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山田マミのやっぱり、パリが好き

フランス在住の山田マミさんが、現地発信の最新ダンス情報をタイムリーにリポート!
ダンスだけでなく、ワイン、フェスティバル、市場などなど、フレンチ生活を山田マミさんによる独自の視点でお伝えします。動画によるダンス映像の配信も見所です!

2021年5月

ライムント・ホーゲはマリア・カラスの元へ

80年代にピナ・バウシュ作品の演出を手がけて一躍注目を集め、その後も独特路線で多くの作品を残したライムント・ホーゲが5月13~14日の夜に72才で亡くなった。
一昨年まで新作を発表して、昨年にはドイツで受賞して、まだまだ活動を続けるものと思っていただけに、突然の昇天が惜しまれる。コロナ禍により、公式な葬儀も行われず、多くのファンが見送ることもできない寂しい旅立ちだった。でも、きっと今頃はマリア・カラスやダリダと一緒に作品を作っているかも。
写真は上野天志とのデュエット「Songs for Takashi(2015)」と、「36, Avenue George Mandel(2018)」アビニヨン・フェスティバルにて

5月19日は記念すべき日、劇場再開、飲食店開業!

晴れて飲食店の営業が許可されて、街が活気を取り戻した。昨日はカフェやレストランの1年ぶりのオープンに向けて、スタッフが準備をする姿があちこちで見かけられた。テーブルや椅子を並べて、ガラス窓も磨かなくちゃね。仕入れ業者も急に忙しくなった。ビールに食料。調理場はすでに準備を始め、ランチメニューを早々と黒板に書いていた。

そして今日オープン!歩道に並んだテーブルで久々のカフェを満喫。

あいにく天気は晴れのち曇りのち雨。突然の土砂降りなんか気にしない。これがテラスの醍醐味さ、と笑ってやり過ごし、これまでの鬱憤を晴らすかのように盛り上がる。この歩道カフェ、期限付きだから今のうちに楽しんじゃおう!

そう、まだ店内での飲食はダメなのだ。テープルの間隔は50センチという規制があるものの、そんなことは言ってられないのがパリ。

どこにカフェがあるのかかわからないけど、とにかくテーブルが出ていて、みんな飲んでる。

提灯吊って旗吊って、ロッキングチェアーでキャンプ風の公園カフェもある。

場所さえあれば歩道はカフェで埋まり、歩道は渋滞

車と人が通りゆく中でお茶をするのは落ち着かないように思えるけれど、そんなの気にしない。とにかく飲食店がオープンしたのが嬉しいのだ。

路上駐車スペースもカフェに早変わり。流行りはエコロジー感覚の木目調。

注文殺到で製材店には板の在庫がほとんどないとか。

植木を置いて、緑の絨毯を敷いた憩いのカフェ。

屋根付きなら少々の雨でもOK

夜間外出禁止が7時から9時に延長されたことや、日が長くなったこともあって、皆の顔が明るい。
あ、もうすぐ夜9時。急いで家に帰らなくちゃと足を早めた。それなのにレストランは満席で、帰る気配もなく盛り上がっている。もちろんマスクなし。このままでは秋に再び外出禁止令が出るのではないかと、おばさんは不安になるのだった。

劇場オープン!

映画館は朝7時前から列ができている。美術館は海外からの観光客がいないから入場者は少ないというけれど、それでも多くの人が訪れた。もちろん劇場もオープン。ただ、急に言われても、そう簡単に準備できないのが舞台芸術。

早々と上演を決めた大学都市劇場 (Théâtre de la Cité International)でファニー・ソリアノの公演を見に行った。彼女の公演を最初に見たのは数年前のアビニヨン、イヴェルナル劇場だった。アクロバットサーカスとはいえ、ポエムがあって素敵だったので、すぐにネット検索。

作品は「フラクタルFractales」、初演は2019年1月。大学都市劇場での上演予定が2回もキャンセルされたけれど、絶対イエスの強い意志のもと、劇場オープン日に合わせての上演となった。35%の入場者数なのでちょっと寂しいけれど、生の舞台から感じるエネルギーはやっぱりすごい。ネット配信では得られないものがある。

