ダンスの動画・コラム・コンクール情報専門サイト

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオ。
HOME > ニュース & コラム > コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.87:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)

News & Column
ニュース & コラム

コラム:幕あいラウンジ・うわらまこと Vol.87:ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.)

うらわまこと 2012年8月11日


Vol.87

2011.1/27
 
舞踊評論家二百人、大変な力です。
 
●評論家密度の高い舞踊界
 ちょっと前になりますが、ある若手の評論家に、『舞踊評論家って何人ぐらいいるか知っていますか』と訊かれました。「数十人、まさか百人は」と思ったのですが、二百人はいるそうです。その増加ぶりには目を見張るものがあります。わが国の舞踊界も幅広く、奥深くなったものです。といっても正直、今でも信じられません。
 一体、舞踊界の規模ってどのくらいなのでしょうか。寡聞にして私は知りませんが、感じとしてはこんな推算ができるのではないでしょうか。まず観客。2,000人クラスの大劇場での公演は、大手のバレエカンパニーなど、外来を含めて、年間200ステージあるでしょうか。多めに見てこれで40万人。それ以外のクラシック、モダン、コンテンポラリー、ブトー、フラメンコ、日本舞踊など、観客は1,000人から数十人まで、年間延べ1,000ステージかもう少し多いかも(無料の発表会や学校公演は除きます)。ちなみに、(社)日本劇団協議会加盟団体の公演回数は年間3000~3500回程度。1ステージ500人として数十万人。合計百万人。売上金額で百億円弱。これだと少し多めかもしれません。もちろん、金額的にはコンクール、舞踊教室を加えると一桁多くなるでしょうが、ここで考えるのは、舞踊愛好家の数です。上記の百万人がそうだとしても、これは延べですから実数は乱暴ですがその半分とみて五十万人。読むことに興味があるのはその1割か。舞踊専門紙・誌の発行部数を合計してどうでしょうか。
 なにがいいたいかというと、舞踊評論を必要とするか、興味をもつ人の数。そうなると舞踊家も入るかもしれませんが、上の数からすれば大勢に影響はないでしょう。つまり、五万人に二百人、この意味すること。たとえば文芸評論、音楽評論、演劇評論、それぞれ評論家は何人いるのでしょうか。
 上の数字は相当滅茶苦茶(もっと根拠のある数字をお持ちのかたがいたら教えてください)、業界の大きさに比して評論家の数は相当多いことは間違いないでしょう。つまり、それだけこの芸術分野というか業界に関心を持つ人が多いということです。舞踊評論家の人口密度の高さは大変なものですね。

●評論とはなに~その内容は多彩
 ただ、二百人いるのが事実だとしても、その方々は実際になにをしているのでしょうか。別の言い方をすると、評論家ってなにをする人なのでしょうか。
 私見では広く舞踊評論といわれるものには次のような活動が集大成されているのではないかと思います。それは、批評、調査研究、理論・学問、ジャーナリズム活動、狭義の評論です。もう少し一般的な肩書として表現すると、舞踊批評家、舞踊研究者(史家)、舞踊学者、舞踊ジャーナリスト(記者)、そして狭義の舞踊評論家です。
 さらにこれを、具体的に、ただし独断で説明するとこうなります。
 『批評』とは主として公演や作品、あるいはその各要素、たとえば出演者、振付、音楽、美術などを評価すること、実際には、対象として、まず作品と意図、モティフ、その実現のための手法、各要素の調和、効果、さらに出演者の技術や表現、さらにそれを含む全体の演出、さらにそこにおける創造性、作品(作者)の個性、そして全体の完成度などです。それを評価者のもつ基準、あるべき姿、レベルと比較、判断するのです。
 『調査研究』とは、その中心は舞踊の歴史です。舞踊は、美術はもちろん、音楽や演劇に比べて、その性格上とくに作品に関する過去の記録が極めて不完全です。それを資料を探し、分析し、統合して、過去の作品や、人物、それらの行動やとりまく状況などを明らかにするのです。
 『舞踊理論、舞踊学』とは、舞踊とはなにか、その本質や機能、そのカテゴリーなどを体系的に整理し、明らかにすること。さらに、ここには、どうやって作品や舞踊家を作り出すかの理論的な研究も含まれるでしょう。
 『ジャーナル活動』、ジャーナルとはここでは新聞や雑誌、それを発行したり、そこに寄稿したりすることです。それをするのがジャーナリスト、記者です。つまり、舞踊に関するいろいろなニュース、情報を伝えること(人)です。事実を伝えるのが基本、主観や批評が入ることもありますが、実態に即していることが要求されます。たとえば、インタビューやルポルタージュは含まれますが、理論的な研究の発表はジャーナリスト活動ではなく、研究あるいは学術活動です。もちろん、後記するように、記者が研究してはいけないといっているのではありません。
 以上の基本は、舞踊を愛することですが、単なるオタクに止まっていてはなりません。

