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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー



ダンスの正統で遊びに挑む、奔放な若手集団の行方

―KAPPA-TE第6回公演“HOME” at THEATER BRATS―
2007.8/28,29日 3ステージ
日下 四郎 [2007.9.7 updated]

KAPPA-TE~sの作品に初めて接したのは、今から5年前、やはり今回と同じ新宿地下の小空間BRATZの舞台においてであった。題して「匂い→みちくさ」。第2回目の公演で、メンバーとしては武元加寿子のダンスグループVENUS所属のダンサーが中心であり、たまたまそちらから舞い込んだ案内で最初出向いた。ところがこれが予期せぬ意表をつくおもしろさであった。因みにこのときは監修者として武元本人も、舞台に臨時登場している
70年台生まれのダンサー7名が、みんなピチピチとした気鋭で、その上踊りがうまい。うまいといっても見た目の形姿がよく出来上がっているというのではなく、その前に基本的な呼吸と筋肉訓練が実によく行きとどいて訓練されている点に感心した。そのくせ表現は不羈奔放。身体表現に近頃はやりのお芝居もどきのゴマカシやちゃちな仕草がなく、いわばダンスのエッセンスだけで仕上がっている。みな若いのにさすが達人舞踊家武元先生の門下生だけのことはあると、ひとりうなづきながら次々に展開するシーンを、最後までたのしんだ。
このときの印象がよくて、翌年の第3回公演「七月のすいか」にも足を運んだ。出演者も12名に増え、さまざまなオブジェや物品と格闘する、スピーディで愉快な身体ダンスが前回に劣らず好調。当時書き残した小生のサイト・メモをみると、「このまま行けば、フランスの<マギー・マラン>や、カナダの<ラ・ラ・ラ・ヒューマンステップス>の日本版として、充分国際市場に打ち出せるかも」と、たいへんな持ち上げようだ。しかしそれだけの魅力が確かにあった。
その後中心メンバーの一人白井麻子が、研修生として2年間ロンドンに派遣されたりして、組織や活動にいくぶんかの変化が出る。カフェテリアでのパフォーマンスやバレエとの共演などがそれだが、同時に先輩武元加寿子による直接指導や後見の要素も、少しづつ遠のいていったようだ。そこへ研修を終えた中心ダンサーの白井が帰国し、久々にKAPPA-TE~sとしての4回目の上演となった。ただその時はイギリスからのゲスト・ダンサーの作品紹介も添え、白井麻子と柴田恵美が、それぞれ別個の創作2本を披露するという、スタート時から比べると、かなり移行した形の公演で見せた。
それはいいのだが、それと引き換えに初期に見られたKAPPA-TE~sの若々しい魅力の何かが失われている印象が残った。白井の作品「計り知れないこと」には、舞台にロープを張って、それと身体との交錯をシリアスに試みるなど、一般的な意味でのコンテンポラリー的要素が加わって、逆に作品がつまらなくなった後味である。パフォーマンス自体に流れやリズムがなくなってしまったのだ。
かくして今回の第6回公演となる(5回目は観ていない)。集団名称である“河童の手”に、果たして往時の汗は戻ってきたか。身体とオブジェを織り交ぜ、75分にわたって展開する多彩な景の数々。スタイルから言えばたしかに初期の構成に帰ってきている。しかし観終わった印象では、どうやらそれは裏切られた。期待を込めて握られた拳には、どうやら汗は滲み出ず、最後まで乾いたままだったのようだ。たまたまプログラム・シートに記された、「わたしたちは何でつながり、どこへ行くのか、帰るのか」というキャプションそのままに、暗転を挟んで次々と披露される各シーンには、ついに緩急一貫した流れや生理的快感が感じられない。作品自体にヴィジョンや内的リズムが不足している証拠だ。
「身体は表現の媒体であり主体そのもの」(白井)という創作の立脚点は正しい。その証拠に例えば途中挿入されるソロなどには、師匠直伝の見ごとなテクニックや表現のたくみさも自在に散見されたし、また冒頭の白い紙袋の堆積から、ゾロゾロ人体が這い出す景など、すっとぼけた独自の空間把握も健在だ。しかしメンバーの手になる各景の出来はまちまち。一例としてにぎやかな“花のワルツ”のシーンをとるなら、曲を中断したりストップモーションをかけるなど、それなりに細部の工夫はこらされているが、振りとしての出来は平凡。ならばなぜここでこの曲をとりあげたか、そんなメタフォリックな意味があればまた話は別だが、それもない。ただ踊る方がおもしろがって、その若さだけで押し切ろうとしたものとしかみえない。それにしてはピリリとした味に欠ける。同じことは3人の胴部を1枚の布で連ね、馬などのお面をかぶらせて踊ったシーンにも当てはまる。なぜ動物の擬人かなのか、何を風刺しているのか、いかにも底が浅いのである。
スタート時にはあって、今回不足していたもの、それは何か。もしそうなら、それを回復する創作プロセスや制作法はあるのか。定期の集団公演には、年々刻々それなりの変化と革新が求められる。しかも一方でユニークで独自のスタイルを堅持していく覚悟が必要なのだ。ひとりひとりが“HOME”(このタイトルの意味がよくわからない)に立ち返って、ただ暗転つなぎで全体に作品を展示しても、それだけで問題は決して解決しない。どうやら今後そのあたりに、この集団の次なる課題がありそうだ。(8月29日所見)
8月29日(水)19時所見 at 新宿 THEATER BRATS

 

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