自然の脅威を美しいというソリアノ。舞台はマジック。手品のような展開に息を呑む。人の体がこんなにまで自由に動き、まるで無重力空間にいるみたいだった。そして大きな木の根っこのオブジェや、人の動きで変化していく床。舞台は作られたものだけれど、その時の流れで微妙に変化が生じる。それが面白いというソリアノの意図が、見事に成就されていた。

劇場再開初日にとても良いものを見て大満足。今夜は祝杯だっ。ヘヘッ

フェスティバル・ランコントルもOK

セーヌ=サン=ドニ県主催のランコントル・コレグラフィックも無事に開催されて、ディレクターのアニタ・マチューもさぞかし満足しているだろうなあと思っていたら、なんと新ディレクターに代わっていた。昨年はコロナ禍で開幕直前に中止となって、大変な思いをしたと思う。マチューの手による最後のプログラミングは、いつも通りの新しい発見があって面白かった。20年ご苦労様でした。次はどこで活躍するのかしら。

この一環で作品が上演されたモントルイユ市のヌーヴォー・テアトル。多くの劇場にはカフェがあって、公演を見なくても劇場カフェでお茶。

CDCNアトリエ・ド・パリ主催のジュン・イヴェンツは、パリ東のヴァンセンヌの森の中で。

プランターに植えられていたのは野菜たち。そら豆やトマトが育ってる~
収穫したらここのレストランで出してくれるのかな。

ここで上演されたカテリナ・アンドルウの「ゼッペリン・ベンド」。ニコリともせずに二人の女がスキップしたり、頭を振ったり飛び跳ねたり。踊っていて楽しいんだろうか聞きたくなってしまったけれど、カーテンコールではにっこり笑ってくれて安心した。
11月に行われる振り付けコンクール・ポディウムにノミネートされているということは、これが新しい流れなのかも。がんばれ~

ここに行くにはメトロ1号線のシャトー・ド・ヴァンセンヌ駅から無料送迎バス。
でも今日は歩いてみた。

ヴァンセンヌ城横の公園での野外ジム。室内より気持ちいいかも

植物公園も親子連れで賑わっている

パリは自転車天国に!でも無謀運転で怖いのなんのって

コロナ禍で変わったことの一つに自転車の普及がある。北京に次ぐと言われるパリの空気の悪さ。公害改善に躍起のパリ市長が自転車レーンを増やしていることもあるけれど、コロナ感染を恐れてメトロには乗らずに自転車で、と言う人が増えたのだ。これにレンタル自転車の普及もあって、狭いパリならお気軽チャリ。

ヘルメットもかぶらず、夜はライトもつけず、ついでに信号無視。しかも猛スピードで走ってくるから、自転車にひかれそうになって怖いのなんのって。車を運転する人はもっと大変だろうなあ。自転車はチョロチョロ右から左から、前からも出てくるし、歩行者は信号無視で好き勝手に横断するし。歩いていると車より自転車に轢かれそうになることの方がはるかに多い。ちなみに自転車は車と同様の扱いで、歩道を走るのは禁止です。キックボードも同じく禁止で、時速30キロまで。

いつも思う「なんでフランス人は道を譲らないのかなぁ」。写真右の直進車が少し後ろに下がれば、左折車が曲がれるから、後ろがふん詰まりにならないのになあ。
これで渋滞が起こる→クラクションを鳴らす→うるさい=公害と騒音。
1センチでも前に進んだ方が勝ち!と言うわけだ。これを中国人に言ったら、「僕も絶対に下がらない。前進あるのみ」だって。同じアジアとはいえ、大陸と島国の考え方の違いなのかなぁ

ちょっと小旅行、ドイツ軍に焼き払われた村、オラドゥール=シュル=グラヌ

「ドライブに行きたい!」
車を買ったのに規制で近場しか移動できなかった友達から、「ドイツ軍に焼き払われた村があるんだけど行ってみない?」と誘われた。「殺戮現場は縁起が悪いから行かないよ」というツレを残し、お浄めの塩を持って出かけた。
オラドゥール=シュル=グラヌ(Oradour-sur-Glane)。フランス南西部、リモージュ近くにある。かなりの遠出だけれど、新車で旅行したい友達はやる気満々。片道250km日帰りで行ってきました。

