長年活躍したネザーランド・ダンス・シアターから活動拠点を日本に移して3年、中村恩恵の舞台は、さらに多くの人を惹きつけている。
凛として、たおやか。そのたたずまいから静かだが強い熱情が放たれる舞台。
彼女の話はそんな舞台と同じように、誰をも魅了する力に満ちている。
撮影協力 : BankART Studio NYK
今は外国に行くことはそんなに大変ではありませんが、中村さんの世代の方々は覚悟して身構えなきゃいけない場合もあったようで。でも中村さんからはそういう肩に力の入った大変さというのを感じないんですね、自然体で。向こうから舞い込んでくる話を、そのまま自分の仕事につなげていったという感じを受けますが。
そうでもないんです。なにかやりたいことがあると突然、積極的になるの。
普段は引っ込み思案なのに、これはすごくやりたいって思うと、そこに行って「あの私、ここに居たいんです」みたいな感じになって、けっこう押しが強いところがあって(笑)。
欧米のダンサーは、さあ私が舞台を支配するぞと意識的にアピールすることがありますね。
でも中村さんの舞台から受ける静かなる情熱というか、内から湧き上がってくる情熱はとても東洋的なものだと思います。
私はそれをオハッド・ナハリンに教えてもらいました。彼もイスラエル人なので東洋と近いですね。彼はギブ・インという言葉を使うんだけど、自分がとても小さいものであることを受け入れて、舞台に立っている時、自分からお客さんに向かって行くのではなく、向こうにいる人がこちらに引き寄せられてくるという見せ方がある、と。
もし自分の目が一度も見えた事がなく、こう踊ったらお客さんはどう思うかということを知らないで、ただ自分の内的感覚みたいなものを信じて踊ってみたらどんなだろうという感覚で動いてみて欲しいとか、ナハリンの指導でそういう地道な時間を費やしました。
クラシックはアン・ドゥオールで外に向かっていくものだから、それはとても新しい感覚、価値観で本当に勉強になりましたね。
アントニオ・チューダーのガラ・パフォーマンスのフレンチバレリーナ役をジャン・シャルル・ジルと。
フランスのユース・バレエでは古典を踊ることが多かったんですか。
いろんなものをやっていました。当時はちょうどフランス革命二百周年で、フランスの歴史とバレエの歴史をからめて、宮廷でバロックダンスを踊っている時に農民はどんな踊りを踊っていたかに始まって、ロマンティック・バレエ、フランスで衰退したバレエがロシアで発展して、ディアギレフのバレエ・リュスが来て、商業的なチャールストン、イサドラ・ダンカンの踊り、リファールの「白の組曲」などいろいろあって一番最後のほうにヌーベル・ダンス。それをもって一日3公演、何百回と踊って(笑)。
特にフランス国内の都市をバスで行くんです。昔は炭鉱で栄えていたけど今はさびれた山の中の町では劇場なんてないから小学校の校庭に板を張ったり。
青少年会館、古い劇場、映画館などどこでも踊りますが、一年に一回ぐらいしか行かないから子供達がずっと待ってて、次の日にバスで帰ろうとするとあとを追いかけてくる。
すごく可愛くていつも感動していました。
踊りながら舞踊の歴史を教えるなんて、貴重な経験ですね。
とても楽しくて勉強になって。ローザンヌで賞もらってすぐだったから団長さんは、恩恵はクラシック・ダンサーって思っていたみたいだけど、そこで同時代の振付家マチルド・モニエと仕事した時、ひどい筋肉痛になったんですがすごくおもしろくて、そのあたりからだんだん自分の興味がクラシック・バレエから違う方向へ行って。
ちょうど二十歳になる前、マッツ・エックのカンパニーの公演をカンヌで見た時に、衝撃的に感動してすごい踊りって思ったんです。でもそれは大人の世界、大人の表現で、自分がやるにはほど遠いって思っていたんですけれども。
ユース・バレエからカンヌの経験が、新しい作品を踊りたい、つくりたいという助走になったという感じでしょうか。
自分で選んで見たものではありませんが、前衛的な映画や音楽、踊りが好きな母にカニングハムのダンスなどに連れていかれました。
小倉先生も創作がお好きで、先生の娘さんがいつも子供のためにストーリーを書いてくださってそれに合わせて作品をつくったりしました。勧められて、よくバレエ・コンクールに自作自演で出ましたが、全然コンクール映えしないとんでもない作品になっちゃってましたね(笑)。
でもそこで、音楽や衣裳・照明を考えてつくるという楽しみを知ったと思います。
インタビュー、文
林 愛子
Aiko Hayashi
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、'80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
フォトグラファー
川島浩之
Hiroyuki Kawashima
ステージフォトグラファー 東京都出身。海外旅行会社勤務の後、舞台写真の道を志す。(株)ビデオ、(株)エー・アイを経て現在フリー。学生時代に出会ったフラメンコに魅了され現在も追い続けている。写真展「FLAMENCO曽根崎心中~聖地に捧げる」(アエラに特集記事)他。
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