●評論の方法~業界への提言や警告も
 さて、狭義の『評論』とは何でしょうか。要は評し、論ずるのですが、[何を=対象]が問題です。私は、それは、舞踊界そのもの、あるいは舞踊界におけるさまざまな現象、動き、さらに外部(政治、経済、あるいは海外など)からの働きかけ、影響、それについての対応なども含まれます。さらに、これは私の意見ですが、これらに関する提案、助言も重要だと思っています。場合によっては警告も。
 評論家(広義)としては、社会的に、あるいは業界において認められること、つまり、公の発表の場をもっていることが条件ではないでしょうか。もちろん、予備軍としての存在を認めることは必要です。これらの発表方法は、新聞雑誌への寄稿、出版、講義、スピーチ、さらに最近ではネットに載せる方法が増えてきています。個人的な会話、指導もその伝達活動の一つといってよいでしょう。
 当然のことですが、個人は、上記のどれかに特化しなければいけないということではありません。舞踊評論家といわれる二百人も、実際にはこれらの要素をいくつかを備えているのではないでしょうか。もちろん重点のおき所は人さまざまでしょうが、これらのすべてに、あるいはそのいくつかに手を染めることは、むしろ望ましいと思います。これらとは別に、舞踊カテゴリー、たとえばクラシック、モダン、フラメンコなどに特化する人もいるでしょう。
 私個人はどうか、これは気持であり、望みですが、上記のなかの評論活動に力を入れたいと思っています。具体的には、わが国の舞踊界がもっともっと発展してほしい、舞踊、舞踊団、舞踊人、舞踊作品がもっと社会の多くの人に関心を持ってもらい、もっと認められてほしいと願っています。口幅ったいことをいえば、舞踊界にももっと力をつけ、社会的に自信をもち、協力して、世の中に認められるように努力することを望んでいます。
 私も微力ながら、このことに尽力しようと思っています。私の仕事で現実に多いのはやはり公演評ですが、そこでも、舞踊界の状況と魅力を社会に認めてもらえるように、また舞踊人に勇気をもってもらおうと考えて、書いたり喋ったりしているつもりです。
 これは単に褒めることではありません。場合によっては辛口の批評、評論が必要なこともあります。それが意味をもつには、舞踊界から信頼されることが条件です。私もそうなるように努力していますが、非力からなかなかそうならないのは残念なことです。
 それはさておき、日本の舞踊評論家二百人が、日本の舞踊界を真に愛し、それを良くするために、皆が私心を捨てて、国や社会に対し、また舞踊家に対して発言、行動すれば、それは大きな力になるのではないでしょうか。

うらわまこと(Makoto Urawa)
舞踊評論家

本名 市川 彰。慶応義塾大学バレエ研究会において、戦後初のプリマ松尾明美に師事、その相手役として、「ラ・フィユ・マル・ガルテ」のアラン、リファールの「白鳥の死」の狩人役を日本初演。企業勤務の後、現在大学で経営学を講義しながら舞踊評論を行っている。 各紙・誌に公演評を寄稿するほか、文化庁芸術選奨選考委員、芸術祭審査委員、多くの舞踊コンクール審査員、財団顕彰の選考委員などを務めている。

TOPへ