低い石垣で囲まれた村。よじ登ったら簡単に入れそうだから入場料をケチるか、と提案したのだけれど、それだと亡くなった方に申し訳ないからと、正規の方法で建物に入った。入場料を払おうと窓口に近づいたら「入り口はあっちです」と。あら無料?塀をよじ登らなくてよかった。アジア人の汚点を作るところだった。

道路の下を潜って外に出ると村の入り口。

焼け焦げた建物の壁だけが残る村。資料によると第2次世界単線中、ドイツ軍がレジスタンスを捕らえるためにやってきて街を包囲。男女に分けて建物に押し込み、まず足を撃って逃げられないようにしてから、藁を押し込んで火をつけて焼き殺したのだと。乳飲児から老人まで643人が殺され、街を焼き払って壊し、1日にして廃墟となった村。

ここは車の修理工場だった

焼き払われたほぼどの家にも残されていたのがミシンと自転車

ここは歯医者。レニエさんという女性の歯科医師。
カフェがあってレストランがあって、ごく普通の日常が、あっという間に消滅したのだ

路上に残る焼け焦げた車。
この村は電車の終着駅だったようで線路があって、線路切替えの装置が残っていた。

建物の通路には亡くなった方の顔写真が展示されていた。
戦争は恐ろしい。人間同士の醜い殺し合い。男197名、女240名、子供205名が生命を奪われた。なぜ乳幼児まで殺さなくてはならなかったのだろう。
この村にレジスタンスの指導者が集まっていて、村人のほとんどがレジスタンスだというフランス人の密告で動いたドイツ軍。実際にはレジスタンス指導者はいなかったらしい。
救いは、奇跡的に命を取り留めた一人の女性と、ドイツ軍に気がついてすぐに逃げた人がいたこと。
戦争の残虐性を後世に残すために、この村は国の管理で保存されている。

今月の一枚

路上に放置したら、必ず盗まれるのがフランス。植木だし、大きくて重いから大丈夫だろうというのは通用しない。だからチェーンでガッチリ盗難防止をするレストラン

路上に放置しなくても盗まれます。
外出禁止令が解除され、人はウキウキとバカンスに出かけ、泥棒はやっとこさ仕事ができると空き巣に狙われた家多数。うちも被害に…
木の一枚板のドアを壊せず(壊そうとした跡がくっきり!)、鉄の雨戸を壊したものの、2重ガラス窓を破れず、かなり苦労して木の窓枠を壊して侵入。ここまで派手に壊したら大きな音がしそうなものだけれど、隣人はなにも聞こえなかったと。音を立てずに壊すのがプロ。売れそうなものは全て盗まれました。そしてなぜか日本のカードとポイントカード。普通プロは盗まない。よほど日本語が珍しかったのかも。再発行の手続きが面倒くさいのなんのって。アルコール類には一切手をつけず、豚の形をしたネックレスだけが残されていた。ということは、ある宗教の信仰者が犯人?
断捨離で領収書と写真を捨てたばかりで悔しい。領収書は捨てちゃだめ、領収書のない貴金属類は写真があればある程度保険で戻りますと、保険会社の話。
セキュリティ会社は注文で大忙し。誤動作なのか、侵入か、それ以後あちこちの家でサイレンを聞くようになりました。

山田マミ プロフィール
幼少よりダンスを始め、80年代はアメリカに没頭するが、今は亡きダンス・ア・エックスでローザスの「オットーネ・オットーネ」を観て、ヨーロッパの歴史の深さに圧倒され、フランスに移住。しかし、言葉の壁に阻まれ、英語圏への脱出を計画。ところがその矢先、腹ぺこで歩いていた私に「ヴォワラ、マドモアゼル」と林檎を差し出してくれたおじさん。レストランに仕入れる林檎が1個足りなくなってもいいのかしらと心配しつつも感動!もしかしたらフランス人ってすっごく優しいかも?脱出計画は一挙に吹っ飛び、フランス定住を即決める。住んでみたら奥が深いフランス生活。1年が2年になり、あっという間におばさんになった。パリジエンヌを長年やっていたが、環境を変えるのも一つの経験と、地方都市に移住。山が見え、庭のある生活は新鮮だけれど、やっぱりパリが恋しくなる。イベントはたくさんあるし、人はうじゃうじゃいるし、デモに暴動、スリに騒音とエキサイティング。我が身を守るには、ボケている暇はない街なのだ。時々出没するパリで再発見をして、やっぱりパリが好き~!
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