとんどいないでしょう。タイツに憧れる男の子というと、健気だけどちょっと引きます。チュチュに憧れたらもっと怖いですが。
 いずれにしろクラシックバレエにはチュチュとトウシューズはつきもの。その条件で役を表現しなければならないのです。オーロラのようなお姫様、ジゼルやキトリのような農村や街の女の子。ジゼルは次の幕では精霊になるのですから大変です。このようにクラシックバレエでは人間だけでなく妖精や鳥もたくさんでてきます。これらを着分けるのは大変ですし、リアリティに欠けますが、最後は決め事として理解する以外にありません。ただ、このチュチュと、空中を飛んでいるように、重力がないように感じさせるポアント、これがバレエをバレエたらしめていることは間違いありません(もちろん、現代バレエは別です)。
 男性はもっと悲惨です。私を含めてタイツに抵抗がなかった男性はほとんどないのではないでしょうか。初めてバレエを見て、まず男性のタイツに引いてしまう人は多いようです。

●作品意図とスタイルの表現としての衣裳
 モダンダンス、コンテンポラリーダンスでは事情が大分異なります。特殊な場合を除いていわゆるチュチュをつけることはまずありません。基本はイサドラ・ダンカンが百年前に提唱した自由な解放された心と肉体、つまりできるだけむだなものは身につけない、という考え。それはジョーゼットのようなソフトでしなやかな衣裳であり、ある場合にはそれさえ付けませんでした。
 もちろん、そのあとは自由にいろいろなスタイルが生まれました。演劇的、民族的、ショウ的、日常的など、衣裳も多岐にわたっています。ただ、わが国の現代舞踊には独特のスタイルがあります。それはジョーゼット系の長いワンピースか、パンタロン風のパンツに爪先の出たタイツです。たしかに見方によっては、これは制服か、と奇異な感じもあるのですが、このスタイルをベースに細かなデザインや柄に工夫をこらしているのを見ると、結構苦労しているな、と身につまされることもあるのです。ただ、男性が上半身裸に黒のパンツ、裸足というのは、安上がりでしょうが、またかと思うのも事実です。男の裸なんか見たくないと思うのは、私が男だからでしょうか。
 一時は女性にも黒が流行りました。でも全身黒衣裳で、髪の毛だけまっ黄色といういささか徹底を欠いたダンサーは、最近は少なくなってきました。といっても黒のスーツにシューズで茶髪というのは、意外にコンピュータなんか使っている舞台にまだ残っています。
 最近のダンススタイル、いわゆるコンテンポラリーダンスでは、衣裳も化粧も日常的なモノが流行っています。何かに扮したり、ダンサーとして舞台に立つのではなく、「だれだれさん」という本人そのものがそこに存在するということなのです。つまり、だれにでもできる、しかしその人にしかできないダンスなのです。こうなると衣裳の概念も大分変わってきます。
 こう見てくると、たしかに衣裳もひとつの主張ということができます。つまり、当然のことですが、衣裳は作品の意図、スタイルを表現しているといえるからです。もちろん、舞台美術や照明との統一性も重要ですが、舞台上で動く存在である出演者が身に付けるものであるだけに、動きやすく、着る人に似合う、あるいは欠点を隠すという工夫が必要なだけに、その苦労も大きいのでしょう。
イヴ・サン・ローランなど世界の、そして日本でも一流の服飾デザイナーが舞台衣裳に手をそめています。成功作品もありますが、客寄せパンダか?もあるのはその難しさを示しているのではないでしょうか。

 

うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家

本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。

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